大河ドラマ、「真田丸」が好評なようだ。真田昌幸・信幸・信繁(幸村)親子の武将としての生き様を描くこのドラマの舞台は、長野の上田から大阪に移り、そして今週は和歌山の九度山(くどやま)に移った。昌幸と幸村は徳川家康に蟄居を命じられ、ついに父昌幸は故郷の上田に再び帰ることなく、この地九度山で没した。
この3府県はいずれも私には縁が深い。
先週から、高齢で一人暮らしをしている母を見守るために、大阪に来ているので、今回の通信は軽井沢を離れて、大阪からの通信となります。
大阪は私の生まれ故郷であり、大学卒業までを過したところである。九度山は父の生まれ故郷である。私も小さい頃からよく父に連れられて祖母が住んでいたこの地に行っていたし、夏休みには一人で出かけて祖母と一緒に過ごした懐かしい土地である。
久しぶりにこの九度山を訪れて、真田丸効果で賑わいを見せる真田庵に出かけた。
和歌山県九度山にある真田庵(2016.9.25 撮影)
真田昌幸公の墓は真田庵に設けられた墓地の中にあった。
真田昌幸公の墓地を示す案内板(2016.9.25 撮影)
墓地の中にある真田昌幸公の墓(2016.9.25 撮影)
真田庵の中には真田宝物資料館があり、昌幸、幸村にまつわる品々と共に、真田紐とその織機も展示されていた。ふるさとの上田地方からもたらされた技術によるものである。この真田紐は商品として二人の生活を支えるものでもあったようだ。
一方、幸村に関しては大阪により多くの史跡があった。
ドラマのタイトルにもなった真田丸(出城)が築かれたとされる場所近くにある三光(さんこう)神社には、幸村の立派な銅像(立像)が建てられていた。冬の陣では徳川方に大打撃を与えたといわれているので、この姿もうなずける。
三光神社境内にある真田幸村公の銅像(2016.9.26 撮影)
幸村の最期はその翌年の夏の陣で、場所は現在の安居(やすい)神社の境内とされている。そこにはもう一つの銅像(坐像)と、幸村戦死跡と刻まれた石碑があった。
安居神社境内の真田幸村公の銅像と石碑(2016.9.26 撮影)
真田幸村公の銅像(2016.9.26 撮影)
安居神社境内にある説明板(2016.9.26 撮影)
こちらの銅像の幸村の姿と表情はさすがに寂しさが漂うものであった。
その後、近くのアベノハルカスの最上階展望台に行ってみたが、この300mの高さから、安居神社を見ることができた。
アベノハルカスの展望階から見た安居神社周辺(2016.9.26 撮影)
ところで、幸村の墓所はどこであろうか。真田庵には昌幸、幸村と幸村の息子大助と三代の御霊を祀る真田地主大権現があるが、墓は昌幸のものだけであった。上記の2つの神社にも見られなかった。
今回、真田丸の遺跡を探して、三光神社から真田公園を回って裏側に位置する心眼寺の境内を訪ねたときに、偶然その幸村の墓に出会うことができた。
心眼寺境内にある真田信繁(幸村)公の墓碑(2016.9.26 撮影)
この墓碑の横に立てられている説明板には次のように書かれている。
「・・・真田信繁は、一般に「幸村」として知られる。しかし、現存最後とされる慶長二十年三月十九日付の書簡にも「左衛門佐信繁(さえもんのすけのぶしげ)」と署名があり、生前「幸村」と名乗ったことはなかったと考えられる。
徳川時代中期にあたる十八世紀のなかばごろには、「幸村」の呼称が流布していた。本墓碑は、生前の確実な”いみな”である「信繁」を採用した。
豊臣姓は秀吉が創始したもので、弟秀長や甥(のち養子)秀次ら親族のほか、毛利輝元や徳川秀忠(おそらく家康も)など有力大名も称した。
当寺は徳川時代より信繁の菩提を弔っている。信繁の四百回忌に際して、墓碑を建立する。
平成二十六年(2014)十月吉日 真田山 心眼寺」
ただしかし、この墓所も遺骨が埋葬されているものではなく、全国にいくつかある供養墓の一つであるらしい。幸村の本当の墓は見つかっていないということである。
さて、北陸新幹線の全線開通と長野善光寺の御開帳が重なって、昨年大いに賑わった軽井沢を含む沿線各地であるが、今年も引き続いてこの「真田丸」効果で和歌山、大阪と共に上田周辺もまた盛り上がりを見せている。
普段は大河ドラマを見ることがほとんどない私だが、今回は地元ということで1回目から欠かさず妻と一緒にこの大河ドラマを見たり、上田に出かけて展示物を見たりしている。
実は、これまでにも似たようなことが2回あった。広島県三次市に転勤・赴任していた1997年に、「毛利元就」が放送され、これを機に小説を読んだり、地元の史跡を訪ね歩いたことがあった。
ちなみに、勤務先企業がこのころ新設し、私もお世話になった独身者と単身赴任者用の社員寮の名前は「一心寮」であった。毛利元就の「百万一心」から採ったものである。
そして、その後転籍により新潟県上越市に移り住んでいた2009年には上杉景勝に仕えた上杉家の家老であった直江兼続(なおえかねつぐ)を主人公とする「天地人」が放送されて、これも1年間を通じて楽しく見ることになった。
しかし、昨年軽井沢を終の棲家と定めたので、もう多分これが最後で、これからはこんなドラマとの出会いはなさそうである。
この3府県はいずれも私には縁が深い。
先週から、高齢で一人暮らしをしている母を見守るために、大阪に来ているので、今回の通信は軽井沢を離れて、大阪からの通信となります。
大阪は私の生まれ故郷であり、大学卒業までを過したところである。九度山は父の生まれ故郷である。私も小さい頃からよく父に連れられて祖母が住んでいたこの地に行っていたし、夏休みには一人で出かけて祖母と一緒に過ごした懐かしい土地である。
久しぶりにこの九度山を訪れて、真田丸効果で賑わいを見せる真田庵に出かけた。
和歌山県九度山にある真田庵(2016.9.25 撮影)
真田昌幸公の墓は真田庵に設けられた墓地の中にあった。
真田昌幸公の墓地を示す案内板(2016.9.25 撮影)
墓地の中にある真田昌幸公の墓(2016.9.25 撮影)
真田庵の中には真田宝物資料館があり、昌幸、幸村にまつわる品々と共に、真田紐とその織機も展示されていた。ふるさとの上田地方からもたらされた技術によるものである。この真田紐は商品として二人の生活を支えるものでもあったようだ。
一方、幸村に関しては大阪により多くの史跡があった。
ドラマのタイトルにもなった真田丸(出城)が築かれたとされる場所近くにある三光(さんこう)神社には、幸村の立派な銅像(立像)が建てられていた。冬の陣では徳川方に大打撃を与えたといわれているので、この姿もうなずける。
三光神社境内にある真田幸村公の銅像(2016.9.26 撮影)
幸村の最期はその翌年の夏の陣で、場所は現在の安居(やすい)神社の境内とされている。そこにはもう一つの銅像(坐像)と、幸村戦死跡と刻まれた石碑があった。
安居神社境内の真田幸村公の銅像と石碑(2016.9.26 撮影)
真田幸村公の銅像(2016.9.26 撮影)
安居神社境内にある説明板(2016.9.26 撮影)
こちらの銅像の幸村の姿と表情はさすがに寂しさが漂うものであった。
その後、近くのアベノハルカスの最上階展望台に行ってみたが、この300mの高さから、安居神社を見ることができた。
アベノハルカスの展望階から見た安居神社周辺(2016.9.26 撮影)
ところで、幸村の墓所はどこであろうか。真田庵には昌幸、幸村と幸村の息子大助と三代の御霊を祀る真田地主大権現があるが、墓は昌幸のものだけであった。上記の2つの神社にも見られなかった。
今回、真田丸の遺跡を探して、三光神社から真田公園を回って裏側に位置する心眼寺の境内を訪ねたときに、偶然その幸村の墓に出会うことができた。
心眼寺境内にある真田信繁(幸村)公の墓碑(2016.9.26 撮影)
この墓碑の横に立てられている説明板には次のように書かれている。
「・・・真田信繁は、一般に「幸村」として知られる。しかし、現存最後とされる慶長二十年三月十九日付の書簡にも「左衛門佐信繁(さえもんのすけのぶしげ)」と署名があり、生前「幸村」と名乗ったことはなかったと考えられる。
徳川時代中期にあたる十八世紀のなかばごろには、「幸村」の呼称が流布していた。本墓碑は、生前の確実な”いみな”である「信繁」を採用した。
豊臣姓は秀吉が創始したもので、弟秀長や甥(のち養子)秀次ら親族のほか、毛利輝元や徳川秀忠(おそらく家康も)など有力大名も称した。
当寺は徳川時代より信繁の菩提を弔っている。信繁の四百回忌に際して、墓碑を建立する。
平成二十六年(2014)十月吉日 真田山 心眼寺」
ただしかし、この墓所も遺骨が埋葬されているものではなく、全国にいくつかある供養墓の一つであるらしい。幸村の本当の墓は見つかっていないということである。
さて、北陸新幹線の全線開通と長野善光寺の御開帳が重なって、昨年大いに賑わった軽井沢を含む沿線各地であるが、今年も引き続いてこの「真田丸」効果で和歌山、大阪と共に上田周辺もまた盛り上がりを見せている。
普段は大河ドラマを見ることがほとんどない私だが、今回は地元ということで1回目から欠かさず妻と一緒にこの大河ドラマを見たり、上田に出かけて展示物を見たりしている。
実は、これまでにも似たようなことが2回あった。広島県三次市に転勤・赴任していた1997年に、「毛利元就」が放送され、これを機に小説を読んだり、地元の史跡を訪ね歩いたことがあった。
ちなみに、勤務先企業がこのころ新設し、私もお世話になった独身者と単身赴任者用の社員寮の名前は「一心寮」であった。毛利元就の「百万一心」から採ったものである。
そして、その後転籍により新潟県上越市に移り住んでいた2009年には上杉景勝に仕えた上杉家の家老であった直江兼続(なおえかねつぐ)を主人公とする「天地人」が放送されて、これも1年間を通じて楽しく見ることになった。
しかし、昨年軽井沢を終の棲家と定めたので、もう多分これが最後で、これからはこんなドラマとの出会いはなさそうである。