軽井沢からの通信ときどき3D

移住して11年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

ミヤマカラスアゲハの孵化と羽化

2024-10-25 00:00:00 | 
 昨年の今頃、ミヤマカラスアゲハの卵だと思って孵化の様子を観察し、そのまま飼育し続けてきた幼虫が終齢になったところで、意外にもカラスアゲハであったことに気がついて驚かされたことがあった。

 この卵は自宅庭のキハダの葉に絡みついていたツル性の植物に産んであったもので、ミヤマカラスアゲハだと思い込んでいたのであった。

 今年もまた同じキハダの木に卵が産みつけられていて、数は昨年より多くなった。これは、すぐそばに植えているクサギが成長し、昨年より多くの花を咲かせ、たくさんのアゲハ類を呼び寄せたからに違いなかった。

 親チョウが産卵するところを目撃したわけではないので、これらの卵がミヤマカラスアゲハのものか、昨年のようにカラスアゲハのものかは幼虫が成長してみないと判らない。今年は全部で9個の卵と6匹の幼虫を見つけ、採集して室内で観察・飼育した。

 9月20日のブログでその途中経過を書いたが、結果、終齢まで飼育して判ったことであるが、これらはすべてミヤマカラスアゲハであった。

 採集した時の卵の外観は異なっていて、まだ全体に白っぽく黒点が見えるものと、全体が黒ずんでいて、中の幼虫の頭部らしいものが確認できるものとがあった。

キハダの葉裏で見つけたミヤマカラスアゲハの卵 1/2(2024.9.4, 14:54 撮影)


キハダの葉裏で見つけたミヤマカラスアゲハの卵 2/2(2024.9.4, 19:10 撮影)

 昨年カラスアゲハの卵を孵化させた時の経験から、このように黒くなっているのもはすぐにも孵化すると判断して、早速撮影に入った。

 ミヤマカラスアゲハの卵からの孵化の様子を観察・撮影したのは今回が初めてであるが、次のようである。最初の映像は30倍タイムラプスで撮影したもので、後半はキハダの葉が乾燥したために撮影中に動いて、幼虫の姿が画面からはみ出してしまったが、孵化後の幼虫が卵の殻を食べてしまう様子が撮影できた。

 
ミヤマカラスアゲハの孵化① (2024.9.4, 23:56 ~ 9.5, 6:19 30倍タイムラプス撮影後編集)

 次は、別の卵が孵化する様子を実時間で撮影した映像で、前後部分は30倍タイムラプスで撮影したものを編集してつなぎ合わせたもの。この個体も孵化後卵の殻をきれいに食べてしまった。

 
ミヤマカラスアゲハの孵化② (2024.9.5, 8:55 ~ 9.5, 10:28 通常撮影と30倍タイムラプス撮影後編集)

 例年であれば、これらの幼虫が脱皮して齢を重ねていくところをビデオ撮影するのであるが、今年はいつものような気力がなく、漫然と飼育してしまった。そして、幼虫が次々と終齢になるのを見届け、前述の通りすべての幼虫がミヤマカラスアゲハであることを確認した。

 最初に終齢になった個体の外観は次のようであった。





ミヤマカラスアゲハの終齢幼虫(2024.9.19 撮影)

 上の写真の個体は頭部のまだら模様の色が特に濃いようであるが、ほぼ同じ時期に終齢になった他の個体を見るとこの部分の濃さの違っているものもいる。

同じ頃に終齢になった3匹のミヤマカラスアゲハ(2024.9.19 撮影)

 この3匹の内、早いものは飼育ケースの壁面で9月26日に前蛹になり、翌々日には蛹になった。

ミヤマカラスアゲハの前蛹(2024.9.26 撮影)

 幼虫が脱皮するところを逐次確認できたのではないので、成長の記録としては不完全であるが、飼育結果は次のようであり、 最終的に蛹が6匹得られた。これは、これまで何種類かのチョウの幼虫の飼育を行ってきた中でも、無事蛹になった割合は低い結果であった。

 卵から蛹になったもの・・・・・・・3
 卵から孵化後幼虫が死んだもの・・・3
 卵が孵化しなかったもの・・・・・・3
 幼虫採集後蛹になったもの・・・・・3
 幼虫採集後死んだもの・・・・・・・3

 来春までの長い眠りについたと思い、蛹化後も、そのまま室内に置いておいたところ、中の1匹が、10月14日にまさかの羽化をして、ケースの中で羽ばたいているのを見つけた。美しい♀のミヤマカラスアゲハであった。 

 軽井沢の外気温はすでに低くなってきていて、季節外れの羽化で、放したとしても仲間と巡り合うこともないだろうと思い、羽化した成虫と、残りの蛹とを屋外のケージに移し、成虫には咲き残っていたクサギの花を与えそのまま飼育していたところ、9日後10月23日には更にもう1頭が羽化した。傍らの2匹の蛹もやや黒く変化していて、羽化が迫っていると感じさせた。

 3匹目の蛹は順調に見えたが、直前で羽化が止まってしまった。4匹目は3匹目を追い越して先に無事羽化し、またも♀が誕生した。そして、3匹目がようやく羽化したが、翅が伸びないまま固まってしまった。

室内の飼育ケース内で最初に羽化したミヤマカラスアゲハ♀(2024.10.14 撮影)


屋外の飼育ケージで2番目に羽化したミヤマカラスアゲハ♀(2024.10.23 撮影)


直前に室内に取り込み3番目に羽化したミヤマカラスアゲハ♀(2024.10.24 撮影)

 これまでにもミヤマカラスアゲハの終齢幼虫を小諸のMさんから頂いて蛹化させたり、カラスアゲハの卵を庭で採集して蛹になるまで育てたことがあったが、これらの蛹はすべて冬を越して翌年春に羽化していった。

 今回も夏型の成虫が産んだ卵や幼虫を採集して蛹化させたので、ほぼ同じ条件と思われたのであったが、どうした訳か今回のミヤマカラスアゲハはすでに6匹の蛹のうち3匹が羽化して成虫になり、1匹は羽化途中で成長が止まってしまい、ようやく蛹の殻から抜け出したものの翅は伸びないままであった。いったい今回は何が起きたのだろうかと思っている。

 
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森村 桂さん

2024-10-18 00:00:00 | 日記
 軽井沢町町制施行100周年を機に、軽井沢町教育委員会が1968年から発行し、12版を重ねてきた「軽井沢文学散歩」が装いも新たに新編となり昨年発刊された。

 当ブログでも紹介してきた明治・大正生まれの多くの作家がここに紹介されているが、その中に昭和生まれの作家も含まれるようになっていて、その一人、森村桂さんの名前も登場している。


「新編 軽井沢文学散歩」(2023年、 軽井沢町教育委員会発行)の表紙

 この「軽井沢文学散歩」の中で、森村桂さんは「南軽井沢エリア」の項で紹介されている。それは彼女がこの地区に「アリスの丘」ティールームを開いていたという関係からである。

 著書「アリスの丘の物語」(1984 角川書店)からの引用として、次の文が紹介されていて、軽井沢とゆかりのある近代の作家と言えるだろう。

 「北窓から何気なく外を見たとたん、息をのんだ。
 左ななめの浅間山、あの、いつも青黒くあずき色っぽかった、私には一つも美しいとはいえなかった浅間山に、うっすらと雪がかかり、まるで、モンブランのようなのだ。
 何と、お前が・・・・・、こんなにも、白鳥の羽のように、やさしく、きれいだったとは・・・・・。
 〈中略〉
 『すてきよ、とてもきれいよ』
 軽井沢は幼いころからなじみのあるところだった。でも今のような思いで浅間山を見たことがあるだろうか。あの初雪の白さが、陽のかげんだろうか、淡いバラ色にでもそまりそうな、神秘的なやさしい色になっているのである。」

 この森村桂さんが見たという浅間山はこんな風だったのだろうか。

朝焼けの浅間山と満月(2023.11.29 筆者撮影)

 森村桂さんと言えば、我々の年代の者にとってはデビュー作「違っているかしら」(1966年 オリオン社発行 )に続く2作目「天国に一番近い島」(1966年 学習研究社発行)が強く印象に残っている。

 当時、大学同級のNさんがこの本のことを紹介してくれた時の様子が今も思い出される。

 その後、前記2作品を原作として、NHK朝の連続テレビ小説「あしたこそ」(1968.4~1969.4 橋田寿賀子脚本)が作られるなど、「天国に一番近い島」は最終的には200万部を超える大ベストセラーとなった。

 さらに、「違っているかしら」と「天国に一番近い島」は映画化もされている。
 □ 私、違っているかしら(1966年、監督:松尾昭典、主演:吉永小百合)
 □ 天国にいちばん近い島(1984年、監督:大林宣彦、主演:原田知世)

 そんな森村桂さんが南軽井沢に手作りのケーキとジャムの店「アリスの丘」を開いたのは1985年のこと。

 開店当初のこの店については、
 「アリスの丘のケーキ屋さん」(1986年、中央公論社刊)、
 「桂のケーキ屋さん」(1986年、)、
 「忘れんぼのバナナケーキ」(1986年、ハーレクイン・エンタープライズ日本支社刊)などに見ることができる。

 その後もこの店やケーキ作りについての次のようないくつかの著書がある。

 「桂のクッキー屋さん」(1989年、)
 「皇太子の恋にささげたウェディングケーキ」(1993年、青春出版社)
 「桂のマイケーキ」(1994年、)
 「アリスの丘のお菓子物語」(2004年、海竜社刊)

 軽井沢の地元新聞社が発行している季刊雑誌「ヴィネット」には店の開店まもなくから森村桂さんのエッセイが寄せられていて、1989年からは「アリスの丘からこんにちわ」(1989年~1998年)の連載も行われていた。

 休止期間もあったようだが、2004年に「新連載」と題してエッセイが再開されて間もなくの2005年春号に、突然「森村桂さん死亡」とする編集長の広川小夜子さんの記事が書かれた。次のようである。

 「軽井沢取材日記㉖ 
 『天国に一番近い島』で知られる作家、森村桂さんが天国へと旅立った。アッといわせるいでたちで編集部を訪れた7月上旬、とても元気な様子に見えた。 それから2ヶ月、いったい、桂さんに何があったのか・・・。

 『森村桂が本日亡くなりました』と夫のM一郎さんから電話を受けたのは平成16(2004)年9月27日のこと。それは突然の信じられない出来事だった。・・・
 長い間、入退院を繰り返し治療を続けていた森村桂さん・・・元気を取り戻したのは、平成15(2003)年8月下旬、13年ぶりに天皇皇后両陛下が軽井沢を訪問されたことがきっかけだった。美智子皇后からケーキの注文を受け、スタッフに『皇后様のケーキは桂さんが焼かなくてはいけないですよね』と言われ、・・・桂さんはハッとしたという。そして心をこめて作り、滞在されているホテルにお届けした。その時、美智子様の嬉しそうな様子に桂さんの心は病から立ち直ったのだった。・・・」

 病から立ち直った後、2004年春号から「森村桂のエッセイ・アリスの丘からこんにちわ」が新連載として始まり、第1回のテーマは「皇后さまと思い出のお菓子」であった。

 続いて2004年夏号には第2回「九ちゃん、また、夏が来たよ!」というタイトルで、仲良しだった坂本九さんのことを書いた。九ちゃんを忘れないようにと「忘れんぼのバナナケーキ」を作るようになったのだという。このエッセイの最後に ー 今年も九ちゃんの命日に、今では名物になった「アリスの丘」の”忘れんぼのバナナケーキ”をモチ網にのせて持ち、御巣鷹山に向かって「上を向いて歩こう」を歌うだろう ー これが桂さんの遺稿になった(一部上記「軽井沢取材日記」㉖ からの引用)。 

 私は森村桂さんの著書の読者ではなく、私が軽井沢に移り住んだのは2015年のことで、森村桂さんはすでに亡くなった後のことであったし、「アリスの丘」もすでに閉じられていたので、ご本人や店との軽井沢での接点はない。

 子供のころからよく軽井沢に来ていて、義母と「アリスの丘」にも行ったことがあるという妻から、店のあった場所近くを車で通りすぎるときに、折に触れて話を聞くだけであった。ただ、学生時代にNさんから聞いた「天国に一番近い島」の作者としてのイメージは強く印象に残っていた。

 今年になって、「軽井沢新聞」に次のような記事が載った。

 「森村桂さん、浅間山麓に眠る

 『天国に一番近い島』で知られる作家、森村桂さんの納骨式が7月19日、西軽井沢の向原霊園で行われた。森村さんが亡くなったのは平成16(2004)年9月だが、夫の三宅一郎さんが身近に置きたいと遺骨を自宅に持ち続けていた。 
 三宅さんが亡くなった後、親族は長く生活していた軽井沢で二人を眠らせてあげたいと考えて場所を探し、樹木に囲まれたこの環境を選んだ。
 墓石には二人の名を刻み、その横には森村さんが描いた自画像とアリスの丘の文字、猫のプーさんのイラストを彫刻した石が置かれている。・・・(軽井沢新聞、2024年8月号から引用)」

 霊園のある場所は、「アリスの丘」から西方に約6キロ離れた場所である。佐久平方面に出かける時にはよく通っている抜け道の道路からもほど近い場所にある。
 
 先日、妻とこのお墓に立ち寄ってみた。管理人のいない人気のない霊園であったが、それほど広い所ではないので、お二人のお墓はすぐに見つかった。いかにも桂さんらしく、彼女が笑顔で語りかけてくる姿が思い浮かぶようなお墓であった。

森村桂さんと三宅一郎さんの墓(2024.9.17 撮影)

森村桂さんと三宅一郎さんの墓(2024.9.17 撮影)


墓石脇の石に刻まれた自画像、アリスの丘、ネコのプーさん(2024.9.17 撮影)

 「アリスの丘」は取り壊され、更地になってしまい、森村桂さんが軽井沢にいたという記憶も消えてしまいそうであるが、ヴィネットに載ったエッセイを読んでいると、彼女が軽井沢に残したものが、お墓のほかにもいくつかあることが知れる。

 「アリスの丘」の前面道路である軽井沢バイパスに架かる3つの橋にはそれぞれ親柱に森村桂さんが描いた4枚のエッチングのプレートが配置されている。橋両側の中央部にもそれぞれ次の解説板が設けられていて、今はだいぶ読みにくくなっているが文面は次のようである。

 「メルヘン橋
 軽井沢バイパスには三つの橋があります。この度、橋の改修工事にあたり、何か軽井沢らしいイメージをと、軽井沢在住の作家 森村桂さんにお願いして、『緑よ水よ森の動物たちよ永遠に』をテーマに『森のプーさんの見た夢』12点の絵童話によるエッチングを親柱に配しました。散歩やサイクリングのあいまに、軽井沢を舞台に生れた森の動物たちのメルヘンの世界をお楽しみ下さい。
                               建設省長野国道工事事務所」


橋に設けられた森村桂さんのエッチングの解説板(2024.10.16 撮影)

 このエッチングの制作年についての記載はないが、軽井沢バイパスが緑化工事も含めて完成したのが1987年で、「アリスの丘」の開店が1985年であるから、ちょうどこの間に制作されたものと推測される。説明版の文字同様、エッチングの絵も文字も一部かなり読みにくくなっているが、今も健在である。


「雨宮橋」のエッチングプレート①花の枕でスヤスヤと(2024.10.16 撮影)

「雨宮橋」のエッチングプレート②幸せのウディングケーキ(2024.10.16 撮影)


「雨宮橋」のエッチングプレート③木さんは天才(2024.10.16 撮影)

「雨宮橋」のエッチングプレート④雪をよぶお菓子(2024.10.16 撮影)

「湯川橋」のエッチングプレート⑤魔法のじゅうたん(2024.10.16 撮影)

「湯川橋」のエッチングプレート⑥ぶどうの季節(2024.10.16 撮影)


「湯川橋」のエッチングプレート⑦くまさんは冬眠(2024.10.16 撮影)


「湯川橋」のエッチングプレート⑧誰がおいたか金の露(2024.10.16 撮影)


「鳥井原橋」のエッチングプレート⑨皇太子の恋(2024.10.16 撮影)


「鳥井原橋」のエッチングプレート⑩こわい山道(2024.10.16 撮影)


「鳥井原橋」のエッチングプレート⑪星をまく人(2024.10.16 撮影)

「鳥井原橋」のエッチングプレート⑫しょうにゅうどうのお姫さま(2024.10.16 撮影)

 以上紹介した「アリスの丘」ティールーム、メルヘン橋のエッチング ①~⑫、お二人の墓の場所は次のようである。

 「アリスの丘」ティールーム、メルヘン橋のエッチング ①~⑫、お二人の墓の概略地図

 このエッチングのほかに、軽井沢駅の改札口脇には桂さんが描いた、畳4枚分の大きな壁画があった。この壁画制作時のことはエッセイに書かれていて、次のようである。

プーさんの壁画描き
 軽井沢駅のホームで、ガタガタふるえながら”壁画”を描いていたら、子供たちの澄んだ声がひびいてきた。
 『わあ、きれい!』『かわいい!』『うまい』『がんばってください』
 あまりその声が続くので、うれしくて、『ありがとう、どこの学校?』
 『柏四小です』
 『柏!?』
 私はびっくりした。はじめて絵童話展をしていただいたのが柏なのだ。
 その、同じ柏の子供達が、この壁画を励ましてくれるなんてーーー。

 おととしの夏、うっかり、躁状態で引き受けてしまったものの、板にいきなり描き出しちゃったものだから、長雨でカビがはえたり、雪がふきこんで、色が後退したりあせたりしてさんざんだった。・・・
 1年後の春、ようやく・・・仕上げにかかることにした。・・・何とか完成。
 今度は、・・・額が気になってきた。洋画の友達が、額も模様にしちゃえば、と言ってくれたので、ぶどう唐草を描こうとしたが、描いても描いてもしみこんでしまう。
 『駄目だよ、ペンキ塗ってからじゃなきゃ』・・・
 さて、ペンキを塗るには、絵を寝かせなければならないという。駅員さんに頼んだところ、『困ったなあ、駅長が今日は出ちゃって。駅長がいちばん力持ちなんだ』・・・
 『すみません、どなたか手伝って・・・』 と、ちょうどホームに来た人に呼びかけた。と、すてきな紳士が二人、スッと近寄って加わって下さり、壁画が動いた時は感動した。
 友人が、額にこげ茶のペンキを塗ってくれ、私はその上に、アリスの丘の天井の梁に描いたと同じ白ペンキで、ぶどう唐草様のものを描いた。・・・
 さて、額を描き上がったら、今度は額だけが目立ってしまった。ではと、森の小人を登場させることにした。・・・

 六時すぎ、これ以上遅くなっては、駅員さんたちの数が少なくなり、もう、もとにもどせなくなるので、止めることにした。
 しかし、あまりの冷えのせいか、同じ姿勢だったせいか、立ち上がりはしたものの、まるで内臓が全部脚に落ちてしまったようで、歩くことがうまくできない。
 『うわあ、まだ、いたんですか』 
 アリスの丘の仲間たちだった。・・・」(「軽井沢ヴィネット」1992年 SUMMER号 より引用)

 壁画は、新幹線開通に伴い駅舎が新しくなった時に取り外され、桂さんの自宅に保管されていたというが、ご主人の三宅一郎さんが亡くなってからは別の場所に保管されているので今は見ることができない。


 
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アサギマダラの孵化とイケマ

2024-10-11 00:00:00 | 
 昨年、小諸のMさんからアサギマダラの幼虫を分けていただき、飼育して最終的に羽化するところまでを撮影・記録することができた。この時、来年はぜひ卵から孵化するところも観察・撮影したい旨Mさんに話していた。

 今年、ミヤマシジミの観察にMさんのバタフライガーデンを訪問した時、Mさんは前年の私の話を覚えていて、アサギマダラの卵を探しに行きましょうと誘っていただいた。

 昨年、アサギマダラの幼虫を飼育をする際に、食草のイケマの生育場所を教えていただいていて、今回はまずその場所に向かった。イケマはたくさん見つかり、ひとつひとつ葉を裏返してアサギマダラの卵を探して歩いたが、ここでは見つけることができなかった。

 そこで、別の場所に移動し、イケマを探し出して、同じように丹念に葉裏を見てあるいたところ、Mさんが1卵を見つけた。その後、さらに場所を変えて随分多くのイケマを見て歩いたが、結局この日は先にMさんが見つけた1卵だけで、私は全く見つけることができなかった。

 これは、時期がまだ少し早かったからかな・・・とはMさんの話である。この1卵を受け取り、自宅に持ち帰り観察・撮影が始まった。食草のイケマは昨年数株を堀取って持ち帰り、鉢植えにしてあって、それが今年春になり芽を出していて、葉も出始めていたので餌の確保は問題なさそうであった。

 採集した卵は次のようであり、透明感のある白い砲弾型で、縦に筋が見られる。

イケマの葉裏に産み付けられたアサギマダラの卵(2024.6.14, 18時、採集後撮影)

採集翌日のアサギマダラの卵(2024.6.15, am 5時 撮影)

 翌日早朝時点では変化がなかったが、夕方には黒化し、中で幼虫の動きも感じられるようになった。そのまま撮影を続けると、夜に孵化が始まった。次のようである。


黒く変化し、中で動きが感じられるようになる(2024.6.15, 21:53 撮影)

 
アサギマダラの孵化(2024.6.15, 21:57 ~ 22:04)

 幼虫が卵の殻を食べてしまうかどうかを見ていたが、その様子はなく、孵化後は何も食べずに過ごし、約7時間後に卵のあった場所近くのイケマの葉の表面を齧るようにして食べ始めた。

卵の殻のすぐそばでイケマの葉を齧る1齢幼虫(2024.6.16, am4:45 撮影)

 孵化後約1日経つと幼虫には特有の模様も見え始め、イケマの食痕も大きくなった。


アサギマダラの1齢幼虫とイケマの葉にあいた食痕(2024.6.16, pm23時 撮影)

 1齢幼虫は順調に育っているように見え、孵化直後には白灰色であったものが、次第に特有の縞模様も濃くなり、やがて2齢への脱皮の時期を迎えた。

 脱皮も順調に見えたが、脱皮し終わった直後幼虫に異変が起きた。残念なことに、今年の飼育は2齢になったところで終わってしまった。

 この頃、小諸のMさんから電話があり、我が家近くに来ているのだという。理由を聞くと、近くのT小学校の理科担当の女性教師からアサギマダラの幼虫を飼育しているが、食草のイケマが足りなくなってきたので、協力してほしいと人づてに依頼され、山に行ってイケマを採集して持参したところであった。

 この日、私は仕事もあり同行できなかったが、この話を聞いて、自治会で一緒に仕事をしていて、小学校の放課後の生徒の見守りをしているH女史にこのことを伝え、我が家にもイケマの鉢植えがあるのでよかったら提供しますと、その女性教師を探して伝えてもらった。お名前はT先生だと教えていただいた。

 さっそく翌日になって、そのT先生から電話連絡があり、今は餌のイケマは足りているが、そのうち校庭の一角にチョウの飼育のためのコーナーを作るので、その時に改めてお願しますということであった。

 その電話がかかってきたのは、9月下旬であった。校庭の準備ができたので、イケマを届けてもらえないか、子供たちがお手紙を用意して待っています・・とのことである。我が家の鉢植えのイケマは葉の色がやや黄ばんできてはいるが、まだ元気な様子である。早速日程を打ち合わせて届けることになった。

 小学校の昼休みが過ぎたころ、車にイケマの鉢植えを載せ、妻と小学校に向かった。駐車場に車を停めて校舎の入り口に向かうと、ちょうど中から一人の若い先生が出てきて私の名前を確認した。T先生であった。

 私が車にイケマの鉢植えを取りに行って戻ってくると、二人の女子生徒が先生と一緒に待っていて、アサギマダラの飼育担当だと挨拶をしてくれて、用意してあった手紙を手渡された。授業を抜けてきたとのことで、すぐに先生も生徒たちとも別れたが、私たちからは、妻の用意したチョウの形に切り抜いた色紙や、我が家のブッドレアにやってきたアサギマダラの成虫の写真と、幼虫から飼育した時に撮影した蛹の写真を絵葉書にしたものをプレゼントした。

 家に帰って女子生徒から受け取った手紙を読んだが、「ぶじにイケマとアサギマダラが育ったら見に来てくれるとこうえいです。」とある。来年、アサギマダラが、このイケマに産卵のために飛来することを楽しみに待ちたい。当地の小学生にチョウなど昆虫好きの生徒がいることも判り、嬉しく思ったのであった。


 2人の女子生徒からの手紙

 

 

 

 
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コスモス

2024-10-04 00:00:00 | 日記
 そろそろ見ごろを過ぎているが、今の季節、各地のコスモス園はこの花を愛でる人たちでにぎわったことだろうと思う。軽井沢周辺では国道254号線の佐久市内山地区区間の道路沿いの両側に 10㎞ほどにわたってコスモスが植えられていて、「コスモス街道」と呼ばれている。

 9月になると、このコスモスの花が咲き、道路を走る多くの人々の目を楽しませる。道路沿いに咲くコスモスは車窓から眺めるだけになるが、休耕地を利用して広い農地一面にコスモスを育てている場所もあり、ここには駐車場も整備されているので、ゆっくりと花を眺めたり、写真を撮ったりする人で賑わう。

 この地域にはもう1か所コスモスを栽培している場所がある。内山牧場のキャンプ場に隣接する「大コスモス園」である。ここに行くには国道254号線からそれて北上することになるが、名前の通り丘陵地一面に咲くコスモスが見事である。

コスモス街道と大コスモス園の周辺概略地図

 コスモスの花とは別に、私にはもう一つの”コスモス”がある。母の実家の姓にちなんでつけられた「コスモス会」という名前のいとこ会である。少し前に、このいとこ会のメンバーの家族から「日本一」が誕生したことを当ブログで紹介したが、そのいとこ会の集まりが今年も開催されることになった。

 今年は、我々いとこの親世代の叔母が102歳を迎えることとなり、その叔母の誕生日祝いも兼ねて大阪で開催されることになった。

 私は都合で昨年のいとこ会に参加することができなかったこともあり、幹事役のSさんから余興として何か軽井沢の話をしてもらえないかと依頼があった。何事にもNOと言わないことを旨としているので、この時も快諾したが、さて何を話そうかと考えてしまった。

 数年前には、いとこ会の会場でネット接続し、私のブログ記事からチョウの羽化シーンなどをスクリーン画面に映し出して、紹介したこともあった。 
 その時は時間的な余裕もあり、設備も整っていたからできたのであったが、今回はそうした設備のないレストランでの食事会であり、口頭での話に限られていた。

 はじめは、最近のブログ記事から、ペンローズ・タイルの話をして、きれいなペンローズパターンを絵葉書にして配ろうと考えていた。しかし、これは妻の反対にあった。せっかくの食事がまずくなるのではないかとの懸念からであった。

 それではと、ちょうどTVのニュースで紹介された上記「コスモス街道」と「大コスモス園」に行って、いとこ会の名にちなんだコスモスの花の写真を撮り、絵葉書にして皆にプレゼントしようということに決めた。

 軽井沢から現地までは、妙義荒船林道があり最短コースとなっているが、数年前に台風19号の被害に遭ってからは通行止めになっていたこともあり、その後の様子が判らなかったので慎重を期して別ルートを選んだ。

 迂回ルートには下仁田経由と佐久経由とがあるが、今回は通いなれた佐久市を回ることにした。先ず内山牧場を目指し、そのすぐそばにある「大コスモス園」を訪れた。このあたりからは荒船山の「くじら」のような姿が望める。

内山牧場から見える荒船山(2024.9.18 撮影)

 ここのコスモスはまだ少し早いようであり、事前に写真で見たほどの花数ではなかったが、広大な丘陵地にコスモスが植えられていた。


大コスモス園(2024.9.18 妻撮影)

大コスモス園(2024.9.18 撮影)

コスモスの花(2024.9.18 妻撮影)

 続いて国道254号まで南下し、途中コスモス街道の花を楽しみながらコスモス畑に向かい、駐車スペースに車を停めた。ここには臨時の野菜などの販売所も設けられていて、妻が買い物をしている間に私はコスモスの花の写真を撮った。


コスモス畑から妙義山を望む(2024.9.18 撮影)

 頭の中で描いていたものとは違って、コスモスの花色と花びらの形は随分多様である。青色のものはさすがにないが、黄色のコスモスもあり、何故かこの黄花にはミツバチがよく訪れていた。

 こうして2か所で撮影した様々なコスモスの花の写真を絵葉書にして「コスモス会」に備えた。この絵葉書の評判はご想像にお任せすることとするが、幹事のSさんから頼まれた「軽井沢だより」の話を無事務めることができた。

 以下、絵葉書に採用したコスモスの花の数々である。














コスモスの花色と形の数々(すべて2024.9.18 撮影)




 
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