軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

川端康成別荘解体

2021-09-24 00:00:00 | 軽井沢
 以前当ブログで紹介したことがある(2019.12.20 公開)川端康成の軽井沢別荘が、ご家族から不動産業者に売却され、建物の解体が予定されているという情報が届いたのは7月末のことであった。

多くの木に囲まれ、敷地の最奥部に建てられている川端別荘(2019.9.17 撮影)

 このニュースは8月2日発行の信濃毎日新聞でも取り上げられ、別荘のそばにたたずむ在りし日の川端康成の写真(1959年8月撮影)、現在の別荘の写真、別荘の所在場所を示す地図などと共に、次のように伝えた。

 「川端康成創作の場解体危機
 『貴重な文化遺産失う』危惧の声
  軽井沢旧別荘 保全の動き無ければ『来月着手』
 北佐久郡軽井沢町にある、ノーベル文学賞作家の川端康成(1899~1972年)が所有した別荘が、取り壊しの危機にあることが1日、分かった。現在、別荘を所有する神奈川県内の不動産会社の関係者が7月下旬、別荘周辺の住民に9月からの解体作業着手を伝えた。町内の文化団体や文学愛好家からは『解体されれば、町の貴重な文化遺産が失われる』と危惧する声が上がっている。」

 川端康成別荘は、以前紹介したように、万平ホテルの裏手桜の沢、通称「幸福の谷」(ハッピーバレイ)にあり、1000平方メートルを超える敷地に立つ。道路からは急斜面を上ったところにあり、傾斜地を利用していて、玄関正面からは2階建てに見えるが、裏側に回ると3階建てになっている。信濃毎日新聞の記事によると、「木造2階建てで、延べ床面積約140平方メートルの建物。」とされる。

 また、「夏場を中心に滞在し、軽井沢も舞台として登場する小説『みづうみ』や、随筆『落花流水』などを執筆。上皇ご夫妻は皇太子夫妻時代に訪れた。
 川端の死後、別荘には養女の夫の香男里さんらが訪れていたが、香男里さんは今年2月に死去。6月下旬、別荘は神奈川県内の不動産会社に売却された。」という。

 不動産会社は今後の対応については、「『きちっと決まっているわけではない』とし、建物を保全する形での購入を希望する人が現れた場合は『解体するかどうかも含めて協議したい』と述べた。」と報じている。

 こうした状況に対して、8月上旬、地元軽井沢の諸団体と別荘地のある旧軽井沢区自治体から町議会議長に保存を求める請願書がに提出された。請願書提出団体は次のようであった。

 ・軽井沢文化遺産保存会 
 ・軽井沢ナショナルトラスト
 ・軽井沢別荘団体連合会
 ・軽井沢女性会
 ・軽井沢近代史研究会
 ・旧軽井沢区

 この内、別荘文化の保全に取り組む「軽井沢文化遺産保存会」の会長増淵宗一・日本女子大名誉教授の談話も2日の信濃毎日新聞に掲載されており、次のようである。
 「『川端康成は軽井沢と縁が深い人物で、残すべき価値のある別荘。残すべき建築物を定めるなど、官民一体で取り組んでいく時期に来ている』と訴えている。」

 このほか、8月下旬には軽井沢観光協会、軽井沢観光ガイドの会からも町長に対して保存を求める要望書が提出され、その様子が地元の情報誌「軽井沢新聞」に写真入りで報じられていて、町長の談話として「川端別荘は行政が残さねばならない建物の代表格」として保存への前向きな姿勢を打ち出していたと報じた。

 前出の信濃毎日新聞には軽井沢町藤巻町長の「特定の作家の別荘などで、町が(購入や仲介に)動いたことはなく、今回は同様の対応としたい」とする説明と共に、「貴重な文化資源との思いはある。町内の団体などの仲介で、建物保全へ向けた流れができることを期待する」とする談話が報じられていることから、各種団体はこうした町の方針に望みを託したものと思われる。

 町側はどう動いたか。次回定例会議は9月16日とされていた。請願書の審議はここで行われる。これでは請願書を提出したとしても9月初旬にも始まる予定の解体を止めることはできないことは明らかであった。

 8月26日の軽井沢町議会9月会議、本会議終了後の全員協議会で、ノーベル文学賞作家川端康成(1899-1972年)の旧別荘について、議員から町の考えを尋ねる質問が相次いだ。
 考えを尋ねられた町長は「行政が残さないといけない建物があるとすればほんのわずか。・・・川端康成の一つの足跡が、町として残せるなら残したい考えはある」と、所有者の理解を得た上で保存を検討する意志を示した。また、現地での保存は難しいとし、「見やすい場所へ移築することも考えられる」と見解を述べたという。(ニュース軽井沢)

 議会への請願書を提出していた6団体は、こうした町長の意向を受け請願を取り下げた。議会決議を待つと、日程的に解体の可能性が高まることも取り下げの理由だった(軽井沢新聞)。

 9月6日には、町議会社会常任委員会は請願書を提出した団体からのヒアリングを予定していたが、これも中止された。
 
 そして9月2日、藤巻町長は自ら川端別荘を所有している不動産会社に電話連絡をして、対応に出た本部長に、町として移築保存する意向があることを伝え、行政手続き等にかかる時間の猶予を求めたが、交渉は決裂し、解体が進められることになったことが判明した。

 6日の町議会社会常任委員会の場で、町長から、この間の経緯の説明が行われるとの情報が伝えられ、この日傍聴席には、請願書を提出した団体関係者と報道陣が詰めかけた。

 
軽井沢町議会社会常任委員会の様子(2021.9.6 許可を得て撮影)

 主要事項審議の後、「その他」として、同席した町長から川端別荘解体に関する報告が行われたが、次のようであった。

 「16日の町議会を待たず、2日の午後、所有者の本部長に電話で、川端別荘保存の申し入れを行い、歴史的・文化的に重要なものであり、町として保存をしたいことを伝え、所有者の意向を聞いた。
 町側は、OKになった場合、予算化・議会議決を行う予定であることを伝えたが、先方本部長からは、金融機関からの借り入れがあり、解体予定が延長になればその間の金利発生があることや、数カ月間の工事延長要望は、両者のスピード感が異なり、要望には応じられないとの回答があった。
 川端別荘を第三者に売却するとの噂があるということに関しては、答えられないという回答があり、これ以上どうにもならないと判断し、写真撮影・間取り図作成の調査を申し入れ、今後数日かけて調査を行うこととした。
 不動産業者からは、敷地への立ち入りは不法侵入にあたるので、気を付けてほしいとの発言があった。現地確認では、内部の荷物の搬出、窓枠の取り外しが行われていた。
 別荘保存に関しては、①所有者の理解、②(解体・復元のための)資金が必要であり、行政としての難しさがある。」と締めくくった。

 この報告に対して、議員との間でいくつか質疑が行われたが、次のようであった。

Q:写真撮影・間取り調査は不法侵入に当たらないか。
A:町の活動は許可を得ている。
Q:1日の荷物・窓枠の搬出の際、中にカビの生えた書籍があったと聞くが。
A:廃棄されたのではと思う。
Q:価値は不明だが、入手して調査しないのか。
A:調査し、役立てることができ、寄贈していただければ考える。
・・・
 この町議会の様子は翌7日の各社新聞でも報じられ、読売新聞の長野地域面では次のように伝えた。
 
 「軽井沢町 川端康成別荘解体へ
 所有者了解得られず 移築保存断念
 小説『伊豆の踊子』などで知られ、ノーベル文学賞を受賞した川端康成(1899~1972年)の創作活動の場にもなった軽井沢町の別荘が今月中にも解体されることがわかった。住民有志が保存運動を展開し、町は移築して保存する道を模索していたが、所有者側の了解を得られず、6日の町議会で藤巻進町長が『保存断念』を表明した」

 また、2日発行の信濃毎日新聞以後の新たな情報として、ここでは次のような内容も見られる。

 「川端の死去以降、養女が長らく所有していたが、神奈川県下の不動産会社に6月、所有権が移転した。『ノーベル文学賞受賞の文豪が生前利用していた別荘地』などとして売りに出され、同社ホームページでは『成約御礼』と記載。・・・
 現地ではすでに『解体工事中』の看板が立てられ、窓枠を取り外されるなど一部の解体工事が始っている。・・・
 保存活動を行ってきた軽井沢文化遺産保存会の増淵宗一会長は『町が持てない利息分をこちらでみることで保存できないか、不動産会社と交渉を続けたい』と話した。
 町内では2019年にも、町に現存する最古の洋和館別荘とされる『三井三郎助別荘』が、住民の保存運動にもかかわらず解体された。」

 この新聞記事にもあるが、行政としてはできることに限界があるものの、民間団体でできることはないかと模索する「軽井沢文化遺産保存会」は、改めて不動産業者に電話連絡をしたが、これが不動産業者に受け入れられることはなかった。

 9月6日、7日と町による調査が行われ、その後川端別荘の解体は進んでいった。

 次の写真は現地で解体作業を行っている業者の了解を得て撮影したものである。


アプローチ道から見た川端別荘(2021.9.11 撮影)

川端別荘玄関脇から(2021.9.11 撮影)

窓枠などの取り外された川端別荘(2021.9.11 撮影)

取り外されたドア・窓枠にはブルーシートがかけられていた(2021.9.11 撮影)

1階リビングルームには石造りの暖炉がある(2021.9.11 撮影)

リビングの天井(2021.9.11 撮影)

1階リビングから2階への階段(2021.9.11 撮影)

1階から地階への階段(2021.9.11 撮影)

 9月13日、現地ではさらに解体が進んでいた。

解体が進む川端別荘 1/3(2021.9.13 撮影)

解体が進む川端別荘 2/3(2021.9.13 撮影)

解体が進む川端別荘 3/3(2021.9.13 撮影)

 7月末の事態発覚から1ヶ月余、川端別荘の保存・移築を求めて活動を行ってきた人々にとって、あっけない幕切れとなった。町側は保存に向けて動こうとしたものの、余りに遅すぎた。

 一説には、今年3月には川端別荘売却の情報が町会議員でもある不動産関係者の耳には届いていたという。しかしこの段階での町としての動きはなかった。

 軽井沢町にはブループラークという制度がある。町のホームページには次のようにその趣旨が説明されていて、2021年3月30日 現在99件の建物が登録されている。
 
 「ブループラークとは、150年ほど前に英国で始まった制度で、歴史的な出来事があった建物や著名人に関わりのある建造物、あるいは著名建築家によって設計された建物等に銘板を設置し、それらの歴史を継承していく事を目的とした事業です。
 その制度を参考にして、軽井沢町では町内の歴史的な価値を持つ建造物などを認定し、歴史遺産として継承し今後も保存していただきたいと言う思いを込め、軽井沢ブループラーク制度を平成28年度より開始しました。
 認定された建物の所有者には、認定証と軽井沢ブループラークの銘板を町より授与しています。」
 
 しかし、川端別荘の場合は、軽井沢町ブループラークの認定候補にあがった際、交渉に当たった担当者によれば、「ご遺族は、このままの形で残すことはできないと認定を固辞された」ということで、ここには載っていなかった。

 このような、所有者側と町側の考え方・価値観のすれ違いをどう克服して、今後の保存活動に結び付けていけばいいのか、今回請願書を提出した諸団体での模索が続けられることになる。

 ちなみに、上記99件のブループラーク制度認定の建物の内、民間所有の別荘には次のようなものがあり、これらは現時点では保存に向けての方向性が明確になっていないと思われる。

 阿部知二別荘、板垣鷹穂別荘、浮田別荘、旧アーガル別荘、旧彌永家別荘、旧加藤家別荘、旧ノートヘルファー別荘、旧林了別荘、旧ポール・ジャクレー邸、旧ライシャワー家別荘、佐藤不二男別荘、柴田別荘、辻邦生別荘、中里邸別邸、西村伊作別荘、本間徳次郎別荘、旧石井家山荘、旧片山廣子別荘、旧カニングハム別荘、旧ジョルゲンセン邸、旧菅原通済別荘、旧西川家住宅、旧増田家住宅、旧ロミッシー別荘、河本重次郎別荘、村田別荘、山家信次別荘。

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チョウが少ない

2021-09-17 00:00:00 | 
 6年前に軽井沢に転居してすぐに始めたことは、庭にチョウを呼ぶための花が咲くブッドレアを植えたことと、ダイニングルームの窓の外に野鳥の餌台を設置したことであった。

 野鳥の餌台の方は、転居の挨拶に行ったご近所のMさんからのプレゼントであり、自ら進んで行ったことではなかったが、ブッドレアは妻と相談してこの種を選び植えたのであった。

 両者ともすぐに効果を現し、庭に野鳥もチョウも来るようになって、その様子は「庭にきた鳥」と「庭にきた蝶」として順次紹介してきている。

 これまでに野鳥8種とチョウ28種を紹介した。思うような動画や写真が揃わずに、まだ紹介できていないものはこのほかにもいて、野鳥については確認しただけでも20種以上が餌台にきているし、私たちが気づかないうちにやってきた種も当然いるだろうから、実際に庭にやってきた種類は野鳥もチョウもこれよりも多いことになる。

 ところが、昨年春から我が家ではネコを飼い始めた。その前にも数か月間我が家にネコがいて、このネコのことは「我が家にネコがきた」(2020.3.13 公開)で紹介した。

 この最初の預りネコを娘に返した後、ネコ・ロスになった妻がどうしてもネコを飼いたいと言い出したので、近隣地区の保護ネコを1匹いただいて飼いはじめたのである。2020年4月ごろのことである。
 
 我が家の中を好き勝手に動き回るこのネコはすぐに窓外にある野鳥の餌台に興味を示し、野鳥がやってくると窓の近くに行ってじっと観察するようになり、時には窓ガラスにぶつかるようにして狩りのまねをするようになった。

 こうして、野鳥たちは次第に餌台に来なくなってしまった。私の方もそれに伴って餌を撒かなくなったので、いまはもう野鳥は庭の餌台にくることはなくなってしまった。

 ブッドレアの方は黄色の花の種と薄紫色の花の咲く2種類を植えていたが、黄色の花の咲いていた方は3年目に枯れてしまい、今は薄紫色の方だけが残っていて、こちらは相変わらずたくさんの花を咲かせ、周囲に芳香を漂わせている。

 ところが、今年はこのブッドレアの花にくるチョウの数がこれまでに比べると極端に少ないようである。植えて2年目からはあれほど多くのチョウを集めてくれたのに、一体どうしたことだろうかと思っている。

 7月下旬に最初の花が咲いたので見に行ったときには、トラフシジミが早速やってきていて写真撮影もできたので、今年もまた多くのチョウがやってくるものと期待をしていたが、その後はスジグロチャバネセセリ、ジャノメチョウとヒメアカタテハをそれぞれ一度見かけただけで、パッタリとチョウが来なくなっている。来ているのはハナバチばかりという状況である。

咲き始めたブッドレアにきたトラフシジミ(2021.7.20 撮影)

ブッドレアの脇に咲くアザミで吸蜜するスジグロチャバネセセリ(2021.8.1 撮影)

ブッドレアにきたジャノメチョウ(2021.8.4 撮影)

ブッドレアで吸蜜するヒメアカタテハ(2021.8.10 撮影)

 一体どうしたのだろうかと妻と話し合っているが、ご近所のHさんから妻が聞いたところでは、やはり今年は軽井沢周辺でチョウが少ないと感じているという。

 神奈川県に住んでいる元の職場の上司のMさんは横浜市内の自宅と、山中湖の別荘を行き来して、チョウの写真撮影をしている方であるが、やはり今年はチョウが少ないと感じているという。

 さらに、同じチョウ仲間で、やはり湘南で毎日のようにチョウを求めて散歩を続けている元の職場の先輩Sさんからも、今年はチョウがとても少ないというメールが届いた。

 我が家だけではなく、軽井沢だけでもなく、関東地方も含めた地域で同じように今年はチョウが少ないと感じているひとがいるのは一体どうしたことだろうか。

 長期的な傾向としてチョウの減少が起きていることは、かねて指摘されていることで、これは生息環境の変化として論じられることが多い。

 軽井沢周辺でもアサマシジミやオオルリシジミの急激な減少があり、隣接する御代田町ではアサマシジミを天然記念物に指定しているし、オオルリシジミについては現地企業の協力のもと食草のクララを植え環境を整えるなどして保護活動が行われている。
 
 チョウマニアによる採集圧力についても議論になることがあるが、確かに生息地における食草を含めたチョウの卵や幼虫の採取が問題視され、採集禁止条例を制定する自治体も増えてきている。

 しかし、それにもかかわらずチョウの数の減少は止まっていない。オガサワラシジミなど絶滅が伝えられている種がいることを、当ブログでも採りあげたことがある(2020.9.4 公開〈日記〉)。

 他方で一部のチョウが異常発生しているといったこともこれまでに起きている。私自身、2013年に青森県弘前市の山中に、アカシジミの大量発生を見に行ったことがあり、夕方の空が暗くなるほどの、その数の余りの多さに圧倒された経験がある(2017.6.30、2017.7.7 公開〈旅行〉)。

 また最近では昨年までテングチョウが中国・関西地方で異常発生しているとの報道がある(2021.4.16 公開〈蝶〉)。

 生息環境の変化のほかに、一体何が原因でこうした急な減少傾向や、これとは相反する異常大発生が起きているのだろうかと思い、あれこれ調べてみて次の2つの記事に出会った。いずれも地球温暖化に関係している。

 ひとつは、2016年の英国の記事で、次のようである(https://jp.sputniknews.com/science/201611012961832/)。

 「気候変動に関係した異常気象的な現象の頻発化のため、温帯気候帯にある多くの国で、多くの蝶の個体群が消えたか、目に見えて減少している。論文は『Journal of Animal Ecology』に掲載された。
 イースト・アングリア大学の気候学者は次のように述べた。
 多くの異常現象は極めて否定的に蝶に影響していることが明らかになった。例えば、芋虫が蛹に変わる時の降雨は英国に住む蝶25%にとって極めて危険であり、蝶にとって最も危険な天候現象である異常に高い冬季の気温は、半分以上の種に関係する。おそらく、冬季の暑さは蝶を冬眠から目覚めさせ、その後、寒さが戻ってきたときに死なせる。」

 「英国の学者たちは憂慮すべき信号を出し、それによると、2050年までにジャノメチョウ亜科、モリジャノメ属、セセリチョウ科、オオモンシロチョウ、モンシロチョウ、エゾスジグロシロチョウといった6種の蝶が英国と全世界において完全に消滅する可能性がある。」というものである。

 もう一つは、2021年の記事で米国に関する。

 「米国西部450種のチョウが減っている、原因は『暖かい秋』・40年分のチョウ目撃データと気候データを分析」(ナショナルジオグラフィックニュース 2021.03.10 )。

 「米国西部でチョウが減っている。過去40年のデータから、450種以上のチョウの個体数が年平均で1.6%減っていることが判明、3月5日付けで学術誌『Science』に発表された。
 チョウははかなく美しいだけでなく、様々な植物の花粉を媒介している。それが、米西部では急速に姿を消しつつある。
 よく知られているオオカバマダラは、個体数が99%も激減したにもかかわらず、米国の絶滅危惧種法による保護の対象としない決定が2020年12月になされた。しかし今回の調査では、あまり知られていない種が絶滅に向かっていることが明らかになった。シジミチョウの仲間イカリオイデスヒメシジミ(Icaricia icarioides)やカリフォルニア州の州蝶であるモンキチョウの仲間、カリフォルニアイヌモンキ(Zerene eurydice)といったチョウだ。

 『どの種も減少しています』と、米ネバダ大学リノ校の生物学教授で、今回の研究を率いたマシュー・フォリスター氏は言う。『あらゆる種が危機に直面しているのです』
 科学者たちは今回、チョウにとって最大の脅威と思われる気候変動に着目した。1972年から2018年までに集めた、米西部70カ所におけるチョウの目撃データと気候データを分析したところ、驚きの事実が判明した。フォリスター氏によると、チョウの個体数が減少した原因として最もはっきり表れたのは『暖かい秋』だった。
 全米の200以上の都市で秋の気温は上昇しているが、その中でも南西部での上昇は激しい。例えばアリゾナ州では、1895年以降10年ごとに秋の気温が華氏0.2度(摂氏約0.1度)ずつ上昇している。そのためか州内では、オレンジと黒の鮮やかなチョウ、ルリボシヒメアカタテハ(Vanessa annabella)が年間3パーセントの割合で減少している。
 『私たちはここ数十年、春(の温暖化)に着目してきました』とフォリスター氏は言う。しかし、『暖かい季節の終わりの温暖化にこそ、大きなマイナスの影響があったのです』・・・」
 
 秋の温暖化がなぜそれほど有害なのかについては、「チョウが秋にとる休眠に関係しているかもしれない」とされる。「チョウのほとんどは1年程度生存するが、暖かさのために休眠状態に入るのが遅れ、飢えに追い込まれている可能性がある。」という。
 「言い換えれば、彼らは『より早く老いてカリカリになって死んでしまう』のだと、論文著者の一人である昆虫学者、ケイティ・プルディック氏は言う。同氏は米アリゾナ大学天然資源環境学部で市民科学・データ科学の准教授を務めている。」

 これは、越冬蝶の話かと思える。チョウの仲間には、卵で越冬するもの、幼虫で越冬するもの、蛹で越冬するものなどもいる。今回の指摘が成虫越冬する種についてだとすると、それ以外の種ではどうなるのかという問題が残る。

 以上の2件の報告は英国と北米でのものであるが、温暖化は世界共通の現象、日本でも同じようなことが起きている可能性はあるのだろうか。

 温暖化により、チョウの生息域が北上しているということはこれまでに言われてきていることであるが、温暖化でチョウが減少するというのは意外なことであった。

 我が家の庭のブッドレア、1番花にやってきたチョウがが少なかったことは前述の通りだが、その後2番花が咲き始めた9月になって、アオバセセリ、アカタテハや夏眠からさめたミドリヒョウモンが吸蜜にやってくるようになった。ただ、種数も個体数も相変わらず少ないことには変わりがない。


ブッドレアで吸蜜するアオバセセリ(2021.9.10 妻撮影)

ブッドレアで吸蜜するアカタテハ(2021.9.10 妻撮影)

 朝一番でやって来た数頭のミドリヒョウモン、中には食餌に熱中するあまり、私が指を差し出しても意に介する様子のないものがいて、人差し指で掬い上げるようにして指に止まらせると、こちらを睨みつけているようである。この写真はちょうど持っていたスマホを使って、左手で撮影した。

ブッドレアで夢中になり吸蜜するミドリヒョウモン♂(2021.9.9 撮影)

吸蜜の邪魔をされ、不機嫌なミドリヒョウモン♂(2021.9.9 撮影)

 また、ショップの前に置いている野菜のように成長したヴァイオレットの鉢植えでは、ツマグロヒョウモンの幼虫が育っていた。この幼虫は無事蛹になり、9月上旬には飛び立っていった。
 
ヴァイオレットの鉢植えで育つツマグロヒョウモンの幼虫(2021.8.22 撮影)

ヴァイオレットの葉を食べるツマグロヒョウモンの終齢幼虫(2021.8.22 撮影)

 朝の雲場池の散歩では、初めてオナガアゲハが別荘地の庭で満開になっているフシグロセンノウで吸蜜するところに出会った。


雲場池の別荘地に咲くフシグロセンノウで吸蜜するオナガアゲハ(2021.8.26 撮影)

 少しづつ、チョウを見る機会が増えてはいるが、やはり今年はチョウが少ないと感じるのである。

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ウスタビガ 2021年ー2/2

2021-09-10 00:00:00 | 
 前回紹介した繭上に産みつけられていた卵から孵化したウスタビガの幼虫を室内で飼育することにし、成長の様子を追った。撮影用に室内に取り込んだ繭はこのほかにもあり、4月24日までに合わせて33匹の幼虫が孵化していたので、これらを、プラスチック容器に挿した庭木のヨシノザクラやオオヤマザクラの葉を餌として与えた。


プラスチック容器に挿したサクラの枝で飼育中のウスタビガの1齢/2齢幼虫(2021.4.28 撮影)

 室内に取り込んだ幼虫は、ヨシノザクラやオオヤマザクラの葉を食べ、順調に成長していった。その成長の様子は次のようで、孵化後に体長5㎜程の大きさであった幼虫は脱皮を繰り返して、最後の1匹が孵化してから2週間目にはすべて体長が40㎜程の4齢幼虫に成長し、その2日後には終齢幼虫も現れた。


室内で飼育したウスタビガ幼虫の成長の様子(〇の中の数字は幼虫の数を示す)

 屋外に置いたケージのネットなどに産みつけられていた卵からも、大量の幼虫が孵化していて、これらは鉢植えのヨシノザクラに順次移して飼育していた。5個ある鉢植えのヨシノザクラにはネットをかけて幼虫を保護していた。

 室内で飼育し撮影対象にしていた幼虫がすべて4齢に達した5月8日時点で、庭の鉢植えの幼虫を確認したところ、すべてまだ1齢のままであり、屋外と室内での幼虫の成長スピードの余りの違いに驚いた。

 これまで、4年にわたりこのウスタビガやヤママユの幼虫を飼育してきたが、これらの幼虫の飼育環境はだいたい同じで、普段は屋外に置き、必要に応じて数匹を室内に取り込んで撮影していた。

 今回は、30数匹を室内で孵化させ、そのまま室内で飼育し、それ以外の幼虫は、飼育ケージ内で孵化すると屋外に置いた鉢植えのヨシノザクラに移動させていた。

 室内で飼育していた幼虫がすべて4齢に達したにもかかわらず、屋外の幼虫がすべて1齢であるということは、飼育環境の温度の差に違いないと思えた。

 そこで、室内の4齢幼虫を一部屋外に移し、逆に屋外の1齢幼虫を一部室内に移動させて様子を見ていたところ、屋外から室内に移した幼虫は早速脱皮して2齢になっていった。こうしてしばらくすると、3齢の幼虫も得られたので、同時に1齢から5(終)齢までを見ることができるという興味深いことが起きた。次の写真のようである。

 
1齢から終齢まで全員集合状態が実現(2021.5.19 撮影)

 屋外と室内の温度の違いをみると、室内は昼夜ともほぼ22℃に保たれているが、4月下旬から5月上旬までの屋外の気温は、次の気温データのようであり、夜は4℃あたりまで低下し、昼間の最高温度は18℃くらいになる。
 平均気温はおよそ10℃である。従って、室内外の平均の温度差は12℃ほどと考えられる。

軽井沢の年間気温変化(軽井沢町のHPから引用)

 昆虫の成長には累積温度が重要であるとは聞いていたが、今回観察したウスタビガの成長スピードの温度による違いは、化学反応でよく言われているアレニウスの法則、10℃・2倍則以上の差があるようにみえる。

 そこで、産業として行われている養蚕のデータがあるのではと思い調べてみると、蚕について、成長の速さと温度の関係についての研究報告(須藤ほか、日蚕雑 68(6)、461、1999)が見つかった。

 それによると、蚕が発育する温度の範囲は7~40℃位で、正常な発育ができる温度は、大体20~28℃位の範囲であり、一般に温度が高くなるにつれて、発育・成長が早くなるとされる。

 蚕の成長スピードもアレニウスの式に従っているようであるが、単純な化学反応とは異なり発育零点というものが存在しているという。

 これは、その温度より低い環境では、発育が全く止まってしまうことを意味する。蚕ではこの温度が10℃前後にあるという研究結果である。

 軽井沢の4月下旬から5月上旬の気温変化を見ると平均気温が10℃で夜間は4度まで低下し、日中は18度程度まで上昇している。蚕とウスタビガとでは異なっている可能性はもちろんあるが、上記の発育零点を考慮すると、10℃以下に曝されている間は、成長が止まっていることが考えられ、成長が可能な時間は約1/2に、その間の平均温度は14℃程度ということになる。

 積算温度の比の荒っぽい計算をすると、室内飼育の場合は22℃で一定であるのに対して、屋外では成長可能な時間が半分になり、その間の平均温度を考えると、その比はおよそ3-4倍になる。このように考えてみると、今回見られた室内飼育と屋外飼育での大きな差が理解されてくるのである。

 さて、このように、室内で飼育していた一部の幼虫が終齢に達したので、観察・撮影は終了し、幼虫はすべて庭木のオオヤマザクラに移すことにした。鉢植えのヨシノザクラの葉もそろそろ限界に達し、これ以上幼虫を飼育すると木が枯れてしまう。

 ウスタビガの幼虫を庭で自然に任せるのは初めてのことであり、オオヤマザクラがどうなっていくのか気にはなったが、とりあえず200匹ほどはいる幼虫達を養ってもらうことにした。

 しかし、野鳥の多い軽井沢のこと、粗いネットをオオヤマザクラの周囲に巡らせておいたものの、上部は開放状態なので気休めでしかなく、気がつくとシジュウカラが中に入り込んでいるといった状況であった。

 飼育ケージで飼育していた昨年までは、100%近い割合で繭を作るまでに成長させることができたのであったが、自然に任せるとどのような結果になるか。これも見守っていく事にした。

 
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ウスタビガ 2021年ー1/2

2021-09-03 00:00:00 | 
 今回は毛虫が登場しますので、苦手な方はご注意ください。

 昨年(2020年)飼育していたウスタビガはおよそ30匹が繭を作った。これらをコナラの枝から切り離し、飼育ケージに吊り下げておいたところ、秋に羽化し、♀はその繭にとどまり飛来した♂と交尾し、繭の表面に少し産卵し、移動後ケージのネットなどに産卵して飛び去って行った。

 次の写真は表面に卵が産みつけられているウスタビガの♀の繭(ヤマカマスとも)で、長さは約40mm、太さは約20mmで、一般に♀の繭は♂のものよりも大きい。産み付けられている卵の大きさは長さ約2.6mm、幅約1.8mmである。

ウスタビガの繭(ヤマカマス)の表面に産み付けられた卵(2021.4.23 撮影動画からのキャプチャー画像)

 この繭に産卵してあった卵から幼虫が孵化してくる様子をビデオ撮影したく思い、今年になってからは注意して観察していが、4月下旬に飼育ケージのネット上に数匹の幼虫を見つけた。繭上の卵を確認したが、こちらはまだ孵化していないようであった。

 そこで、表面に卵の付いている数個の繭を室内に取り込んで、撮影の準備に入った。いつ孵化するかがなかなか予測しづらいので、しばらく様子を見ていたところ、やがて一つの繭の表面に幼虫が一匹いるのが見つかったので、ビデオカメラをタイムラプスモードにセットして、2匹目が孵化するのを待った。こうして撮影したのが次の映像である。

 後の参考のために、繭上の卵から孵化してくる順番を次の写真の中に示す。「1」の卵からはすでに孵化していて穴が開いている。このあと見ていただく動画は「2」の卵からのものであるが、上部のやや色の濃い部分に穴が開きはじめる。


ウスタビガの繭(ヤマカマス)の表面に産み付けられた6個の卵(2021.4.23 撮影動画からのキャプチャー画像)

 撮影は30倍タイムラプスで行っていて、次の映像は約2時間45分間撮影したものを30分ごとに分割し編集したものである。孵化直後の幼虫は毛の根元の色が白っぽいが、次第に黒化して2時間ほど経つと全体がまっ黒になるのがわかる。

 
繭に産み付けられたウスタビガの卵からの孵化(2021.4.24  0:50-3:35 30倍タイムラプス撮影後編集)

 この「2」の卵から孵化した幼虫は、別に用意した食樹である瓶挿ししたサクラの葉に移し、次の卵からの孵化を待った。次の映像はサクラの葉を食べる先に孵化していた別の卵から孵化した幼虫である。

 
サクラの葉を食べる孵化直後のウスタビガ1齢幼虫(2021.4.23, 6:35-6:37 撮影)

 繭の上に産みつけられていた6個の卵のうち、3個目の卵からの孵化はタイミングの関係で見逃してしまい、気がつくとすでに幼虫が繭の上を這っていた。

 その次の4個目の卵からの孵化は実時間で撮影ができた。卵に穴が開いているのに気が付き撮影を始めたのは17:33頃であったが、次の動画は9分後の17:42頃からのものである。

 
繭の上の「4」の卵からの孵化(2021.4.24  17:42~17:45 撮影)

 これらの映像からもわかるように、孵化時、幼虫は卵の殻を内部から齧って小さな穴を開け、それを少しずつ大きくして、やがてそこから這い出して来るのだが、その穴を開ける場所はだいたい決まっていて、長めの球の頂点付近であり、その部分の色は周囲とは異なって見える。

 ところが、5番目の卵はその部分が隣接する卵「2」の陰に少し隠れている。幼虫が小さな穴を開け始めたが、隣の卵に邪魔をされて、それ以上広げることができない。どうも決められた場所以外に穴を広げることは難しいようで、中から齧りやすい場所は限られているのかと思える。しばらく格闘しているようであったが、諦めてしまった。

 そうしているうちに、最後の6番目の卵に動きが見られ、小さな穴が開き始めたと思っていたら、こちらはさっさと穴を大きくして、5番目の卵より先に孵化していった。次の映像で、左上にいるのは卵「4」から孵化した1齢幼虫。

 
卵「5」からの孵化を追い越して卵「6」が孵化する様子(2021.4.24, 17:55-19:29 撮影動画を編集)

 このままでは、5番目の幼虫は卵から脱出できないで終わってしまうのではと懸念し、邪魔をしている2番目の抜け殻を取り除いてやったところ、他の卵に比べてずいぶん時間がかかったが、ようやく幼虫が孵化して出てきた。

 前の動画と一部重複するが、卵「6」と卵「5」から孵化する様子をもう1台の別のカメラで撮影したのが次の映像である。

 
卵「6」が、卵「5」を追い越して孵化する様子。途中、卵「2」を取り除いている(2021.4.24, 19:27-19:50 撮影動画を編集)

 こうして6個すべての卵からの孵化は完了した。通常卵の一部に穴が開き始めてから1時間足らずで幼虫が出てくるが、「5」の卵だけが3倍程度長くかかっている。もし人の助けがなかった場合にどうなっていたのだろうかと思う。


繭上の6個の卵からの孵化日時

 これらの幼虫は室内で瓶挿ししたサクラの葉を与えてその後の成長の様子を追った。

 以下次回


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