すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

「どこからプレスをかけるのか?」問題にハリルはキッチリ結論を出した

2017-11-16 08:25:30 | サッカー戦術論
ベルギー戦で修正されたプレスに行く位置

 それは日本代表で歴代随一の「無能監督」だったジーコ率いる日本代表の練習中に起こった。「どこからプレスをかけるのか?」をめぐり中田ヒデと福西が練習中に口論になったのだ。

 アタッカーである中田は前から行きたい。だがセントラルMFの福西は守備のバランスを考え、前からでなく安全策を取りミドルブロックを作りたいーー。そんな行き違いだったように思う。そのうちに監督のジーコまで論争に介入してきたが、無能なジーコは何の役にも立たずさっさと現場放棄していなくなった。

 あのときのクソの役にも立たないジーコと、ベルギー戦でキッチリ「そこ」を修正してきたハリルの姿はいかにも対照的だ。

 ちなみにこの論争は、何もジーコジャパンで始まったわけでもなんでもない。ゾーンプレスを掲げた加茂ジャパンでもそうだったし、岡田ジャパンでもそれは起こった。日本代表は歴代ずっとこの「永遠のテーマ」に悩まされてきた。そして現在も同じだ。

ブラジル戦でまたも露呈した「永遠のテーマ」

 例えば先日のブラジル戦では、プレスをかけ始める位置が意思統一できず日本は崩壊した。

 前だけが行っても2列目が付いてこず背後にスペースを作ってしまう。または1列目はプレスに行ったが最終ラインの選手がブラジルをこわがりライン設定が低すぎる。で、中盤にスペースを作ってしまい、そのスペースを敵に使われる。あるいは逆にハイプレスをかけるべき局面なのに、積極的に前が行かないーー。選手たちがフィールドでの状況を見て自己判断できず、ひどい現象が起きていた。

 なんと、それをハリルはあのブラジル戦からたった中3日やそこらでキッチリ修正してきた。あのジーコとは大違いだ。それほどベルギー戦での日本代表はプレッシングに迷いがなかった。ハイプレスに行く場面と、ミドルブロック、あるいは低くローブロックを組んでじっくり守る局面とーー。状況に応じてしっかり意思統一ができていた。

 しかも興味深いのは、ベルギー戦の前日会見でハリルがこう言い放ったことだ。

「どこからプレスをかけるのか、だって? それは私が決めるのではない。状況による」

 チャンチャン。お見事、である。得点差や残り時間、そのときの敵味方の配置はどうか? サッカーにおいては、すべてが「状況による」。こんなカンタンなことを、我が偉大なる日本サッカー界はああでもない、こうでもない、と長年結論を出せずに来た。それを一刀両断してみせたハリルのひと言は実に痛快だった。

不毛な二元論が大好きな日本サッカー界

 例えばトルシエ時代に起きた「個か? 組織か?」の不毛な議論もそうだ。そんなものは状況によるし、どちらも必要に決まっている。

 あるいはザックジャパン時代に巻き起こった「アクションサッカーか? リアクションサッカーか?」の議論だって同じだ。それは状況に応じて「使い分ける」のだ。こんなふうに日本のサッカー界は「状況に合わせて臨機応変にプレイする」という発想がなく、常に「自分たちのサッカー」一本やり。で、バカみたいな意味のない二元論にハマってしまうのだ。

 私は何が言いたいのか? それはハリルという監督は少なくともジーコより何倍も優秀だし、歴代の日本代表監督とくらべてもそれは同じだ、ということである。

 なぜ私がこんなことを改めて言い始めたかといえば、ベルギー戦をめぐるあまりに不当で見当はずれな与太記事が世間にあふれ返っているからだ。目を覆うばかりのひどさに黙っていられなくなった。日本のサッカージャーナリズムは「いかに叩くか?」ありき。公平で客観的な分析をしない。

 ジャーナリズムがこの有り様じゃあ、日本のサッカーは100年たってもベスト8なんて夢のまた夢だ。

(大胆に言ってしまうが)ベルギー戦で発揮されたハリルの修正能力を見て、私なんぞはロシア後の4年間も彼に任せればおもしろいかも? と思えてきたのだが。

 以上である。

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【国際親善試合】粘り強い守備で相手を自由にさせない 〜ベルギー1-0日本

2017-11-15 08:06:35 | サッカー戦術論
あとは「個の力」がどこまで上がるか?

 日本は前半の立ち上がりからハイプレスで入り、後半27分に失点するまで組織的な守備がよく効いていた。ベルギーに自由にやらせなかった。相手におびえていたブラジル戦とは打って変わって「戦う気持ち」が感じられた。ハリルジャパンに光明が見えてきた。あとはチャンスをきっちりモノにできるかどうか? 世界レベルではそこで試合が決まる。

 日本のシステムは4-3-3。スタメンは大迫のワントップに前線は左に原口、右に浅野。中盤は山口をアンカーに、インサイドハーフを井手口と長澤が務めた。4バックは左から長友、槙野、吉田、酒井(宏)だ。

 日本は意欲的で落ち着いた立ち上がりで、ブラジル戦のようにパニックに陥ってなかった。ベルギーの最終ラインがボールを持つと、大迫、井手口がファーストディフェンダーとしてプレスをかけた。彼らの背後の2列目も高い位置を取りスペースを消した。これでラインを高く構えて全体で圧力をかける。

 日本はこのやり方が徹底しており、後半に失点するまではベルギーにほとんど決定的なチャンスを作らせなかった。これでボールを奪ったら、今までと違いタテに急ぐのではなく、いったんバックパスしてタメを作り組み立て直すシーンが目立った。残るはゴール前での決定力だろう。初招集で先発したMF長澤和輝(浦和レッズ)もパスセンスが光った。

 逆に日本に足りないところは、ファーストタッチでぴたりとボールを止め次のプレイをしやすい位置に瞬時にボールを置くワンタッチコントロールの精度だ。特にブラジル戦ではそこの差が甚だしかったが、この試合でも日本はボールを弾いてロストしてしまうシーンが散見された。

 もうひとつは、狭いところでもパスカットされないボールスピードだ。日本人のパスはぜんぜん緩くて遅い。ワールドクラスのチームを相手にした場合、あれではパスがつながらない。ワンタッチコントロールもボールスピードも、Jリーグでは通用していたものが世界レベルでは通じない。「速く、強く、正確に」が死命を制する。

 日本は組織的にしつこく守備する粘り強い戦い方ができるようになってきた。次の課題は「個の力」をどこまで上げることができるか? だろう。

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【サッカー日本代表】ハリルジャパンになって変わったこと

2017-09-18 09:55:45 | サッカー戦術論
目を見張る正確なロングフィード力

 サッカー選手の個の能力は、フィジカルやメンタル、トラップの精度、キックの正確さなどいろいろあるが、ハリルジャパンの時代になって特にめざましく進化したのはロングパスの精度だ。

 以前の日本代表には正確なロングボールを蹴れる選手がいなかった。だから前線に長いボールを入れると、すなわちそれは「アバウトな放り込み」になっていた。一方、短いパスなら思ったところに蹴りやすい。ゆえに日本人選手はどうしてもお互いに近い距離を保ち、ショートパスを交換するスタイルになりがちだった。よくいわれる「距離感が大事だ」というやつだ。

 ところがハリルジャパンになって、目を見張るような正確なロングボールが目立つようになってきた。これは「タテに速く」というハリルの指示が結果的に長い縦パスを目立たせている、という側面もある。だが少なくとも日本人選手が出すロングパスの精度は、昔とくらべ飛躍的に上がっているのはまちがいない。

 特に長谷部と吉田、森重、井手口はすばらしいロングボールを蹴れる。彼らはフィールドを斜めに横切るサイドを変える正確なボールを出せるし、しかも前線にいる味方選手の足元に長いパスをぴったりつけることができる。

 ことに若い井手口は相手ボールを狩る能力ばかりが取り沙汰されるが、見逃せないのがフィード力だ。特に左サイド深くでボールを奪った後、逆サイドの高い位置まで味方の足元へぴたりと正確につけるロングフィードに威力がある。

 おそらく彼の中では、ボールを奪ったらまず逆サイドを見ることが習慣づけられているのだろう。なぜならボールサイドに敵味方の選手が密集しがちな現代サッカーでは、相手からボールを取ったらガラ空きの逆サイドにボールを振れば攻撃がスムーズに行くからだ。

 いずれにしろ味方が近い位置にポジショニングし合い、ショートパスをチマチマ何本も繋いでいた過去の代表から考えれば隔世の感がある。こんなふうに選手の「個の力」が上がりキックのバリエーションが増えれば、それがチームのスタイルを根こそぎ変えてしまう。つまり個とスタイルは別個に存在するのではなく、互いが互いを補い合う「相互補完の関係」にあるのだ。

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【サッカー日本代表】ハリルは自己の哲学を押し付ける独裁者か?

2017-09-14 09:58:58 | サッカー戦術論
遅攻&ポゼッションで勝てなくなった日本

 ずっと謎だと思っていることがある。ハリルはもとから、持論として守備からの縦に速いショートカウンターを掲げていたのか? それとも日本に合わせてあのスタイルを考えたのか? おそらく後者なのだろう。なぜそう思うのか? 説明しよう。

 ハリル就任前、本田や香川がスタメンを張っていた時代のサッカーは、グラウンダーのショートパスを主体とするポゼッション・スタイルだった。

 グラウンダーのショートパスをつなぐには、当然パスのコースが必要だ。で、コースを切られているときは、彼らは何度でも横パスやバックパスをして最終ラインでボールを回し、時間を作ってはまた前につなごうとする。だがまたパスコースを切られてバックパス。これを繰り返していた。

 すっかりバックパスがクセになり、相手からボールを奪えばひとまずバックパスをする。で、ひと休みしてから考える。そんなスタイルになっていた。よくいえば一度ボールを保持したらぜったい相手に渡さない遅攻タイプのポゼッションサッカーだ。

ハリルの処方箋が日本サッカーを「矯正」した

 だがボールを奪った直後に横パスやバックパスをすると、みすみす相手に守備の隊形を整える時間の余裕を与えてしまうことになる。

 なぜって、それまで敵は自分からわざと守備のバランスを崩して前がかりになって攻めていたのだ。ゆえにボールを奪った直後は、相手の守備隊形が整っていない。そこで素早く攻守を切り替え、相手の守備の態勢が整う前に速く攻め切ってしまう。つまり相手ゴールに直結する縦パスを通して速攻をかける。そうすれば得点の可能性は高くなる。それがハリルの唱えるタテに速いサッカーだ。

 どうだろうか? ハリルが打ち出したコンセプトは見事に、横パスやバックパスを繰り返して敵に守備の態勢を整える時間をやり、ますます自分から攻めにくくしていた以前の日本サッカーを矯正する処方箋になっているではないか?

 おそらく分析オタクのハリルは以前の日本サッカーを分析しまくり、「彼らの欠点を修正し、勝てるサッカーにするにはどうすればいいか?」を考えた。で、実行に移した。そういうことなのだろう。

 別にハリルは自分がもともと持っていた高邁なサッカー哲学を押し付けているのではない。ハリルがしきりに唱えているのは、「改善策」なのである。

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【サッカー日本代表】ポゼッション率が試合の優劣を決めないサッカーで勝つ

2017-09-10 10:34:27 | サッカー戦術論
「あのサッカーでいいのか?」という永遠の課題

 ハリルジャパンは、(オーストラリア戦のように)汗臭く、泥臭く、走りに走って運動量でダイナミックに圧倒するスタイルである。彼らは、(1)わざとボールを持たず、逆に相手にボールを持たせて、(2)敵ボールホルダーを集団でハメてできるだけ高い位置でボールを奪い、(3)敵が守備のバランスを崩しているうちにショートカウンターで素早く点を取って勝つサッカーだ。

 となれば当然、「華麗さ」とか「惚れ惚れする」みたいな感嘆ワードとは縁遠い。

 かくて常に「日本はあのサッカーでいいのか?」という議論の的になる。いや、かく言う私も日本にはメキシコみたいに躍動するパスサッカーが向いていると思っている。日本人ならではのアジリティを生かし、鬼ごっこのようにひらりひらりと機敏なパス回しで敵をかわしゴールを取るサッカーだ。

 実際、Jリーグが始まって以降の日本代表を振り返れば、ジーコジャパンやザックジャパンのようにパスでポゼッション率の向上をめざす攻撃型のチームが目立った。いわば彼らは夢見る理想主義者たちである。だが結局、成績がよかったのは、2010年南アフリカW杯でベスト16を取った第二次岡田政権のような守備的な現実主義者たちだった。

 実は短期的に結果を求めるなら、もう結論は出ているのだ。

 いや100年計画でタマを仕込めばドイツのように圧倒的なポゼッションサッカーで日本も勝てるようになるかもしれない。それはそれでうれしい誤算だし、もちろんそのときは私も支持するだろうが。

アギーレから途中でバトンタッチされたハリルの選択

 こんなうふに日本人の血の中には「パスをつないで勝ちたい」という業のようなものが渦巻いている。だが少なくとも短期計画でこれまで好成績を収めたのは、「労働者」たちが汗をかく現実主義的なプロジェクトが多い。さて、ここまでが前提だ。

 では、いま代表監督をやってるハリルさんはどんなふうに就任したか? アギーレ監督のうんちゃら疑惑で急遽、決まったお人である。ワールドカップはただでさえ4年サイクルの短期計画なのに、ハリルに残された期間はそれよりさらに短い。で、ハリルは当然、超短期で結果を出せるいまのスタイルでチームを作った。まさに水が高いところから低いところへ流れるかのように自然な成り行きだ。

 いや、「日本はあのサッカーでいいのか?」と疑問を呈する人たちが、こう言うなら話はわかる。

「ハリルさん、あんたに向こう100年間、時間をやるよ。その間はどんなに負けてもいいから、体幹鍛えて日本人のフィジカルを根本的に変え、もちろん針の穴を通すボールコントロールも身につけさせて長期計画でドイツみたいにポゼッションで圧倒するチームを作ってよ」

 だけど当然そうじゃないわけでしょう? (というか「それ」は代表じゃなく育成の仕事だ)

 なのに「3年で結果を出せ。ただしスタイルはパスサッカーだ。ポゼッションで敵を圧倒しろ」。こんな無茶なオーダーはない。繰り返しになるが、そもそも過去の代表の成績を見れば結論はすでに出てるんだから。

バカ正直な日本人にズル賢さを仕込んだ

 もし日本にハリルというクセ者がやって来なければ、日本代表はタイみたいに素直にボールをつなぐだけで、「敵をハメて」ボールを奪い点を取って勝つサッカーにはなかなか脱皮できなかっただろう。その意味では革命家・ハリルに乾杯を、だ。

 もし彼がいなかったら「相手の良さを消す」なんてズル賢い発想は、バカ正直な「正々堂々」の日本人には身につかなかったろう。未だに「パスが何十本つながるか?」だけで優劣を競うザック・ジャパンやジーコ・ジャパンみたいな正直サッカーしかできていない(で、未だに日本は勝てなかったはずだ)。

 それこそ相手がイヤになるぐらいボールを回して(だが点が取れずに)一発のカウンターに沈むサッカーで終わっていただろう。いままでがそうだったように。

 アジアでは強者だった日本が、あえて弱者のサッカーに徹するという逆転の発想をしたからこそ「ここ」に到達できた。もちろん本番はこれからだからまだなんともいえないが、このサッカーならある程度の強い相手(ポゼッションしてくる敵)とも、うまくスタイルが噛み合ってひどい大崩れはしないだろうという読みが効く。

カウンターとポゼッションをモードチェンジせよ

 もちろん本田と香川がポゼッション・サッカーへの転換を謳い、反乱を起こす可能性もある。だがそれも程度問題で取り入れるのはアリだ。彼らの突き上げを奇貨として、変幻自在にカウンターとポゼッションをモードチェンジするという選択は十分ありうる。

 ハリルの指示だけを聞きタテへ急いでばかりではスタミナが消耗する。また日本人が苦手なイーブンボールを競り合うフィジカル勝負になりがちだ。そんなときには試合の状況や得点差、疲労の度合いなどに応じ適宜ポゼッションして時間を作り、次への展開を仕込む必要もある。

 ポゼッションでタメを生み出し、その作った時間の間に味方がダイアゴナルランしたり、マークを外す動きをしたり、ウラのスペースへ飛び込んだり。そんなパターン・チェンジを嚙ますことが次なる日本の目標だ。時には流れるようなパスワークを見せてお客さんを魅了する時間帯があってもいい。

 こうしたポゼッションとカウンター狙いのベストミックスは、今後のハリルジャパンの大きなテーマになるだろう。その混ぜ合わせが完成すればチームはグッと円熟度を増す。

 例えばリードしている時の時間の使い方ひとつ取っても、ゾーンを下げて相手にボールは持たせるが決定的なチャンスは作らせない、という時間の使い方もあれば、危険な味方ゴールからより遠い高い位置(敵陣)でボールをキープし続けて時間を使うという考え方もある。

 加えてボールを放棄して待つばかりでは、相手はこちらの動きを読みやすい。ときにはポゼッションを混ぜて支配する時間帯も作れば、敵は次に日本が何をやってくるか予測不能になる。的を絞りにくいし、研究し対策を立てる作業も難航するだろう。

ワンパターンでは対策を立てやすい

 例えばもし私の率いるチームがいまのハリルジャパンと試合するとしたら、どんな指示を出すだろうか?

「お前ら、あいつらは特に前後半の立ち上がりはハイプレスでくるぞ。そういう時間帯はムリに最終ラインからビルドアップせず、縦や斜めに適宜ロングボールを入れろ。そうすればやつらのハイプレスは空振りし、(ロングボールに対応しようとDF陣は下がるから)敵の陣形をタテに引き延ばすことができる。そうなればやつらは前後が間延びし中盤にスペースができる。そこを狙え」

「で、こっちのロングボールを警戒して日本の陣形が全体に低くなったら、今度は手前にスペースができる。つまりそのスペースを使って我々は最終ラインからビルドアップしやすくなる。そうなればしっかりポゼッションしろ」

「それから日本はボールサイドに人数をかけて守ってくる。その状況では、カットされやすいショートパスをつなごうとするな。相手ボールのときも同じだ。密集地帯で日本からボールを奪ったら、まず空いている逆サイドを見ろ。で、サイドチェンジを入れて敵を撹乱しろ」

 こんなふうに同じパターンでくる相手なら、研究し読みを効かせてゲームプランを練ることができる。だが日本が守ってカウンターだけでなく時にはパスをつなぎポゼッションもしてくるとなれば、対策は一筋縄ではいかない。単純に考えて2チーム分の参考書「傾向と対策」を徹夜で上げなきゃならなくなる。

 ただし、いまからパターンを増やせるかどうかは、W杯本大会までに「どこまでできるか?」という勝負になる。ゆえに日本は弱い相手をホームに迎えて「顔見せ興行」をやってる場合じゃない。できればアウェイで格上の相手と1試合でも多く強化試合をする必要がある。

 もちろんビジネスとしてのフットボールを成功させることは重要だ。だが残り時間が少ないいま、できることは限られている。あとは強化試合の日程と対戦相手のグレードを、協会にはいま一度揉んでほしい。

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【ロシアW杯最終予選】豪州戦はハリル・スタイルの完成形だった

2017-09-04 07:11:36 | サッカー戦術論
彼らのカウンターサッカーはW杯本大会でこそ生きる

 奇妙な仮定をしよう。もしあのロシアW杯最終予選のオーストラリア戦で浅野と井手口によるあの2本のシュートが入っていなかったら、どうだったか? 日本は単に守っただけで、何の意味もない。ただの引き分けだ。ウラを返せばあの2点があったからこそ、サッカーの神様は日本に微笑んだのだ。

 点を取って勝つことの重要性はそこにある。

 これが昔の日本、例えばジーコ・ジャパンやザック・ジャパンなら、豪州戦とはまるで逆の結果になっていただろう。ポゼッション率こそ6:4や7:3で日本は敵を圧倒していたはずだ。だがシュートが入らず(あるいは「シュートを打つ発想」そのものがなく)、逆に2-0で負けていた。あるいは引き分けで終わっていた。

 サッカーは「パスが何本つながったか?」で勝敗を争うボールキープゲームではない(逆に言えば昔の日本は今のタイのサッカーみたいに単なるボールキープゲームをしていた)。だから勝てなかった。

 つまりハリル・ジャパンはポゼッション率を意図的に敵に譲ったが、点を取ったからこそ勝てたのだ。しかもオーストラリア戦、ポゼッション率は4:6で劣っているが、なんと日本は敵の3倍のシュートを打っている。非常に効率的である。ひとことで言えば、ハリルのサッカーがハマったわけだ。

 いや細かく分析すれば豪州戦は別にデキがよかったわけじゃないが、少なくとも狙いはズバリ当たっていた。まず守って敵を引き出し、攻めてはカウンターで2点取って勝った。その意味においてはハリル構想の完成形といってもいい。

敵を引きつけウラにスペースを作る️

 ではハリル・ジャパンはなぜ昔の日本と違って点が取れるのか? それはいったんゾーンを下げて敵を引きつけて守り、相手のウラに十分なスペースを作らせてからカウンターを仕掛けているからだ。

 敵のウラにはぽっかり空いた空間があり、しかも相手は自分たちが攻めた直後だ。当然、日本がボールを奪った瞬間には、敵は前にかかって陣形が乱れている。

 日本はそこでポジティブ・トランジションを発動し、素早くタテに早いショートカウンターを見舞う。するとポゼッション率では敵に譲っていながら、3倍のシュートが打てる。すなわち「勝ちやすいサッカー」になる。非常に理にかなっている。

 しかも彼らがやっているサッカーは、相手が強くてポゼッションしバリバリ攻め込んでくるW杯本大会に向いている。W杯本大会でこそ敵のスタイルとガッチリ噛み合う。

リアリズムに徹している。だから勝たなければ意味がない

 ぶっちゃけ、ハリル・ジャパンのサッカーはゴツゴツしていて不恰好で汗臭い。リアリズムに徹している。子供たちが見て「僕らもあんなサッカーがやりたい」とあこがれるような華麗なサッカーではない。だから一部のメディアやサポーターは「あんな夢のないスタイルでいいのか?」と疑問を投げかける。

 だからこそW杯本大会で勝たなければ意味がない。いや実際、W杯本大会で勝つために仕込んできたサッカーなのだ。相手が強い本大会でこそ日本は強みを発揮する。もちろんジーコ・ジャパンやザック・ジャパンのときマスコミが騒いだように、「日本は当然決勝トーナメントに進みベスト4、いや優勝も夢じゃない!」などとバカみたいに煽るつもりなどまったくない。

 だが吉田中心のディフェンスラインがしっかり守り、サイドでアグレッシブに泥臭く粘って上下動しプレスバックをサボらない原口や乾、浅野、久保、武藤らが機能し、はたまた中央で長谷部や井手口、山口が閂に鍵をかけ、柴崎や清武が敵を切り裂くキラーパスを出して大迫が最前線で鉄板のポストプレイをすれば? 結果は自ずとついてくる。

 絶対に優勝はしないが、決勝トーナメントでおもしろい存在になれる可能性はある。

 なぜならハリルが仕込みを入れた無骨なショートカウンターは、W杯本大会でこそ生きるのだから。

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【クラブW杯決勝・分析】目覚ましい鹿島の収穫と露呈した課題とは?

2016-12-26 08:33:37 | サッカー戦術論
すばらしい鹿島の「修正能力」

 レアル・マドリードを相手に、一時は鹿島が2-1とリードし大健闘したFIFAクラブW杯決勝戦。だいぶ興奮も冷めやり客観的にゲームを観られるようになったので、今回は映像を何度も巻き戻しチェックしながら鹿島の収穫と課題を分析してみよう。

 まず課題という意味で失点シーンを振り返ろう。​前半9分、レアルはDF植田のクリアを拾ったルカ・モドリッチがシュートを放ち、GK曽ヶ端が弾いたところをカリム・ベンゼマが詰めて先制した。

 この1失点めの間接的な原因は、植田のクリアが小さかったためそれを拾われ二次攻撃を受けたことだ。植田のクリアは小さいだけでなく、低く、角度も悪かった。あのように真ん中よりの方向でなくもっとサイドの方へ向け、かつボールを高く上げるクリアをしていれば失点を防げた可能性はある。

 もちろんあの強いクリアをいとも簡単にコントロールし、瞬時に二次攻撃につなげたレアルのレベルが高かったということはいえる。だがおそらくJリーグでなら、あのクリアはふつうに通用し失点していなかった可能性も高い。

 こんなふうにこの試合では「もしJリーグだったら、やられてなかった」というシーンが頻出する。それは裏を返せば鹿島の選手のプレイ感覚が「ふだんのJリーグ=低いレベル」対応だったためにやられた、ということだ。「こういう局面ではこうすべし」というプレイ常識がJリーグレベルだったーー。これは経験の問題であり、彼らがJリーグでプレイする限りつきまとう難題だろう。

 例えばあの1失点め。植田の強いクリアをレアルの​ルカ・モドリッチはとっさに胸でワントラップし、次のタッチでもうシュートに行っている。つまりシュートを想定したファーストタッチを常に考え、ワンタッチ目で次にシュートを打てる場所にボールをキッチリ置いている。しかも味方のパスからでなく、不意に飛んできた敵の強いクリアボールを瞬時にコントロールしているのだ。

 あんなシュートシーンがJリーグにどれだけあるだろうか?(スルーパスをファーストタッチで完璧にコントロールし、2タッチめでシュートしたロナウドの3〜4点めも同じだ)

 例えばJリーグなら、ファーストタッチで失敗しボールを弾くことはよくあるだろう。そして2タッチ目で弾いたボールを小突いてシュートできる場所に置き直し、3タッチめでやっとシュートするーー。

 これだとシュートへ行くまでのタッチ数がひとつ多くなる。つまり守備側にはそれだけ余裕ができる。Jリーグでプレイする選手がみんなそうだと、当然、対応する相手DFも味方も「その感覚」でプレイする。結果、リーグの選手全員が「Jリーグレベル」で終わってしまう。これではいつまでたっても日本のサッカーは進歩しない。

 ただし例え1〜2試合でも「異次元レベル」のチームと試合できれば、その経験をしっかり次に生かすことはできる。実際、鹿島の選手たちは1試合中に見事にそれをやってのけた。そこは大きな収穫である。

 例えば鹿島に2-1とリードされレアルが本気を出した後半のほうが、むしろ鹿島のデキはよかった。それはなぜか? 前半のレアルのプレイぶりを見て、後半に鹿島の選手たちが対応を修正したからだ。

 前半の鹿島はせっかくボールを奪ってもつなげずボールロストを繰り返した。味方のサポートが遅くレアルの速い潰しに遭ったからだ。またレアルという名前に負けプレッシャーからミスを繰り返した。だが後半はそれをキッチリ修正した。

 オフ・ザ・ボールの動きで空いたスペースへ選手が素早く移動してサポートし合いパスをつなぐ鹿島の選手たちの戦術眼はすばらしく、レアルにハッキリ通用していた。前半、なぜ自分たちはボールをキープできなかったのか? この失敗を読み取り、後半にしっかり修正してきた。そんな鹿島の適応能力はすばらしい。

 またピンチが続くと見るや全体のゾーンをやや下げ、待ち受けるディフェンスに切り替え敵の攻撃をしのぐ試合運びのうまさも光った。鹿島のよさは「勝負強さ」とか「伝統の力」などと抽象的に言い表されがちだが……こうした試合巧者ぶりが勝負強さを生む元になるのである。

 おそらく鹿島はもしリーガ・エスパニョーラで1年間試合すれば、ワンシーズン後にはまったく別のチームになっているだろう。1つ1つのプレイが甘いJリーグのぬるま湯体質を脱し、一段高いスペインの水準に合わせて適応したプレイができるようになる可能性が高い。それだけの修正能力がある。(もしかしたら鹿島だけでなくJリーグの他チームにも同じことが可能かもしれない)。

 だが来年彼らがプレイするのはスペインではなくJリーグであり、悪い意味でまた再度「Jリーグレベル」に「適応」してしまうかもしれない。もしそうなったら本当に惜しい。

 負けた鹿島の選手たちは、「いい経験になった」などとは口が裂けても言いたくないだろう。だが負けがいい経験になるというのは、ポジティブに考えれば、失敗から学習し次の機会に生かし修正する「チャンスを得た」ということだ。鹿島の選手たちはこの経験を生かし、来シーズンはぜひ一段高いレベルでプレイしてほしい。

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​【サッカー日本代表】ガラパゴス化する日本人の「小さいサッカー」

2016-12-13 06:33:25 | サッカー戦術論
このスタイルはアジアでしか通用しない

 日本人はショートパスやワンツーにこだわる小さいサッカーが大好きだ。いや好きというよりすでにそれは血肉となり、日本人のDNAに深く刻み込まれている。

 そんな日本人ならではの小さいサッカーではロングパスを使わない(だからいつまでたってもロングボールの精度が身に付かない)。そして日本人はショートパスばかり多用するため、味方のボールホルダーに「まず寄ってやる」クセがついている。つまり味方同士が近くにいる距離感が彼らの命だ。

 そのとき出される彼らのパスは、ヨーロッパ人から見ると非常に弱々しい。日本人は近い距離でしかパス交換しないため、強いパスは必要ないのだ。必要ないからJリーグでは弱いパスばかりになり、いつまでたっても日本人には強いパスが身に付かない。

 こんなふうに日本人は弱いパスが習慣になっているため、海外のチームと試合をすると簡単にパスカットされてしまう(例えばロシアW杯最終予選・UAE戦でのMF大島の弱いパスが典型だ)。ボールスピードのない弱いパスでは、密集地帯を通せない。高度に組織化した現代サッカーの守備網に穴を開けることはできない。これでは日本はいつまでたっても「世界」に通用しない。

日本人はシュートレンジが極端に短い

 日常的に小さいサッカーをする日本人は、とりわけシュートレンジが極端に短い。小さいサッカーが習慣化している日本では、「シュートはペナルティエリアに入ってから打つものだ」という感覚が常識だからだ。

 しかもオフェンスの時だけでなくディフェンス時にもその認識だから、敵のボールホルダーがボックス外なら厳しく寄せに行かないことも多い。結果、海外のチームと試合をすると簡単にミドル〜ロングシュートを決められてしまう。

 すべてはいかにも日本人らしい、小さいサッカーの感覚ならではだ。日本が世界に勝つためには小さいサッカーから卒業し、日本人に身に付いてしまった独特の距離感をまず修正する必要がある。

ハリルは日本人の「小さいサッカー症候群」を見抜いた

 そんな日本の代表監督に就任したのがハリルホジッチだった。彼は対戦チームを事前にスカウティングし、弱点を分析するのに非常に長けている。そんなハリルは日本人の欠点をひと目で見抜き、「まず小さいサッカーを矯正する必要がある。それには大きいサッカーを習慣づけることだ」と考えた。で、ハリルは「縦に速く」とか「ひとつ飛ばして遠くにパスを出せ」と言い出した。

 だがなんせ日本は小さいサッカーの国である。ジャーナリストから代表選手に至るまで、「日本人ならではの距離感が何より重要だ」と考えている。そんな日本人たちにはハリルの意図がサッパリわからない。かくて、「ヤツはただの縦ポン監督じゃないか」などと陰口が飛び交う始末である。

 やれやれ、ハリルという名の宣教師の布教は長引きそうだ。

 そもそも「強いパスを心掛けろ」などとハリルが今やっていることは、本来なら育成年代の日本人指導者が教えているべきことである。代表選手をロープで繋いでディアゴナーレとスカラトゥーラを教える、などというのもそうだ。それをなぜ今ごろハリルがA代表でやる羽目になるのか? どうも日本人選手のパスが弱い問題等は選手の責任というより育成システムに問題があるようだ。根は深い。

「自分たちのサッカーができなかった」とは?

 忘れもしないあのブラジルW杯。日本代表選手たちが口々に唱えていた「自分たちのサッカー」なるものは、つまりは小さいサッカーのことだ。すなわち「自分たちのサッカーができなかったから負けた」というのは、「自分たちの小さいサッカーが世界に通用しなかった」ことを意味している。

「自分たちの小さいサッカー」は世界に通用しない。

 日本人は、まずそこからスタートするべきだ。

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【サッカー日本代表】日本人には「大きなサッカー」という概念がない

2016-12-12 05:00:00 | サッカー戦術論
僕らはショートパスが大好きだ

 日本人が考える理想のサッカーは、ショートパスやワンツーが連続してつながる流れるようなパスサッカーだ。

 ショートパスをつなぐには、複数の選手同士が近い位置にポジショニングし、たがいにパスのコースを作る必要がある。それを実現するには、まず味方のボールホルダーに近寄ってやること。だから必然的に日本人のサッカーは「小さなサッカー」になる。

 小さいサッカーをやるには、どうしても一定の「距離感」が必要になる。ゆえに日本人には、SBから逆サイドに開いたウイングまでダイアゴナルなピンポイントの長いサイドチェンジを入れるような発想などないし、またそんな技術も備わっていない。

 そこにハリルホジッチと名乗る伝道師が黒船に乗ってやってきて、「大きいサッカーをするように」と布教を始めた。「お前ら、それでは世界に勝てないぞ」と彼はいう。

「可能なら、ひとつ飛ばして遠くへパスをつけろ」

「敵味方の配置を見てみろ。この局面は速攻カウンターのチャンスじゃないか。なぜ縦に速くボールを入れないんだ?」

 伝道師は日本サッカーという「小さなサッカー」を破壊するデストロイヤーだった。自分らの理解を越えることを言われ始めた日本人たちは、意味がわからず路頭に迷った。

 日本人に技術がないせいで裏を狙うロングボールがミスパスになるのを見て、「なんだ、ハリルジャパンはただの放り込みじゃないか」という者もいる。ある者は伝道師を指差し、「あいつの宗教はまちがっているんじゃないか?」とまでいう。

 だがそもそも小さいサッカーという「クセ」のついた日本人を変えるのは大変だ。考えてもみるがいい。貧乏ゆすりを直すのがいかに難しいことか? ゆえにハリルの日本人改造計画は、まだまだ道半ばである。

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【サッカー日本代表】ハリルは日本人の思考を改造する

2016-11-28 08:10:51 | サッカー戦術論
相手に相撲を取らせない

「自分の相撲を取るだけです」

 よく力士は言う。

 相手がどうやってこようがまず自分がある。自分を貫き盲進する。信じて、まっすぐ。負けても潔く。それが日本で尊ばれる精神性だ。あえて戦い方をふたつに分けて考えれば、正々堂々、フェアプレイの精神である。

 だがハリルは真逆だ。相手の相撲を見て考える。敵の良さを消せ、と。相手に相撲を取らせない。相手に力を発揮させないためにはどうすればいいか? それがハリルの思考法だ。戦い方をふたつに分ければ、力士の発想と正反対である。

 ずる賢く、奸計を巡らし敵の寝首を掻く。フェアかどうかなど二の次、三の次。敵を殲滅できればそれでいいーー。

 これは日本人にとってコペルニクス的転回だ。もし今後、日本のサッカーがハリル的なメンタリティを備えて勝ち進むとすれば、まさに革命である。

 そこにあるのは勝利至上主義だ。スタイルに対するこだわりなどない。すべては勝つためにある。
 
「敵を騙して何が悪い? おまえは勝ちたいのか? それとも負けでいいのか?」

「おまえらの文化を変えろ。でなきゃ負けだぞ?」

 ハリルは無垢で善良なる日本人に、価値観の転換を迫っている。もし日本人にこれができたら、明治維新どころじゃない社会改革だ。おもしろいーー。そんなわけで今日も私は、ハリルが進める日本人大改造計画を興味深く見守っている。

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【サッカー日本代表】デュエルをめぐる噛み合わない議論を整理する

2016-11-26 08:51:26 | サッカー戦術論
ハリルは日本人の弱点を指摘しているのか?

 ハリルはしきりに「デュエル(球際の強さ)が大事だ」と強調する。で、それを契機に巷では目下、こんな議論が起こっている。

 ある人は、「いや、日本人はフィジカルが弱いんだから、1対1でなく数的優位を作って勝つサッカーをすべきだ」と現実論をいう。それに対してある人は、「個の強さは大事だ。サッカーでは組織以前に、まず個の強さがベースにあるべきだ」と原則論を掲げて反論するーー。

 なんかこれ、どっかで見たことありますね? そう、フィリップ・トルシエが代表監督だったころに巻き起こった「個か? 組織か?」の議論なのだ。デュエルの話がいつのまにか、またあの議論になっている。日本人は好きだなぁ、この話が。とはいえ「数的優位を作れ」というのも正しいし、「まず個の強さだ」ってのも正論。かくて議論はまたもや堂々めぐりと相成ってしまう。

 だが今回の議論がどうも噛み合わないのには、理由がある。それは「ハリルはそもそもどういう意図で『デュエル』を強調してるのか?」という議論のベースをスッ飛ばしているからだ。

 というのも当初、ハリルのデュエル論を聞き、多くの人はこう考えた。

「ああ、日本人は球際の競り合いが弱いから、『弱点を修正しようよ』とハリルは言ってるんだろうな」

 ところがその後、ロングボールを前線に入れて競り合わせるハリルの戦い方を見て、ある疑念が起こった。

「ひょっとしたらハリルは日本人の弱点を分析してたんじゃなく、『デュエルを武器(売り物)にして勝つチーム』を作ろうとしてるんじゃないか?」

「日本人はデュエルが弱いからそこを修正しよう」というのと、「デュエルで勝つチームを作ろう」というのは似て非なるものだ。まったく意味がちがう。わかりやすくいえば前者は「弱点を人並みにしようよ」という話。ところが後者は、「局面をあえてデュエルの戦いに持ち込み、デュエルの強さでこそ勝つチームを作ろう」という戦略論だ。

 そこで「えっ? ハリルがデュエルを唱えるのは、日本人の弱点を指摘してたんじゃないのか? そうではなく、『デュエルで勝つ』チームを作るって意味なのか? 話がちがうぞ」。そんな疑問をもつ人が出るようになった。で、冒頭にあげた「個か? 組織か?」みたいな議論になってるわけだ。

 日本人は「個の強さ」をもっと上げるべきだが、「デュエルを武器に戦う」というのが日本代表の指針として正しいのかどうか?
  
 みなさんはどう思いますか?

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【ロシアW杯最終予選・サウジ戦・2】ラインの押し上げとディアゴナーレがない日本の守備

2016-11-24 06:37:02 | サッカー戦術論
コーナーに追い詰められたボクサーのようだ

 ロシアW杯最終予選・サウジ戦。世間は「勝ってよかった」一色だが、前々回の記事で分析した失点シーンが頭から離れない。あの場面には日本の守備の根本的な欠陥が凝縮されている。ここは修正すべきだ。そこでもう一度サウジ戦の失点シーンをさらに前まで巻き戻して見て行こう。

 あのシーン。実は日本には最終ラインを押し上げるチャンスが3回あった。まず1回目は後半43分、(サウジ側から見て)右サイドのハーフラインあたりから日本のゴール前にロングボールを放り込まれた場面だ。このとき吉田がヘディングで大きくクリアした。あそこで守備の原則通り、まずラインを押し上げるべきだった。

 その数秒後には同じく(サウジ側から見て)右サイドのハーフラインあたりから逆サイド深くにサイドチェンジのボールを入れられ、酒井(宏)がまたヘディングでクリアした。このときも少しでもラインを上げたかった。

 そうすれば直後に(前々回の記事で取り上げたように)本田が1人で寄せに行くのでなく、ディアゴナーレを組みながら本田の後ろの選手も連動できていたはずだ。いやそれ以前に最初のチャンスでラインを上げていれば、このとき本田はクリアされたセカンドボールを拾えていたかもしれない。

 そして本田が寄せてくるのを見て、敵ボールホルダーはバックパスする。このときもラインを押し上げられた。このように失点シーンの直前には計3回、ラインを押し上げる機会があった。

 つまり失点シーンはラインがかなり下がってしまった状態であり、敵にたっぷりスペースをプレゼントしていた。PKから失点したオーストラリア戦の後半も同じ症状だった。そして両試合の後半に共通するのは、いずれも自陣に4-4-2のブロックを敷き敵を待ち受ける守備をしていたことだ。だが日本はそのやり方をすると最終ラインが次第にズルズル下がり、コーナーに追い詰められたボクサーのように殴られっぱなしになる。これでは何度ボールをクリアしてもセカンドボールを拾えない。

 チャンスがあれば勇気をもってラインを押し上げ、コンパクトな守備を心がけるべきだ。でないと2度ある失点は3度ある。ハリル政権ではおそらく今後も、ゾーンを下げた戦い方をする機会があるだろう。同じ過ちは決して繰り返さないようにするべきだ。

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【ロシアW杯最終予選・サウジ戦】進化した試合運びと頻発する守備のミス

2016-11-18 07:07:21 | サッカー戦術論
流れの中で初めて失点する

 15日に行われたロシアW杯アジア最終予選・サウジアラビア戦は、2-1で日本が勝ち切った。あらためてサウジ戦の映像を繰り返し再生し詳細に分析すると……点差に応じて押し引きする日本の試合運びのうまさが浮かび上がってきた。だが反面、後半はゾーンを下げて守備的にし、相手にボールを握らせて先行逃げ切りを図ったが守備のミスが目立った。ここが課題だ。

 この試合、日本は最終予選で初めて流れの中から失点した。特に本田は2点目の起点になったことばかりが報道されているが、逆に失点の原因も作っている。1勝1敗だ。日本がW杯本大会でグループリーグ突破を目指すなら、いま一度、守備の基本を精査する必要がありそうだ。

「ハリル・マインド」で日本は狡猾になった

 日本は前半立ち上がりからアグレッシブにハイプレスをかけて高い位置でボールを奪い、ショートカウンターを狙った。だが1-0でリードして後半に入ると、一転して自陣に4-4-2のブロックを敷き、ゾーンを低くして相手を待ち構える守備に切り替えた。つまり後半は守備的にしてハイプレスで先行した1-0のリードをしっかり維持し、あわよくばカウンターで追加点を、というゲームプランである。

 結果、相手のポゼッション率は高まるが、「やられている」わけではない。相手にボールを持たせているだけだ。この流れから狙い通り2点目を奪っている。こういう戦い方の切り替えはハリル以前の日本にはなかったものだ。その意味で日本代表は「ハリル・マインド」により狡猾になったといえる。

 またこの試合、日本は局面に応じて速攻と遅攻、ポゼッションとカウンターをうまく使い分けた。ハリルが考えるタテへの速さに加え、選手が自主的にアレンジして「タメ」を効かせパスワークを増やした。そもそもサッカーでは相手が前がかりでくれば速いカウンターのチャンスだし、自陣に引かれてしまえば時間をかけて遅攻にせざるをえない。90分間、単一の戦術を取るという一辺倒な戦い方はありえない。

 このあたり、イラク戦に代表されるように今までの日本はややもすると戦い方が一本調子だったが、この試合ではスコアに応じて変化をつけられるように進化していた。ただし守備面には課題が多いのだが……。

失点シーンの発端は本田だった

 サウジ戦、日本はアジア最終予選で初めて流れの中から失点した。その失点シーンは日本のクリアボールをキープした敵に対し、本田が食いついて前に出たのが発端だった。彼が飛び出したことで、3ラインのうちMFラインのゾーンに穴が開いた。

 近づいてくる本田を避けて敵ボールホルダーはいったんバックパス。それを見て本田は安心したように前へ出たまま足を止めてしまう。ここでMFのラインに戻らなかったのが致命的だった。その瞬間、すかさず中央にパスを出されて本田は置き去りにされる。このときパスを受けた敵ボールホルダーには山口がプレスをかけたが、本田はそもそも山口に対しディアゴナーレのポジション(斜め後ろの位置)を取り、山口に中を切らせるべきだった。

 だが時すでに遅し。本田はのんびり歩いてプレスバックをサボる。かたや山口はボールにただ食いつくだけで、中を切りパスコースを外に限定しようという発想がない。加えて山口の真横にいた長谷部もディアゴナーレ(山口の斜め後ろについてカバー)を怠り、足を一瞬止めたため前斜めへのパスコースを作ってしまう。結果、カバーのない山口はボールホルダーにあっさり中へ向き直られ、ゴール前のド真ん中に深刻なパスを出された。これが失点の契機だ。

 3人続けて守備のミスをすればひとたまりもない。まず直接的には、最初にボールに食いつきそのあとプレスバックしなかった本田のミス。彼は確かに2点目の起点になったが、「失点の起点」にもなってしまった。本田が考えるサッカーは「ボールを出し入れして敵を食いつかせる」バルサ流だが、あのシーンではまさに本田自身がその餌食になりボールに食いついている。

ファウルでごまかしFKで失点するか、流れの中で失点するかの違い

 このようにハリルジャパンは自分たちのミスからピンチを招きがちだ。いつもならそのミスを取り返すためファウルで逃げ、FKやPKから失点するのが恒例のパターンだ。それがこの試合ではたまたま流れの中から失点した。ハリルは「最終予選では流れの中から一度も失点していない。しっかりオーガナイズされている」というが、単なる詭弁だ。致命的なミスをファウルでごまかし直後のセットプレイで失点するか、流れの中で失点するかの違いにすぎない。

 現にその後もゴール前で吉田がクロスをかぶるなど日本は致命的な守備のミスを連発し、いつ同点にされてもおかしくなかった。意図的にゾーンを低くし、相手を待ち受ける「やってこい」のディフェンスができるほど日本の守備は安定していない。

 もしこの形を続けるならひとつ提案だが、あのオーストラリア戦前半のような、待ち構えるコンパクトな守備をする練習をくり返しやるべきだ。相手ボールのとき、「この瞬間にディアゴナーレはできているか?」を常に意識すること。今後も迂闊な失点を続けないよう、日本はチャレンジ&カバーの守備の基本に立ち帰って修正点を確認すべきだ。

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【ハリルジャパン】本田が画策する「反乱」に反対だ

2016-11-12 09:40:29 | サッカー戦術論
ポゼッション率だけが高い「小さなサッカー」に陥るな

 オマーン戦後、本田はあらかじめ清武と「距離感」について話し合っていたとコメントした。周囲の選手とも話し、共通理解を取ったという。非常に気になる発言だ。ひょっとしたら本田はショートパスにこだわる「自分たちのサッカー」を発動し、ハリルに反乱を起こそうとしているのではないか? だがそのサッカーでは世界に勝てないことはすでにザックジャパンが実証している。私は反対だ。

 ハリルのサッカーはダイアゴナルなサイドチェンジによるワイドな展開や、CBから前線に狙い澄ましたロングパスを入れる「大きなサッカー」だ。だが一方、本田や香川が考えるサッカーは、ショートパスやワンツーで中央突破にこだわる「小さなサッカー」である。つまり監督と志向するスタイルが違う。

 そして本田が考える小さなサッカーに不可欠なのが、彼がコメントしている「距離感」なのだ。

 本田が好むショートパスやワンツーを交わすには、選手同士が近い距離にポジショニングする必要がある。本田が「距離感」と言いだした背景には、どうもこの路線対立があるような気がしてならない。悪い兆候だ。

 一般論で言って、日本人が好むサッカーは短いボールが連続してつながる流れるようなパスサッカーだ。つまり「本田派」である。このサッカーをやるにはいい意味での連動性やアジリティ、距離感が求められる。

 だが反面、このスタイルにこだわりすぎるとどうなるか? タイのサッカーみたいにパスをつなぐこと自体が自己目的化し、ポゼッション率だけは高まるがいつまでたっても肝心のゴールが取れない得点欠乏症に陥る。「やってる自分だけが気持ちいい」サッカーだ。かつてのジーコジャパンや悪い時のザックジャパンはそれが顕著だった。日本が世界で勝つには、そろそろこの「国民病」から一刻も早く解脱する必要がある。

敵を横や縦に広げさせるハリルの「大きなサッカー」

 一方、ハリルのサッカーは反対に選手同士が一定以上の距離を取り、相手チームのゾーンを横に広げさせたり縦に伸ばしたりする大きな展開をする。これでゆさぶりをかけ、敵の守備網にほころびを作るスタイルだ。「本田派」の小さなサッカーとは対照的なスタイルであり、日本人が「国民病」から脱するにはハリルのようなサッカーが特効薬になる。

 とはいえ小さなサッカーに慣れた日本人が、いきなりハリル流の大きなサッカーをやるとどうなるか? ロングパスが精度を欠いて単なる放り込みになるなど、パスがつながらない大味な「ブツ切りサッカー」になってしまう。また選手同士が遠いため援軍がなく、必然的に敵と1対1になる局面が多くなる。すると日本人特有の個の弱さが露呈し、苦手なデュエルで負けてしまう。

 つまり今は産みの苦しみなのだが、この過渡的な「ブツ切りサッカー」現象に日本人がアレルギー反応を起こし、にわかにハリル解任論が起こっているというのが現状だ(私の解任論は全く別の理由だが)。

 しかし時計を巻き戻し、ジーコジャパンのような「自由で楽しい」ゆとり教育みたいなサッカーに変えたとしてもそれは単なる自己満足であり、日本が世界で勝てるサッカーにはならない。本田が繰り返す「距離感」なるものは、そうした時間の逆行を意味するのではないかと私は危惧している。

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【ハリルジャパン】いかにボールを持たずに勝つか?

2016-10-30 09:47:31 | サッカー戦術論
ハリルが考えるカウンターは効率的だ

 いろんな意味でハリルほどインスパイアされる代表監督は初めてだ。「このおっさんはいったい何を考えてるんだろう?」と想像をめぐらしていると、次々にいろんな思考が湧いてくる。そのひとつが「いかにボールを持たずに勝つか?」である。

 ポゼッション・サッカーを正当化する言葉として、「90分間ボールをキープし続ければ負けることはない」がある。では逆にハリルが志向するようなカウンター・サッカーの利点は何か? ボールを失うリスクがないことだ。なぜなら初めからボールは持っていないのだから。

 例えばポゼッションし、前にかかっているときボールを失えば、後ろにスペースを作ってしまっているため一発でカウンターを食らう。だが自分たちがボールを持たないカウンター攻撃の場合、前でボールを奪えれば、極端なケースではボールに1〜2度触るだけで得点できる。非常に効率的だ。

 日本人は今まで、ポゼッションし、ゲームを支配することで初めて勝てると考えてきた。だが「いかにボールを持たずに勝つか?」を発想する勝ち方もあるのだ。これだから正解のないサッカーはおもしろい。

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