すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【サッカー日本代表】日本はポゼッション・スタイルを選択すべきか?

2018-04-27 07:04:19 | サッカー戦術論
西部謙司氏の興味深い二元論

 サッカージャーナリストの西部謙司氏が『footballista』3月22日付の記事️で「デュエルか? ポゼッションか?」という興味深い二元論を展開している。『日本サッカーは「デュエル」とどう向き合っていくべきか?』というコラムである。

 氏は記事の中で「日本が強豪国に近いクオリティを出せるのはポゼッション(ボール保持)時である」とする。そして日本は将来的にはポゼッション・スタイルを選択し、あとはカウンター対策とチャンスメイク、および決定力を向上させれば「デュエルを長所に転ずるより見込みがあるだろう」と結論付けている。

 ポゼッション・スタイルを極めれば日本は強くなる、それはそれでひとつの立論だ。ただし「デュエルを長所(武器)に変えて行くより見込みがある」という部分には少なからず違和感がある。

 デュエルはサッカーをプレイする者がすべて等しく備えておくべき基礎であり、ポゼッション・スタイルを選択すれば「なくていい」ものではない。また日本にとって「デュエルを武器に勝って行く」という類のものでもない。サッカーにおいては空気と同じだ。

 デュエルは食事するときの箸の持ち方のようなものであり、当然備えていなければ食事(サッカー)ができない。それを武器にするというより、会話をする場合の「あいうえお」のようなものではないだろうか? どうも「デュエルか? ポゼッションか?」という二者択一の論法にムリを感じるのだ。

欠点を直すか? 長所を伸ばすか?

 サッカーではこれと似たような議論の混乱がよくある。例えば「日本人は個が弱い。個を強くするべきだ」といった場合だ。これはあくまで個の弱さという「短所を改善しよう」という呼びかけである。

 にもかかわらず条件反射的に「個で勝つサッカーには反対だ。日本は組織的なサッカーをすべきだ」というトンチンカンな反論を受ける。いや、別に「個を武器にし、個で試合に勝とう」というわけではなく、「弱点(個の弱さ)を修正し、人並みになろう」という呼びかけにすぎないのだが。

 西部氏の「デュエルを長所(武器)に変えて行くより(ポゼッションのほうが)有望だ」という論法にも、これと似たような議論のねじれを感じる。要はこの議論は「欠点を直すか? 長所を伸ばすか?」という不毛な二元論なのだ。

 欠点はいくら直したからといってそれ自体、武器にならない。「欠点を直そう」と主張する論者だって、「欠点をなくして人並みになろう」「弱点をなくそう」と言っているにすぎない。

 にもかかわらず「長所を伸ばすべし」論の立場の人は、なぜか「欠点を直すか? 長所を伸ばすか?」という二者択一の二元論に仕立てたがる。で、「欠点を直すより長所を伸ばすべきだ」と結論付けるのだ。

 しかしデュエルは排他的に捨ててしまえるものではない。当然備えておくべき基本である。でなければ日本サッカーのインテンシティの低さはいつまでたっても直らないし、そこが修正できなければ世界で勝てない。

カウンター対策をどうするのか?

 念のため補足すれば、カウンター対策と決定力を向上させた上でポゼッション・スタイルを選択すべきだ、という西部氏の主張には特に異論はない。それはそれで強い日本代表ができるだろう。ただし世界レベルで見て「人並み」のデュエルを備えた上での話だが。

 本ブログのこの記事でも書いたが、西野ジャパンは選手の自主性を重んじ、であるがゆえに必然として本田が考えるポゼッション・スタイルに着地する可能性が高いと思う。

 とすれば、もしそうなった場合のカウンター対策をどうするのか? 西部氏の当該記事ではその具体論に触れられていない。

 とかく狭いエリアで人がボールに極端に偏る「日本式パスサッカー」にカウンター対策は必須だ。日本代表にとっては重要な論点である。ぜひ氏の記事の第二弾を期待しておこう。

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【サッカー日本代表】日本式サッカーを世界化する

2018-04-26 08:17:19 | サッカー戦術論
「組織でカバー」は言い訳にすぎない

「日本人の長所を生かした日本らしいサッカー」。このテーゼは、実に甘美な魅力をもっている。日本にしかないユニークでオリジナルなものを日本人が発明し、それを武器に世界に伍して行くーー。このコンセプトは日本人をすっかり魅了した。

 だがその美名のもと行われたさまざまな「日本化」により、日本サッカー界はその実、世界からすっかり取り残されてガラパゴス化した。例えば集団でショートパスを交換する日本式パスサッカーもそのひとつだ。また極端なインテンシティの低さや、1対1や個の弱さ、デュエルの欠如なども「組織でカバーすればいい。それが日本のやり方だ」という言い訳のもと放置されてきた。

 一方、ラグビーにしろ野球にしろ、日本人が世界と対等に戦えている団体スポーツは数多い。個人競技も含めれば世界に冠たるレスリングや柔道などもそうだ。だが、どのスポーツもサッカーみたいに「日本人は個が弱い。フィジカルがダメだから集団でごまかそう」などと甘ったれたことを言ってる競技はない。見事にサッカーだけである。

基本から目をそらす日本人

 そろそろ日本サッカー界は言い訳をやめ、ガラパゴス化してしまった日本式サッカーを世界化する必要があるのではないか? 1対1が弱いならそれを「組織でカバーする」のでなく、まず1対1という基本そのものを強くする努力をする。組織によるカバーリングは、それができてからの話だ。

 個の弱さも深刻だ。個が弱いと、ひとつには日本人が苦手なロングパスを正確に蹴ったり止めたりするプレーが改善されない。となるとピッチを広く使った大きな展開ができない。だから「みなさん狭いエリアに集団で集まり、短いパスをたがいに交換しましょう」という日本式パスサッカーになってしまう。個という基本ができてないからだ。

 またそもそも「1人かわしてシュートを打つ」という個の強さがなければ、日本名物である決定力の低さも解消されない。決定力だけは「組織でカバーする」などという代案がないから、日本はいつまでたっても点が取れないままだ。

 結局、何が起こっているのかといえば、日本人の欠点=基本の欠如を「組織で補う」という言い訳をすることで、日本人は短所を直す努力から逃げているのである。基本から目をそむけているのだ。

 たしかに個の強化やロングパスの精度向上には時間がかかる。それが完成するまでの間は勝てないかもしれない。長期計画が必要だ。だが、だからといって基本をすっ飛ばして「日本化」の美名のもと問題点から目をそらし続けるのでは、日本はいつまでたってもワールドカップで勝てない。

 サッカーに近道はない。日本人はそれを肝に銘じるべきだろう。

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【ロシアW杯】日本式パスサッカーはどう崩壊するか?

2018-04-15 07:07:36 | サッカー戦術論
西野ジャパンの「負け方」をサンプリングせよ

 この記事で書いた通り、監督交代した急造の日本代表はロシアW杯で得られるフィードバックがゼロに近い。だがなんとか得るものを持ち帰らなければ、日本はワールドカップを1回お休みしたのと同じになる。それでは本当に意味がない。そこで妙案がある。

 西野ジャパンが決勝トーナメントに進出することはありえないから、採取できるサンプルはグループリーグの3試合だけだ。西野監督は「ボールをつなぐサッカー」をするそうだから、ならばこの3試合で「日本式のパスサッカーはどう崩されるか?」をサンプル収集し、未来に役立てるのである。つまり日本式パスサッカーの弱点を見つけ、将来に向けて課題を修正するのだ。

 世界から取り残され、日本人のパスサッカーはきわめて特異なスタイルへとガラパゴス化している。どういう意味か? 日本人は長いパスを蹴る・止めるのが苦手だ。しかも味方同士が距離を取ってロングボールを受ければ、そのあと1人でボールをキープする必要がある。個の力で劣る日本人の弱点が露呈してしまう。そこで日本人は、これを集団の力で解決しようとする。

 すなわち味方同士が近寄ってやり、集団でショートパスを交換するのだ。これなら個の力は最小限ですむ。これが「日本式パスサッカー」であり、日本人の遂げたガラパゴス化だ。

カウンターに弱い日本式パスサッカー

 だが、こんなチームを攻略するのはカンタンだ。

 一例を挙げれば、日本からボールを奪えば一発長いサイドチェンジを入れ、あとは縦に速い攻めをすればさっきまでボールに集まっていた日本の選手は3〜4人がまとめて置き去りにされる。ピッチに均等に広がったまま大きい展開ができるヨーロッパのチームとくらべ、人がボールに極端に偏る日本式パスサッカーはカウンターに非常にもろい。

 ロシアW杯での日本代表はこうした弱点を連発するはずだ。そこで「西野ジャパンはいかに負けるか?」を細かくサンプリングし、それを将来に生かす。

 集めたデータを分析すれば、結局、ハリルが言っていた「大きい展開」や「1対1の強さ」「球際のデュエル」が必要だったんだ、てな話になるのだが……バカは自分の愚かさや欠点を自己認識できてないからバカなのだ。

自分たちの欠点をいかに修正するか?

 日本人は自分たちはどこがどうダメで、それを修正するには何をすべきか? を考えようとしない。自分を知らないから「日本人の特徴を生かせ」「長所を伸ばそう」「サッカーの日本化だ」と、ゆとり教育みたいなサッカーになる。日本代表は歴代、この繰り返しだった。

 そうではなく、日本人に必要なのは自分たちの欠点をいかに修正するかだ。

 そこで日本式パスサッカーはどう崩壊するか? をロシアW杯でサンプリングし、自分たちに足りないものを認識させる。そうすることで初めて、日本式ではなく「世界基準のパスサッカー」をしなければW杯で通用しないことがわかるだろう。

 バカは自分のどこがバカなのか? を認知できて初めてバカを卒業できる。でないと同じことを何度でも繰り返す。

 ロシアW杯は「自分たちのサッカーはどこがどうダメなのか?」を自己認識するための大会になる。

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【ハリルジャパン】なぜ速攻と遅攻を使い分けられないのか?

2018-04-05 08:21:36 | サッカー戦術論
選手AIが低いタテ一辺倒

 敵からボールを奪ったポジティブ・トランジションの局面において、サッカーには2通りのプランしかない。

 さあボールを奪った。敵はちょうど前がかりになり、攻めている最中だった。そのため相手は守備のバランスが崩れている。ゆえに前線でフリーになっている味方の選手もいる。カウンターのチャンスだ。タテに速くパスを通して速攻をかけようーー。これがプランAだ。

 ハリルの志向するタテに速い速攻のパターンがこれである。

 他方、ボールを奪った時点では、まだ敵の守備のバランスが崩れてない局面もある。そんなときには速いムリ攻めをしてもボールを失うだけだ。で、遅攻に切り替えタメを作る。パスを横や斜めにつないで敵陣にゆさぶりをかけ、相手の守備網に穴を空けようーー。これがプランBだ。

 要はなんでもかんでもロングボールを放り込み、速く攻めればいいわけじゃない。局面に応じて速攻と遅攻を使い分け、ポゼッションすべきときには遅攻に切り替え力を溜める。ハリルジャパンは、なぜこんなカンタンなことができないのか? 

 ハリルが「とにかくタテに放り込め」と指示するからか? そんなものは選手が自分の頭で判断し、速攻がムリな局面ならば遅攻に変えればいい。

 逆に本田がバックパスや横パスばかり繰り返し、遅攻オンリーに偏るからか? それなら味方の選手が指示を出し、局面に応じたプレイに変えさせればいい。

 なぜこんなカンタンな使い分けができないのだろうか?

敵の守備網が万全でもロングボールの意味はある

 ただし相手の守備のバランスが崩れてなくても、タテにロングボールを入れる意味がある場合はザックリ2つ存在する。ひとつはロングボールを警戒した敵の最終ラインを下がらせることで中盤との間(バイタルエリア)にスペースを作り、そこを狙いたい場合だ。

 あるいはロングボールを入れた上で前線から集中プレスをかけ、そのボールを刈り取りたいケースもある。こうすればロングボールを入れた次の瞬間に(プレスでボールを奪い返すことで)たちまちアタッキングサードで味方がボールをキープできる。非常に効率的な攻めである。

 マスコミがこの2つのパターンを見たときに「ロングボールを使う意味」がわからず、「ハリルはなんでもかんでもタテ一辺倒だ」と騒ぐーー。

 おそらくそんなことじゃないかと想像している。

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【サッカー日本代表】ハリルは日本人の個の弱さをむき出しにする

2018-04-02 08:44:40 | サッカー戦術論
「ハリル」という負荷をかけ長期計画で強くなる

 ハリルは選手間の距離を長く取り、タテにロングボールを入れたり、フィールドを斜めに横切る長いダイアゴナルなサイドチェンジを要求する。つまりハリルは「大きなサッカー」を求める。

 すると必然的に長いボールを正確に蹴り、長いボールを正確にトラップするボールコントロールの技術が必要になる。かつ選手間が離れているから、パスを受けた選手は自分1人でボールをキープできなければいけない。するとたちまち日本人の個のレベルの低さがさらけ出される。

 ハリルのやり方は、逆に選手間の距離を縮めて「個の力」不足を補い、集団の力で小さいサッカーをしようとする日本人とは対照的だ。

 だからハリル戦術では日本人は「今は」力を出せない。長期計画で、W杯を何大会も経なければ効果は出てこない。だが、だからといって壁の高さを恐れて逃げてしまっては、問題点はいつまでたっても解決できない。

傷口をさらけ出すような戦い方

 これはハリルが「デュエルだ!」といって激しい競り合いやフィジカルを重視する点でも同じだ。ガタイのでかい外国人選手とフィジカル勝負をすれば明らかに不利だ。日本人のフィジカル不足がさらけ出される。

 しかも接触プレイが多くなればなるほど、選手は飛躍的に消耗が激しくなる。大きな負荷をかけてトレーニングしているのと同じだ。では接触プレイを避けてスタミナを温存するのでなく、あえてぶつかって負荷を高めるのは何のためか? 「本番」のためだ。

 すなわちハリルのやり方は、日本人に高い負荷をかけているのと同じ。つまり「個の力養成ギブス」をはめた状態である。これではすぐに力を出せないのは当たり前だ。だが、だからといってギブスを脱いで逃げてしまえば個の力は養成されない。

 つまりハリルをめぐる賛否両論は、目前の課題から逃げて「ロシアW杯で」そこそこ見栄えのいい試合をするのにこだわるのか? それとも何年もかけて個の力を養成し「50年先のW杯で」常勝国になることを目指すのか? という議論なのだ。

ハリルは日本人の弱点を修正する処方箋を出している

 ハリル戦術は日本人の個の弱さを露わにする。ゆえに日本代表は「今は」力を発揮できない。だからといってまた「個の弱さを組織で補おう」的な議論に戻ってしまうのでは、日本人の個はいつまでたっても弱いままだ。

 良薬は口に苦し。あえて日本人の個を露わにするハリルの戦い方をし、そのことによって弱い個を強くする。もちろん何年もかかるが、そこにトライすべきである。逃げてばかりいては病巣は潜在化するだけだ。

 その意味で「デュエルだ!」「タテに速く」「大きな展開をしろ」というハリルの問題提起は的を射ていた。これらは3点とも「日本人はここをこう直すべきだ」という分析に基づく提言である。つまり日本人の弱点を修正するための処方箋になっているのだ。

 ただしこうした戦い方は、いったんは日本人の欠点を致命的なまでにさらけ出す。だがしかし、これらを粘り強く続けて行けば「個の弱さ」という日本人の弱点は解消されるはずだ。

負荷なしで「美しいプレー」ができても意味がない

 レベルが低かった昔と違い、今の日本代表の選手たちに「好きなように」プレーさせれば、きれいにパスをつないでお客にウケる試合をするだろう(ただしそれで欧州のトップに勝てるかどうかは別問題だ)。

 つまりハリルジャパンの試合がギクシャクするのは、選手に「ハリル」という高い負荷(縛り)をかけているからである。一定の負荷がかかった状態で、それでもスムーズにプレーできるかどうか? それが実現できればヨーロッパや南米の列強国とも渡り合えるようになる。逆に負荷をかけずにいくら「美しいゲーム」ができたとしても、まったく何の意味もない。

 負荷をかけて個の力を養成し、50年、100年後にワールドカップ決勝トーナメントの常連国になることを目指すのか? それとも負荷なしで「好きなように」プレーし、目先のグループリーグで「いい試合したよねー。惜しかったよなぁ」と勝ったり負けたりしながら️グループリーグ敗退️を繰り返すのか? さてどっちがいいか、というお話だ。
 
 ロシアW杯が終わり、ハリルが任期を終えたら……日本人たちはここぞとばかりに「個の力養成ギブス」を脱ぎ捨て、負荷から目をそらし自らの問題点から逃げるのだろう。

 暗澹たる思いがする。
コメント (1)
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【W杯への修正点】4-1-4-1でバイタルを埋めろ

2018-03-29 10:49:15 | サッカー戦術論
プランBは本田の1トップと中島のセカンドトップだ

 まったくあのウクライナ戦からは多くの情報を得られた。非常に有意義なテストマッチだった。この試合から引き出せる修正点は数多いが、今回は「バイタル空くよ」問題と、W杯本番でリードされた場合のプランBについて考察してみよう。

 まず前者に対する修正点だ。結論から先にいえば、ハリルジャパンの守備のやり方では中盤の横幅を4枚(4-2-3-1のダブルボランチと2SH)で埋めるのは無理だ。

 実際、4-2-3-1で臨んだウクライナ戦では、サイドに開く敵MFにボランチがついて開いて中盤真ん中にスペースを空けてしまい、そこを狙われて失点した。しかもこの現象はウクライナ戦だけでなく、過去のテストマッチでも何度も発生している。ハリルが人について行く守備を志向する限り、この「バイタル空くよ」問題は解決できない。

 そこでシステムを4-1-4-1にして中盤には3センター(アンカーと2インサイドハーフ)を置き、相手ボールになったら4-5-1に変化してリトリート対応する。これで中盤は5枚でしっかり守れる。おまけに守備時の4-5-1は4-1-4-1や、3センターを後ろに残した4-3-3にも変化できるため、場合によってはハイプレスもかけられる。

 問題は3センターの人選だが、アンカーとインサイドハーフ1枚は長谷部と山口蛍で決まり。あとは残りのインサイドハーフ1枚が悩ましい。柴崎か、井手口や長澤を呼び戻すのも1案だが、ここは大胆に本田を推す。後述するが、本田をインサイドハーフのスタメンで使っておけば、さらなるシステム変更が可能になるからだ(後述)。

 本田って実は何気に守備もうまく粘りがある。ゆえに3センターの一角をやれるはずだ。現に所属チームでもやるときがある(私個人としては、彼には本当にボランチをやってほしい)。

ハリルは「政治的」に本田を警戒している

 さてハリルは本田を4-2-3-1の「3」の右SHでテストしている。ハリルはこのポジションの選手には攻撃時、ウイング的に裏のスペースに飛び込むことを要求している(久保や浅野のように)。だが、ぶっちゃけスピードがなく(悪くいえば鈍重な)本田には向かない動きだ。

 私は戦術的にはハリルを支持するが、こと選手選考と選手起用にはかなり異論がある。いまだにFW杉本健勇や宇佐美を見切らずテストしているのもそうだが、この「本田問題」もその最たるものだ。そしてこの本田案件には、ハリルのメンタリティの深い部分が影響していると見る。

 結論から先にいえば、ハリルにとって本田は「目の上のたんこぶ」なのだ。ハリルは監督として厳然たる権力を握り、絶対的な長として君臨したがる帝王キャラだ。そんなハリルにとって、発言力と実績があり、ややもすればフィールド上の「現場監督」になりかねない本田は常に警戒すべき対象なのである。

 このことは記者会見を見ただけでわかる。メンバー発表の席上で、本田のことに記者の質問が集中するだけでハリルは露骨に嫌がる。結局自分は本田を選ぶクセに、「みなさんの質問は本田の話ばかりですね。大量に出ているケガ人のことはどうでもいいんですか?」などと、チクリと嫌味を言う。人々が本田を認め、本田について知りたがるのが気になってしかたないのだ。

 私などはそんなハリルのキャラを見て「わかりやすいなぁ」「子供みたいだ」「おもろいおっさんだな」と好ましく見るのだが、反対に「腹黒く権謀術数を駆使する独裁者だ」と嫌う人もいるかもしれない。ま、それはともかく。

 ハリルが本田には(彼が好む)トップ下を絶対やらせないのも、ハリルの警戒感ゆえではないかと私は睨んでいる(なぜならトップ下は「帝王」のポジションである)。そして本田には最も向かないWG的なSHをあてがい、これまた本田には向かない裏への飛び出しを要求するのも同じ理屈だ。ハリルは本田に苦難を与えようとしている。誤解を恐れずにいえばパワハラの一種かもしれない。

 チーム内で政治力がある帝王・本田は「タテに速いだけじゃなくタメも必要だ」「カウンターばかりでなくポゼッションすべきだ」などと、ハリルの戦術コンセプトに逆行する発言を公然としかねない。本田は政治力を生かしてチームメイトを口説き、内部から反乱を起こす可能性がある。そうなればチームはバラバラ、非常に危険だーー。

 ハリルの目にはそう見えるのだ。

リードされれば本田をワントップへ

 話がそれた。ハリルのプロファイリングは別の機会に譲るとして、本題へ行こう。本田のポジション問題だ。上の方で本田を4-1-4-1のインサイドハーフに推したが、実はこの案はひとつぶで二度おいしい。

 ロシアW杯の本番で仮に同点の膠着状態になるか、またはリードされてどうしても点がほしいとき。交代カードを切ることなく、インサイドハーフの本田を(大迫に代えて)ワントップへ移動できるのだ。で、システムを4-4-1-1にして中盤センターはダブルボランチに。セカンドトップには中島を投入する。

 つまりチームで最も「個」が強く、1番シュートが上手い選手と、2番めにシュートがうまい選手を最前線で組ませるわけだ。こうすれば日本代表名物の得点力不足解消の一助になるし、「中島問題」も解決できる。

 え? 中島問題って、いったい何だ? 

 この3月シリーズで一番インパクトがあったのは、まちがいなく中島だ。攻撃的で日本人離れした「個」の強い彼を使わない手はない。だが中島が主戦場とする左サイドは、ハリルの戦術を最も理解しているハリルの申し子、MF原口がレギュラー確定だ。おまけに控えにはあの乾までいる。もう満員である。

 ならば中島は、現状、絶対的な存在がいないトップ下枠(セカンドトップ枠)で選出する。加えて中島をセカンドトップに使うことで、彼の守備の問題だって解決できる。それって何か?

 ハリルが考えるSHは、守備時には上がってくる敵のSBについて自陣深くまで引き最終ラインにも加わらなきゃいけない。それが約束事だ。W杯本番まで残り2ヶ月ちょいで、守備がまったく素人の中島にそんなノウハウを仕込むのはムリだ。なにより中島には、持ち味を生かしてもっと攻撃的な役割をやってもらいたい。

 で、セカンドトップである中島の守備の仕事は、敵の最終ラインがボールを保持しているときのファーストディフェンダーとしての役割に限定する。「おまえは引いてくるな。リードされてるんだから攻撃に専念しろ」って話だ。

 さて、あとはW杯で勝利の美酒に酔うだけである。

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【ロシアW杯】いかに相手のよさを消すか? がカギだ

2018-01-29 14:51:05 | サッカー戦術論
究極のリアクションサッカーは結果を出すのか?

 対戦相手のスタイルを徹底的に分析し、敵のストロングポイントを殺して勝つーー。ロシアW杯で、ハリルジャパンはそんな戦い方をすることになるはずだ。それはハリルのキャラクターから考えて明らかである。

 自分たちからどう仕掛けるか? でなく、仕掛けさせて相手のよさを消して勝つ。となれば日本サッカー界史上、初の究極のリアクションサッカーがW杯で展開されることになる。

 これは日本のサッカー界に脈々と流れる「自分たちのよさを出し、積極的なアクションサッカーで勝つべきだ」という日本人らしい正々堂々の思想に対する強烈なアンチテーゼである。

 果たしてこの戦い方は、結果を出すのか? 非常に興味深い。

 そこにはポゼッションか? カウンターか? という二項対立への問いも含まれているし、アクションサッカーか? リアクションサッカーか? なる永遠のテーマも同時に連なる。

 それらのお題をまとめてひとことで言えば、「真っ向から行くか? 搦め手から攻めるか?」ということになる。

 日本でJリーグが始まって以降、サッカー界ではさまざまな議論が行われてきたが、今度のロシアW杯ではそれらのクエスチョンに対する一定の答えが出そうだ。それは同時にサッカーというカルチャーを日本人はどう考えるのか? という自問自答でもある。

 興味津々である。

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【ロシアW杯展望】守備からのカウンターで「格上」を倒す

2017-12-23 06:12:34 | サッカー戦術論
日本はW杯でジャイアント・キリングを狙う

 来日当初、ハリルは4-2-3-1を採用し、トップ下に香川らゲームを作るタイプを置いた。その意図はハッキリしていた。

 だが次第にトップ下を置かない4-1-4-1をひんぱんに採用するようになり、中央に守備が得意な長谷部や山口蛍、井手口らによる3センターを配置。ディフェンスを重視した戦い方をするようになった。こちらの狙いも明確だ。

 またそれと同時に4-2-3-1を使う場合でも、トップ下の位置に井手口や倉田など守備のタスクをこなせる選手を置き、トップ下も含めたチーム全体の制圧力で全域プレスをかける方向性を取るようになった。

 アジア予選で試合によって4-2-3-1のトップ下に原口を置いたりしたので「いったい何を意図しているのか?」と不思議に思ったが、あれはトップ下に守備を期待した布陣だったのだ。

 こんなふうにハリルのサッカーは、「相手ボールのときにどうふるまうか?」をメインに考えるスタイルだ。守備からのショートカウンターで「格上」の相手を沈める。

 武士らしく正々堂々、まっすぐ戦うのを好む日本人には「リアクションサッカー」なる蔑称を与えられて評判が悪いが、それは日本人の常識が単にガラパゴス化しているだけだ。スキあらばジャイアント・キリングを狙うヨーロッパや南米の2流国、3流国の間では極めてポピュラーなスタイルである。

 特に格上ばかりと戦うワールドカップでは、恐らくこの戦い方が強い相手とかみ合い結果を出す。0-1で負けたが粘り強く食い下がったベルギー戦のように、ヨーロッパの一流国とやっても試合になる。

 攻撃的なトップ下を置く布陣から、「守備的なトップ下」を使う戦い方へ。また、そもそもトップ下を置かない3センターによる戦術転換へ。すべては格上ばかりと当たるW杯での、インテンシティの高い守備的な戦い方を見据えたモードチェンジだろう。

 であれば、もしハリルが再びトップ下にデュエルがダメで守備のできない香川を置くようなことがあれば、そのとき私は「ハリル解任」の先頭に立って敢然と戦うつもりだ。

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【サッカー日本代表】日本が世界で勝つには? 結論なら出ている

2017-12-22 06:25:19 | サッカー戦術論
まずはカウンタースタイルで「負けないサッカー」を極める

 日本人てのは、何度失敗しても学ばない民族である。

 ジーコジャパンとザックジャパンは「攻撃的なサッカーを」「自らが主導権を握るアクション・サッカーを」と理想主義を高く掲げた。そしてW杯で見るも無残に玉砕した。

 いまハリルジャパンを盛んに叩き「我らにパスサッカーを!」と高邁な理想主義を訴える人たちは、いったい何度失敗したら気がすむのか? 「たとえW杯で負けても、理想を貫き前向きに倒れて死ねば本望だ」とでも言うのだろうか? まったく驚きを通り越して呆れてしまう。

 じゃあ日本が世界で勝てるサッカーとは、どんなスタイルなのか? その結論は、2010年南アフリカW杯で16強の岡田ジャパンがすでに出している。守備に重心を置くカウンタースタイルである。

4流国の日本がW杯で勝つ方法は1つしかない

 この記事で書いた通り、日本は世界レベルで見れば2流国ですらない。3流や4流だ。そんな底辺の国がW杯という世界の檜舞台で下克上を起こすには、方法はたったひとつしかない。そう、CWCで格上のレアルマドリーに対したグレミオ方式である。

 だって日本がロシアW杯で戦うのは、ポーランドやコロンビアなんですよ?

 いや別に守備的なカウンタースタイルが日本の「究極の目標=ゴール」だ、などと言うつもりは毛頭ない。私だってこの記事で書いたように、本来、日本人にはアジリティを生かした軽快なパスサッカーが向いていると思っている。長期的な方向性でいえば、そっちに芽がある。

 日本だって10年や20年(いや100年か?)ぐらい経験を積めば、試合の状況に応じて変幻自在にカウンターとポゼッションを使い分ける戦い方ぐらいできるようになるだろう。そのころには理想主義者のみなさんが訴えるように、2タッチ以内でワンツーを絡めて強くて速いパスをテンポよくつなぐ華麗なパスサッカーが日本もできるようになるかもしれない。

 だが「いま」すぐに、W杯でそれをやろうとするのはあまりにも無謀だ。その末路がどうなるかは目に見えている。このブログで何度も指摘している通り、すでにジーコジャパンとザックジャパンが身を以て証明したじゃないか?

 いやもちろん今の日本にだって、パスサッカーならできる。だがそれはアジア限定、Jリーグ限定での話だ。弱いショートパスばかりで狭い展開に陥る今の日本の小さいサッカーは、アジアやJリーグでしか通用しない。W杯ではたちどころに粉砕される。そんなことは欧州強豪クラブとJリーグのレベル差を見れば一目瞭然じゃないか。

 ヨーロッパの一流国のように、まるでシュートのようなボールスピードでカッ飛ぶ強いパスと、それをたったワントラップで止めて次のプレイへ移行しやすい位置にボールを置くワンタッチコントロール。最低限、これらを身につけなければ日本人はW杯で勝てるパスサッカーなどできない。

日本は進化の「過程」にある

 いま日本は山の五合目にいる。進化の過程だ。頂上はまだ遠い。いまは耐える時期だ。まずは守備である。ひとまずカウンタースタイルで、「負けないサッカー」を極める。0-1で負けたベルギー戦のように粘り強くしぶといサッカーをし、強いメンタルとハードワークで格上の強者に食い下がる。そして負けないようになる。

 話はそれからだ。

 そんな力強い粘りのスタイルを極めて五合目をクリアしたあと、その土台の上にパスサッカーを植え付ける。そのときやっと日本は、山の頂上めざしてアタックを開始する挑戦権を得るのだ。(それは「ハリル後」の重要なテーマになるだろう)

 まだ山の五合目にいるというのに、身の程知らずな理想論をぶちあげる人々はいつの時代にもいる。彼らはゲームでいえば、まだ1面や2面をクリアするかどうかの力しかないのに、いきなりボスキャラと戦おうとしているのと同じだ。

 そういえば今の状況はあのときの岡田ジャパンに酷似してきている。当時もW杯直前の強化試合で4連敗を喫し、世間の大バッシングを浴びて辞任騒動に発展した。そんななか岡田監督は大会直前に戦術をガラリと変え、自慢のパスサッカーをかなぐり捨てて守備重視に転換した。

 相手が格上ばかりのロシア・ワールドカップで、守備的なカウンター狙いの「グレミオ方式」を取るハリルジャパンのショートカウンターがハマって16強ーー。

 あり得ないことではない。

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​【サッカー日本代表】勝負強さの正体

2017-12-21 05:38:44 | サッカー戦術論
1歩の寄せが「有利」をたぐり寄せる

 サッカーでは「勝負強い」という言葉がよく使われる。抽象的でわかったようでわからないが、おそらく「それ」はディフェンス時、オフェンス時のそれぞれであらわれる。

 たとえば守備のとき。

 たとえ苦しくても、ボールをキープした敵に1歩でも寄せる。カラダをつける。仮にそのときもしボールに触れなくても、相手の身体に少しでも圧力をかけて体勢を崩す。それにより敵のミスを誘発し、局面を有利な展開に持ってくるーー。

 そんな1歩の寄せの集積こそが「勝負強さ」を生む。

 あるいは攻撃時。自分にはシュート・チャンスが3度しか回ってこなかったが、そのうちの2回をしっかり決めた。そんなアタッカーがいるチームは勝負強い。

 攻めにしろ守りにしろ少ないチャンスを確実にものにし、苦しい時間帯をしっかり耐えて有利をたぐり寄せる。それが勝負強さの正体である。

 ひるがえってハリルジャパンは、先日のベルギー戦などを見る限りディフェンス時の勝負強さは身についてきた。だがオフェンス時においては、まだまだ足りない。勝負弱い。

 トラップミスする。クロスが合わない。パスのボールスピードがない。パスがつながらない。シュートが決まらない。シュートで終われない。堅守速攻がハマるはずの格上のチームと戦っても、思ったようにはカウンター攻撃が決まらないーー。

 結論としては、ロシアW杯本番までにどこまでオフェンスの「勝負強さ」を上げられるか? ハリルジャパンの成否はそこにかかっている。

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【サッカー日本代表】戦術は自分たちの欠点を修正するためにある

2017-12-20 05:00:00 | サッカー戦術論
よさを伸ばすと同時に「悪いところ」を直す

 サッカージャーナリストの小宮良之氏が、「戦術は自分たちの優位を生かすためにある」と唱える記事を興味深く読んだ。小宮氏はタテにボールを入れるハリルの戦術を「ただ蹴り込むだけ」と批判し、日本代表は自分たちのよさを生かして「ボールを持てる選手を主軸にせよ」と結論づけている。

 戦術は自分たちの優位を生かすためにある?

 なるほど確かに、一面では真実だ。だが物事には両面ある。他方では「戦術は自分たちの課題を修正するためにある」ともいえる。氏は、この別の面をそっくり見落としている。

 タテに速く大きな展開を狙うハリルの戦術は、ややもすると1〜2メートルの弱々しいショートパス一辺倒になりがちな日本人の「小さいサッカー症候群」(意味はこの記事を参照のこと)を修正するための処方箋になっている、ってことだ。

 日本人のパスにはボールスピードがない。川崎フロンターレのMF大島あたりが典型だが、日本人のパスは弱く、しかもショートパスばかりだ。強くて速いパスが出せない。

 一方、現代サッカーでは守備戦術がますます高度化している。そのため特に中盤にはスペースがない。そんな現代サッカーにおいては、日本人のような弱いパスは通用しない。敵にすぐカットされてボールを失う。スペースのない密集地帯でパスを通すには、強くて速いパスが絶対的に必要なのだ。

 裏を返せば日本人の弱くて短いパスはJリーグ限定である。フィジカルコンタクトの少ないJリーグでしか通用しない。完全にガラパゴス化している。世界で勝てない。それが日本人の「パスサッカー」なるものの正体だ。

日本人はフィニッシュで終われない

 加えて日本人の最大の欠点は「ゴールではなく、パスをつなぐこと」をめざす点だ。たとえば東アジアE-1サッカー選手権の日韓戦を見ればよくわかる。韓国は攻撃に移ると必ずシュートで終わるが、日本はほとんどフィニッシュに行けない。

 いや、「行けない」のではなく「行かない」のだ。

 本来、パスをつなぐのは最後にゴールし試合に勝つためだ。パスは勝つための手段にすぎない。だがパスサッカーが大好きな日本人は、パスをつなぐこと自体が目的化してしまっている。

 日本人はパスサッカー信仰が強いため、ゴール前でシュートできる局面でも、まだパスできる味方をさがす。自分でゴールを決めて落とし前をつけようとせず、だれかにボールを預けようとする。責任回避する。だからフィニッシュで終われない。これは致命的な欠点だ。

 またボールをもらったとき、まず自分で「前を向こう」としない。少しでも敵のプレッシャーを受けたらバックパスに逃げる。結果、バックパスばかりで、ボールは一向に敵のゴールへ向かわない。この点も日本人にシュートが少ない一因だ。

 結論として日本人の歪んだパスサッカー信仰は、消極的で後ろ向きな日本人特有のサッカースタイルを生む原因になってしまっている。

ハリルは日本サッカーを変える「破壊者」だ

 こんなふうに日本人は弱くて短いパスばかりつなぐ。しかもボールを持ちすぎたり、ひんぱんにバックパスする。そんな日本人の「小さいサッカー」を見て、ハリルは「タッチ数を少なく」「ボールをタテに入れろ」「ダイアゴナルな長いサイドチェンジを使って大きく展開しろ」と言い始めた。

 ハリルは相手チームの弱点を分析し、戦略を練るのが得意な監督だ。もちろんその分析能力は自分自身のチームにも向かう。

 つまり彼は日本代表を分析し、日本人のパスサッカーが抱える問題点を把握した。で、「大きく、強く、速く」と提言し始めた。加えてボディコンタクトを避ける日本人の欠点も見抜き、「デュエルだ。激しく競れ」とも言い出した。すなわちハリルは日本サッカーが抱える課題を修正するための方策を打ち出しているわけだ。

 おわかりだろうか?

 確かに戦術は「自分たちのよさを生かす」ためにある。だが反面、「自分たちの欠点を修正する」ための処方箋にもなる。物事には両面あることを忘れてはいけない。

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【サッカー日本代表】ハリルは選手がクラブで培った連携力を破壊する

2017-12-16 08:31:08 | サッカー戦術論
彼は「フィロソフィ型」の監督の典型である

 スポナビ・ブログで興味をひく記事があった。「ハリルは選手たちがクラブで培った連携を一度バラバラにしてからでないと起用しない」みたいなお話だ。

 ちょうどつい先日、サッカージャーナリストの西部謙司氏も似たような記事を書いていた。それは「小林悠ら川崎フロンターレの選手を何人も呼んでるんだから、川崎勢の連携力や戦術を使えば勝てるのに」みたいな趣旨である。

 実はどっちの記事もハリルが「セレクター型」の監督であることを前提に書かれている。だがそうじゃなくハリルは「フィロソフィ型」の監督だから、彼らの論法は当てはまらない。で、議論がかみ合っていない。その食い違い方が興味深かった。

 ちなみに「フィロソフィ型」と「セレクター型」の監督のそれぞれの特徴や違いについては、この分析記事この記事あたりを参照してほしい。

 カンタンに説明すると「フィロソフィ型」の監督というのは、自分の内なるフィロソフィ(サッカー哲学)を実現するために監督をやっている人種のことだ。彼は集めた選手を手駒に使い、自分の考えるサッカースタイルを形にすることで自己実現する。達成感を得る。つまり彼にとって選手とは、自分の自己実現のための手段であるわけだ。

 このタイプの場合、自分のサッカー哲学を具現化するためのシステムや戦術がまず先にあり、それに合う選手をあとから集めるようになる。だから往々にしてこっちのタイプは、選んだ選手を自分の鋳型(システムや戦術)にハメ込むようにチームを作る。

 そして選んだ選手がもし鋳型に合わない場合も、無理やり鋳型に合わせるプレイを選手に強要する。なぜなら彼にとって自分のフィロソフィこそが唯一絶対なのだから。

 これに対し「セレクター型」の監督とは、まず能力のある選手を上から順にセレクトする(集める)ことから始める。で、選んだ彼らを生かし、彼らの特徴を引き出すシステムや戦術は何か? をあとから考えるタイプ️である。

 やわらかく言えばフィロソフィ型の監督は「オレはこういうサッカーがやりたいんだ」という自分の哲学に基づきチームを作ることで自分が満たされ、充足するタイプだ。いかにも自己主張が強いハリルらしい。

 ハリルの場合、彼のフィロソフィとは「守備からのショートカウンター」である。で、それを実現するための要素として「タテに速い攻め」があったり、「ハイプレス」があったりする。そういう自分の描くポリシーを選手に求める。わかりやすくいえば自分の理想を選手に押しつける。

 さて冒頭にあげた2本の記事が、ハリルのようなフィロソフィ型の監督には「いかに合わないか?」がわかるだろう。だってハリルにとって「川崎フロンターレの戦術を借りて勝った」としても、ちっとも自分が満たされないのだ。

 いやそれどころか逆に「他人が考えた戦術を使うなんて冗談じゃない。それじゃオレがサッカー監督やってる意味がない」って話になる。つまりハリルが集めた川崎フロンターレの選手たちがクラブで培った「連携力」をそのまま使って勝っても、ハリルはちっとも自己実現できないのだ。

 その意味で冒頭にあげたスポナビ・ブログがいう「ハリルは選手たちがクラブで培った連携を一度バラバラにしてから起用する」というのは的を射た指摘である。

 でもふつう、こういうタイプはあちこちから選んできた選手をコーディネートする代表監督というより、じっくり自分の理想を形にし育成していくクラブチーム向きだと思うのだが。まあフィロソフィ型であろうがセレクション型であろうが、勝てればいいんだけどね。

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【サッカー日本代表】どこにゾーンのギャップを作るか?

2017-12-14 08:39:13 | サッカー戦術論
大きな展開でゆさぶり「すき間」をあける

 ハリルが考えるサッカーは、敵の陣形にゾーンのギャップを作ることを狙うサッカーだ。ショートパスで強引に中央突破を狙うようなスタイルとは発想がまるで対照的だ。

 ゾーンディフェンスには、選手ひとりひとりの受け持ちエリア(ゾーン)がある。だから敵が平均的に、均等に散らばっている状態では守備が安定している。とすれば、いかに敵の陣形に「偏り」を作らせるかが勝負だ。

 つまりこっちから仕掛けて前後左右にゆさぶりをかけ、ゾーンとゾーンの境目(ギャップ)にスペースを作るのだ。

 例えば縦にロングボールを入れれば敵DFが下がり、相手のブロックをタテ方向に引き延ばすことができる。すると敵の2列目と3列目に間が空き、バイタルエリアにスペースができる。つまりタテ方向にギャップを生み出すことができる。

 一方、フィールドを斜めに横切るダイアゴナルな長いサイドチェンジを入れれば、今度は敵のブロックを横に引き延ばせる。つまり横方向にギャップを作れる。

 こうした大きな展開を駆使して相手にゆさぶりをかけ、敵陣のどこかに「ほころび」を作る。で、そこを狙って攻める。これがハリルの考えるサッカーだ。

ポストプレイでサイドを「空き家」にする

 またハリルが考えるCFは、ポストプレイができることが絶対条件だ。いったいなぜか?

 真ん中で張ったCFにクサビのボールを入れれば、敵ディフェンスラインは中央にスライドし真ん中を締める動きをする。ボールを受けたCFにゴール前で振り返られ、そのままシュートされればひとたまりもないからだ。

 こうしてクサビのボールに反応した敵DFが中央にスライドすれば、サイドが空く。そこでポストプレイから落としたボールをスペースのできたサイドに運べば、今度は敵DFがボールサイドに寄せてプレスをかけてくる。

 すると今度は逆に、肝心の中央が手薄になるのだ。で、サイドからゴール前にクロスを入れれば、空いた中央で仕留めることができる。

 こんなふうにCFによるポストプレイで、敵ディフェンスラインにゆさぶりをかける。相手DFに「中央を締める動き」と「サイドへ開く動き」を反復させ、敵の陣形に「ほころび」を作るわけだ。

 DFは、自分がマークする相手とボールを同時に視野に入れておく必要がある。だが前述したような日本のCFのポストプレイ経由の落としから、その落としたボールをいったんサイドに開いてまた中央にクロスを入れる、という大きく反復するボールの動かし方をされるとどうなるか?

 当然、敵DFは自分がマークする相手とボールを同時に視野に入れておくのがむずかしくなる。つまり日本のように大きなボールの動かし方をすることで、日本のアタッカー陣は敵DFの視界から「消える」ことができるわけだ。

 たとえば池で泳ぐメダカの群れにエサを投げれば、いっせいに群れはエサにスーッと寄る動きをするだろう。このときのエサは「ボール」に相当する。つまりボールをタテ方向やヨコ方向に大きく動かしてエサを投げ、メダカの群れ(敵の陣形)をいかに乱すか? がコツなのだ。

 ハリルのサッカーを見て「ただの縦ポンだ」などと言っている人は、こうしたゾーンのメカニズムを理解してない。ボールをタテに入れることで、そこにどんなメカニズムが働くか? いったいそこで何が起こっているのか?

 それがわからない人はぜひ一度、メダカの群れにエサを投げてみて、観察してみたらどうだろうか?

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【日本サッカー界】「バックパス症候群」という病

2017-12-09 06:27:38 | サッカー戦術論
ボールを大切にする「いいプレイ」の認識を変えろ

 ゆうべのなでしこジャパンの試合を見て、日本サッカー界が抱える問題の大きさに頭を抱え込み、つい気になって夜中に目が覚めてしまった。で、この原稿を書いている。お題は、バックパスの是非についてである。

 その必然性もないのにバックパスが異常に多いなでしこジャパンが典型だが、日本サッカー界は女子だけでなく男子もまったく同じ「病巣」を抱えている。男子はハリルが縦に速いサッカーを注入してムダなバックパスはめっきり減ったが、それでもアジア予選が終わればまたぞろバックパス復活の兆しが見えてきた。深刻な問題である。

 日本サッカーの歴史を振り返れば、まだ日本人選手に技術がなかった数十年前。とにかくタテにボールを放り込み、味方に競り合わせるアバウトな縦ポン・サッカーはふつうにあった。だが日本人がすっかり技術を身につけ時代が変わるや、丁寧にパスをつないで「意図のあるサッカー」をやろう、という流れに日本はなった。

 つまり目をつむってとにかくタテにロングボールを放り込む、運まかせな「意図のないサッカー」はもうやめよう、って話だ。で、日本はショートパスを駆使する精緻なパスサッカーの聖地として、アジアでは確固たる地位を築いた。だが、同時に失ったものがある。

 それはボールを大切にし、失わないようにしようとするばかりに、チャレンジ精神がなくなったことだ。

 ちょっと苦しい体勢になれば、バックパスに逃げればいいーー。

 前にボールを運べなくなるが、それでもボールを失うよりはいいーー。

 ボールを奪ったら、まずいったんバックパスして「ひと休み」しよう。それでタメを作って遅攻をかければいいーー。

 よくいえば何度でもバックパスを繰り返し、後ろからビルドアップしようとした一時期のバルセロナ・スタイルの劣化バージョンだ。

 ハリルに言わせれば「ボールポゼッション病」の成れの果てだ、とでも表現するだろうか?

技術がついた今の日本人にはできるはずだが……

 日本人は、まだ技術がなかったゆえ「そうするしかなかった」アバウトな縦ポン・サッカーの時代とは、もう違う。ボールを奪ったらタテに正確な「意図のある」長いパスをしっかりつけてカウンター速攻ができるはずだ。時代はそんなふうに1回転している。だが、そうしない。ややもすると相変わらずの遅攻頼りになる。

 前回の記事でも触れたが、日本人はとにかくボールを大事に、ボールを大事に、という頑ななパスサッカー信仰が強いあまり、どうしても成功率が高いショートパス偏重になる。ヨーロッパ人のように正確なロングボールを自在に操る「大きなサッカー」ができない。

 昔のようにアバウトなロングボールを放り込むのでなく、技術がついた今では前線の選手の足元へ正確な長いパスを付けられるはずなのに、トライしない。

 具体的にいえば、ボールを保持した左SBから、前のスペース目がけて走りこむ逆サイドの右WGに向け、フィールドをななめに横切るダイアゴナルな長いサイドチェンジのボールを出すようなプレイだ。

 いや、それでもハリルが来日し「タテに速いサッカー」を布教したおかげで日本人はずいぶん変わった。男子代表でいえば、特に吉田や森重、井手口あたりは本当に正確で鋭いロングパスを出すようになった。今の日本人はそれをやるだけの技術はあるのだから、あとは「やろうとする意思」をもつかどうかの問題なのだ。

 ところがややもすると、また安易な方向に流れてしまう。男子代表でいえばアジア予選が終わるや、めっきりまたバックパスに逃げることが多くなった。かたや、なでしこジャパンもバックパスの花盛りだ。

 ボールを持ったら、まず前を向こうとしない。バックパスは楽だから、ついバックパスに逃げてしまう。

 日本人はそんな、ボールを病的に大事にする偏ったパスサッカー信仰から抜け出せるかどうか? 成功率が高いショートパス偏重の「小さいサッカー」でなく、正確なロングパスを自在に操る「大きなサッカー」へと脱皮できるかどうか?

 日本のサッカーが世界で勝てるようになるためには、まずそこをクリアする必要がある。

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【女子E-1】修正点だらけのなでしこジャパン 〜日本3-2韓国

2017-12-08 21:59:46 | サッカー戦術論
球際が弱く消極的でプレイが中途半端だ

 東アジアサッカー連盟(EAFF)E-1サッカー選手権が開幕した。なでしこジャパンが韓国女子を3-2で下したが、日本には修正が必要な課題が多く目についた。まず彼女たちは韓国と違い、球際の競り合いに弱く粘り強さがない。お嬢さんサッカーだ。特にフィジカルでは韓国に圧倒的なアドバンテージがあった。それでもなぜ日本が勝てたのか? それは「些末的」な細かなテクニックが日本にはあり、韓国にはなかったから。なでしこジャパン復権の道のりは険しい。

 なでしこジャパンは男子と同じでパスが弱く、意味のない責任逃れの「短いパス」が多い。男子に輪をかけて「小さいサッカー」になってしまっている。「ボールを大事にして」ひんぱんにバックパスするのだが、そこでも再度また敵にプレスをかけられてリスクポイントがだんだん低い位置になり自ゴールへ近づいてしまう。

 日本のサッカー選手は、積極性がなくギャンブルできない。成功確率がフィフティ・フィフティのチャレンジができない。あれが「ボールを大切にする丁寧なパスサッカー」だと考えているのなら、日本人のパスサッカー信仰の弊害は限りなく大きい。問題点のあり方が男子とまったく同じで、まるで写し絵のようだった。

 彼女たちの生命線であるらしい、そのパスのやり取りにしても、単にパスの出し手と受け手の1対1の関係でしかない。そこにからむ3人目の動きがないから、どこにパスを出すのかカンタンに読まれて局面を打開できない。男子と同様、マイボール時の運動量が圧倒的に足りない。

「パスサッカー王国」の日本ではよく、「人が動くんじゃなく、ボールを動かせ」などと言われる。だが、そもそも先に人が動かなければパスコースはできないし、パスも通らない。日本人はとんでもなく大きなカンちがいをしている。問題点のあまりの大きさに気が遠くなりそうだ。

 ただしなでしこジャパンは男子と違い、最前線の選手にいちばん力がある。FW岩渕真奈ー田中美南の2トップが持つ個の力が抜きん出ている。ここは大きなストロングポイントだ。それを軸にして問題点をひとつひとつ修正して行くしかない。

 ちなみに途中出場して点を取ったMF中島依美は力強く積極性があり、弱々しく消極的な他の選手とまったく違う。彼女はどう考えてもレギュラー確定だと思うが、なぜ途中から出てくるのだろうか? チーム作りの都合があるのだろうが……高倉監督は自分が見い出した若手を優先的に使おうと偏重しているのではないか? と言っては、うがった見方だろうか。

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