「ハリル」という負荷をかけ長期計画で強くなる
ハリルは選手間の距離を長く取り、タテにロングボールを入れたり、フィールドを斜めに横切る長いダイアゴナルなサイドチェンジを要求する。つまりハリルは「大きなサッカー」を求める。
すると必然的に長いボールを正確に蹴り、長いボールを正確にトラップするボールコントロールの技術が必要になる。かつ選手間が離れているから、パスを受けた選手は自分1人でボールをキープできなければいけない。するとたちまち日本人の個のレベルの低さがさらけ出される。
ハリルのやり方は、逆に選手間の距離を縮めて「個の力」不足を補い、集団の力で小さいサッカーをしようとする日本人とは対照的だ。
だからハリル戦術では日本人は「今は」力を出せない。長期計画で、W杯を何大会も経なければ効果は出てこない。だが、だからといって壁の高さを恐れて逃げてしまっては、問題点はいつまでたっても解決できない。
傷口をさらけ出すような戦い方
これはハリルが「デュエルだ!」といって激しい競り合いやフィジカルを重視する点でも同じだ。ガタイのでかい外国人選手とフィジカル勝負をすれば明らかに不利だ。日本人のフィジカル不足がさらけ出される。
しかも接触プレイが多くなればなるほど、選手は飛躍的に消耗が激しくなる。大きな負荷をかけてトレーニングしているのと同じだ。では接触プレイを避けてスタミナを温存するのでなく、あえてぶつかって負荷を高めるのは何のためか? 「本番」のためだ。
すなわちハリルのやり方は、日本人に高い負荷をかけているのと同じ。つまり「個の力養成ギブス」をはめた状態である。これではすぐに力を出せないのは当たり前だ。だが、だからといってギブスを脱いで逃げてしまえば個の力は養成されない。
つまりハリルをめぐる賛否両論は、目前の課題から逃げて「ロシアW杯で」そこそこ見栄えのいい試合をするのにこだわるのか? それとも何年もかけて個の力を養成し「50年先のW杯で」常勝国になることを目指すのか? という議論なのだ。
ハリルは日本人の弱点を修正する処方箋を出している
ハリル戦術は日本人の個の弱さを露わにする。ゆえに日本代表は「今は」力を発揮できない。だからといってまた「個の弱さを組織で補おう」的な議論に戻ってしまうのでは、日本人の個はいつまでたっても弱いままだ。
良薬は口に苦し。あえて日本人の個を露わにするハリルの戦い方をし、そのことによって弱い個を強くする。もちろん何年もかかるが、そこにトライすべきである。逃げてばかりいては病巣は潜在化するだけだ。
その意味で「デュエルだ!」「タテに速く」「大きな展開をしろ」というハリルの問題提起は的を射ていた。これらは3点とも「日本人はここをこう直すべきだ」という分析に基づく提言である。つまり日本人の弱点を修正するための処方箋になっているのだ。
ただしこうした戦い方は、いったんは日本人の欠点を致命的なまでにさらけ出す。だがしかし、これらを粘り強く続けて行けば「個の弱さ」という日本人の弱点は解消されるはずだ。
負荷なしで「美しいプレー」ができても意味がない
レベルが低かった昔と違い、今の日本代表の選手たちに「好きなように」プレーさせれば、きれいにパスをつないでお客にウケる試合をするだろう(ただしそれで欧州のトップに勝てるかどうかは別問題だ)。
つまりハリルジャパンの試合がギクシャクするのは、選手に「ハリル」という高い負荷(縛り)をかけているからである。一定の負荷がかかった状態で、それでもスムーズにプレーできるかどうか? それが実現できればヨーロッパや南米の列強国とも渡り合えるようになる。逆に負荷をかけずにいくら「美しいゲーム」ができたとしても、まったく何の意味もない。
負荷をかけて個の力を養成し、50年、100年後にワールドカップ決勝トーナメントの常連国になることを目指すのか? それとも負荷なしで「好きなように」プレーし、目先のグループリーグで「いい試合したよねー。惜しかったよなぁ」と勝ったり負けたりしながら️グループリーグ敗退️を繰り返すのか? さてどっちがいいか、というお話だ。
ロシアW杯が終わり、ハリルが任期を終えたら……日本人たちはここぞとばかりに「個の力養成ギブス」を脱ぎ捨て、負荷から目をそらし自らの問題点から逃げるのだろう。
暗澹たる思いがする。
ハリルは選手間の距離を長く取り、タテにロングボールを入れたり、フィールドを斜めに横切る長いダイアゴナルなサイドチェンジを要求する。つまりハリルは「大きなサッカー」を求める。
すると必然的に長いボールを正確に蹴り、長いボールを正確にトラップするボールコントロールの技術が必要になる。かつ選手間が離れているから、パスを受けた選手は自分1人でボールをキープできなければいけない。するとたちまち日本人の個のレベルの低さがさらけ出される。
ハリルのやり方は、逆に選手間の距離を縮めて「個の力」不足を補い、集団の力で小さいサッカーをしようとする日本人とは対照的だ。
だからハリル戦術では日本人は「今は」力を出せない。長期計画で、W杯を何大会も経なければ効果は出てこない。だが、だからといって壁の高さを恐れて逃げてしまっては、問題点はいつまでたっても解決できない。
傷口をさらけ出すような戦い方
これはハリルが「デュエルだ!」といって激しい競り合いやフィジカルを重視する点でも同じだ。ガタイのでかい外国人選手とフィジカル勝負をすれば明らかに不利だ。日本人のフィジカル不足がさらけ出される。
しかも接触プレイが多くなればなるほど、選手は飛躍的に消耗が激しくなる。大きな負荷をかけてトレーニングしているのと同じだ。では接触プレイを避けてスタミナを温存するのでなく、あえてぶつかって負荷を高めるのは何のためか? 「本番」のためだ。
すなわちハリルのやり方は、日本人に高い負荷をかけているのと同じ。つまり「個の力養成ギブス」をはめた状態である。これではすぐに力を出せないのは当たり前だ。だが、だからといってギブスを脱いで逃げてしまえば個の力は養成されない。
つまりハリルをめぐる賛否両論は、目前の課題から逃げて「ロシアW杯で」そこそこ見栄えのいい試合をするのにこだわるのか? それとも何年もかけて個の力を養成し「50年先のW杯で」常勝国になることを目指すのか? という議論なのだ。
ハリルは日本人の弱点を修正する処方箋を出している
ハリル戦術は日本人の個の弱さを露わにする。ゆえに日本代表は「今は」力を発揮できない。だからといってまた「個の弱さを組織で補おう」的な議論に戻ってしまうのでは、日本人の個はいつまでたっても弱いままだ。
良薬は口に苦し。あえて日本人の個を露わにするハリルの戦い方をし、そのことによって弱い個を強くする。もちろん何年もかかるが、そこにトライすべきである。逃げてばかりいては病巣は潜在化するだけだ。
その意味で「デュエルだ!」「タテに速く」「大きな展開をしろ」というハリルの問題提起は的を射ていた。これらは3点とも「日本人はここをこう直すべきだ」という分析に基づく提言である。つまり日本人の弱点を修正するための処方箋になっているのだ。
ただしこうした戦い方は、いったんは日本人の欠点を致命的なまでにさらけ出す。だがしかし、これらを粘り強く続けて行けば「個の弱さ」という日本人の弱点は解消されるはずだ。
負荷なしで「美しいプレー」ができても意味がない
レベルが低かった昔と違い、今の日本代表の選手たちに「好きなように」プレーさせれば、きれいにパスをつないでお客にウケる試合をするだろう(ただしそれで欧州のトップに勝てるかどうかは別問題だ)。
つまりハリルジャパンの試合がギクシャクするのは、選手に「ハリル」という高い負荷(縛り)をかけているからである。一定の負荷がかかった状態で、それでもスムーズにプレーできるかどうか? それが実現できればヨーロッパや南米の列強国とも渡り合えるようになる。逆に負荷をかけずにいくら「美しいゲーム」ができたとしても、まったく何の意味もない。
負荷をかけて個の力を養成し、50年、100年後にワールドカップ決勝トーナメントの常連国になることを目指すのか? それとも負荷なしで「好きなように」プレーし、目先のグループリーグで「いい試合したよねー。惜しかったよなぁ」と勝ったり負けたりしながら️グループリーグ敗退️を繰り返すのか? さてどっちがいいか、というお話だ。
ロシアW杯が終わり、ハリルが任期を終えたら……日本人たちはここぞとばかりに「個の力養成ギブス」を脱ぎ捨て、負荷から目をそらし自らの問題点から逃げるのだろう。
暗澹たる思いがする。