すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【サッカー日本代表】西野ジャパンをめぐる政治学

2018-04-25 10:57:54 | サッカー日本代表
「本田のサッカー」になる危険性

 長谷部リベロ論とか「西野監督は名古屋時代は実は堅守速攻型だった」など、もっぱらディテールがさまざま語られている西野ジャパンだが、それ以前にいちばん重要なことがある。それは西野体制は政治的にどう動くのか? チーム内の力関係である。

 まず西野監督は今回、監督としてどこまでリーダーシップを取る気でいるのか? 少なくとも就任会見を聞いた限りでは「俺はこのサッカーで行く」色を出す雰囲気は薄い。「選手はクラブで伸び伸びやっている状態をそのまま出してほしい」「選手を縛りたくない」的な西野氏の発言からすると、ある程度イニシアチブを選手に預けるつもりなのではないか?

 とすれば急浮上するのは、本田をめぐる政治学だ。

 本田は自分の中に「あるべきサッカー像」を持ち、チームメイトをオルグ️した上で監督とも交渉し、自分が考えるサッカーをやろうとする現場監督的な傾向がある(ザックジャパンでそうだったように)。

 ハリルジャパンが崩壊したのも実は最後のベルギー遠征に本田を招集したため彼によって内部から食い破られたのではないか? という邪推もできるが、それはともかく。

 西野監督が選手にイニシアチブをある程度預けるつもりなのであれば、ロシアW杯は「本田のサッカー」で臨むことになる可能性がある。私が「ロシアW杯の歴史的意義は失われた」とか、「W杯を1回お休みすることになる」などと脱力しているのはそのせいだ。

 日本に足りないものは何か? 日本が世界で勝つためにはどんなサッカーをやるべきか? 日本代表という組織が組織としてそういう分析をした上でW杯を戦うなら意義がある。だが「本田が気持ちいいサッカー」を見せられるのでは、いったいどんな意味があるのか? 私の邪推が外れてくれることを願うばかりだ。

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