臨床試験はせず非臨床試験だけで「迅速」に通る
Meiji Seika ファルマが一部変更申請していた「コスタイベ筋注用」の変異株JN.1対応タイプが12日、承認された。いわゆる「レプリコン・ワクチン」である。
厚生労働省の薬事審議会医薬品第二部会が、独立行政法人・医薬品医療機器総合機構(PMDA)から一変承認の報告を受け、了承した。
同製品のJN.1対応タイプでの臨床試験(人間によるテスト)は、まだ世界のどこもやってない。
Meiji Seika ファルマが一部変更申請していた「コスタイベ筋注用」の変異株JN.1対応タイプが12日、承認された。いわゆる「レプリコン・ワクチン」である。
厚生労働省の薬事審議会医薬品第二部会が、独立行政法人・医薬品医療機器総合機構(PMDA)から一変承認の報告を受け、了承した。
同製品のJN.1対応タイプでの臨床試験(人間によるテスト)は、まだ世界のどこもやってない。
ただし、それ以前の従来株対応のものなら、ベトナムで治験者・1万6000人で行われている。(風のウワサでは一部、日本でもごく少数だけ行われている、という)
この「人間でまだテストされてないものを通すのか?」という疑問点について厚労省に質問すると、「過去の履歴から、たとえ株を変えても(人間で試したベトナムにおける治験結果と見比べても)副反応の強さは変わらない、とすでにわかっている。コンセンサスはあると考える。少しづつ変わっているだけなので、安全性は落ちない」とした。
この「人間でまだテストされてないものを通すのか?」という疑問点について厚労省に質問すると、「過去の履歴から、たとえ株を変えても(人間で試したベトナムにおける治験結果と見比べても)副反応の強さは変わらない、とすでにわかっている。コンセンサスはあると考える。少しづつ変わっているだけなので、安全性は落ちない」とした。
いま流行っているのは「KP.3」であり型落ちでは?
一方、よく変異する新型コロナウイルスのワクチン開発には、常に研究・開発と実地での流行株との間にタイムラグがつきまとう。
一方、よく変異する新型コロナウイルスのワクチン開発には、常に研究・開発と実地での流行株との間にタイムラグがつきまとう。
この問題はどうか?
例えば今日現在、いちばん流行っているのは「KP.3」株だ。したがって今回承認されたこのJN.1株対応タイプですら、すでにひとつ前の株への対応になってしまう。
その点は大丈夫なのだろうか? 厚労省はいう。
「そのKP.3も、このJN.1株対応タイプで中和できることはすでにわかっている(松岡・注/ただし動物実験で)。つまり開発と株流行のタイムラグは、ある程度解決できる」(厚労省)
その点は大丈夫なのだろうか? 厚労省はいう。
「そのKP.3も、このJN.1株対応タイプで中和できることはすでにわかっている(松岡・注/ただし動物実験で)。つまり開発と株流行のタイムラグは、ある程度解決できる」(厚労省)
ただし、それを否定するかのような資料ももちろんある。
例えば東京大学医科学研究所が分析した発表資料『SARS-CoV-2オミクロンKP.3株、LB.1株、 KP.2.3株のウイルス学的特性の解明』だ。
そのなかには、いまいちばん流行っているKP.3株は「(JN.1株より)自然感染やワクチン接種により誘導された中和抗体に対して高い逃避能を有し、現在の主流行株であるオミクロンJN.1株やオミクロンKP.2株より高い伝播力(実効再生産数)を有する」としている。
果たして定期接種で採用された「JN.1株対応タイプ」で乗り越えられるのだろうか?
「シェディングは(サイエンスとしては)存在しない」
なお世論がいちばん気にしている「人から人へと成分が移る」といわれるシェディング現象についても「厚労省サイドの見解」を試しに聞いてみた。
すると「サイエンスとしては、(世間で言われているシェディングは)起らない。構造的にもない」とする。
そこで元京都大学の宮沢孝幸教授(一般社団法人・京都生命科学研究所 代表理事)による「試験管レベルでならシェディングはあり得るが、医療の現場では微量なため実害はない」との発言(学説)を当ててみると沈黙した。
世間ではシェディングは「ある」「ない」両論が入り乱れ、収拾がつかない状態だ。そこがいちばん肝心なポイントだというのに、誰に聞いても明快な答えが見つからない。
さて絶対的に客観的な事実はいったいどこにあるのだろうか?
それを探す旅はまだまだ続きそうだ。
そこで元京都大学の宮沢孝幸教授(一般社団法人・京都生命科学研究所 代表理事)による「試験管レベルでならシェディングはあり得るが、医療の現場では微量なため実害はない」との発言(学説)を当ててみると沈黙した。
世間ではシェディングは「ある」「ない」両論が入り乱れ、収拾がつかない状態だ。そこがいちばん肝心なポイントだというのに、誰に聞いても明快な答えが見つからない。
さて絶対的に客観的な事実はいったいどこにあるのだろうか?
それを探す旅はまだまだ続きそうだ。