私はずっと雑誌や書籍に文字を書く仕事をしていたので、Webの商業媒体に書き始めたころは面食らうことが多かった。いまでは笑っちゃうようなことばかりだが、ニンゲンは試行錯誤しながら成長する生き物である。しかたないじゃないか。悪かったな。
てなわけで、しばし笑い話におつきあいいただきたい。
まずメディアが紙ならば、読者が読むときの最終形をこっちが完全に規定できる。情報の送り手側が想定したレイアウトで読者に読んでもらえる。だれかさんのセリフじゃないが、「想定内」ってやつだ。たとえば写真がココにこの大きさで入れば、あの行はあそこで改行され、てなぐあい。
ところがWebサイトの場合、それを決めるのは読み手の側だ。作った方から見れば、視覚的にどう見せられるのかは一定以上の読みがきかない。私が前回書いた原稿でいえばこんなふうだ。
「とにかくリズムセクションのからみ方がとんでもない」
上記のコピーは、1行でキリよくスパンと見せたい。まあこの長さなら相手が何を使い、どう表示しようが1行になるのでいい。だがもっと微妙に長いコピーになると、とたんに先行きがあやしくなる。紙のメディアに慣れている体質でいえば、
「とにかくリズムセクションのからみ方がとんでも
ない」
仮にWeb上で上記のように表示されると、はてしがなくキモチ悪い。頭をかきむしりたくなる。相手の環境依存で「とんでも」のところで改行され、次の行に「ない」の2文字だけが鎮座している。おまけに「ない」の右側には、何もない巨大なスペースが意味もなく広がっている。
で、視覚的にみっともないから、あと2文字以上削ってどうしても1行におさめたくなる。たとえば。
「とにかくリズム隊のからみ方がとんでもない」
「リズムセクション」の「セクション」を「隊」と言い換え、縮めて1行に収めるわけだ。「紙の感覚」ならば。だが実はこんなものはムダな努力である。相手がブラウザの文字サイズを「大」にしていれば、もうこっちの想定外のところでバンバン改行されちゃう。いくら作り手の側が句読点ひと文字にいたるまで計算しつくして書こうが、そんなことはおかまいなしだ。いったん手を離れると「あなたまかせ」の世界になる。とすれば、もうあきらめるしかない。
もちろん写真や画像も理屈は同じだ。
先週、発作的にこのブログを作った私は、こないだ第1回目の原稿を書いた。で、写真を3カット入れたが、これがまた悩ましい。紙媒体なら、その写真がどんなふうに見えるか計算した上でサイズを決められるが、Webの場合はそうはいかない。
仮に読んでくれた人がブラウザにIEを使い、エクスプローラバー(「お気に入り」とか)を表示させていなければどうか? 冒頭に左ヅメで置いた450×337ピクセルのメインカットは、【画像1】のように表示される。(制作の都合上、画像はIEではなくDonut R。以下同じ)
【画像1】筆者はもともと、こう見えるのを想定して作っている
写真の右側にスペースができる。これならセンターに配置してもいいかもしれない。まあともかく450×337ピクセルの写真ならば、この表示のしかたがいちばんバランスがいい。
また写真の下につけたキャプション「※ジョン・ウー監督ではなく、まちがいなくジョン・ウェットンのサインである」の1行までが、ちょうど一発で見えるように計算して写真のサイズを決めている。
アクセスをもらったとき、タイトルとメインカット(写真)、キャプション1行の3点セットをまず見てもらい、ひと目でページのテーマや狙い、全体像がわかるようにと、ない知恵を絞るわけだ。
(で、後述の通り、そんな想定は音を立てて崩壊していく)
たとえば同じくIEを使い、今度はエクスプローラバーを表示させているとどう見えるか?【画像2】
【画像2】想定外その1。写真が左右いっぱいに幅を取り、窮屈な印象になっている
ちょっと冒頭の空間が息苦しい。写真の周囲にスペースがないからだ。見たとたん、たちまち写真のサイズを変えたくなる。ただまあ、「オレは写真を大きく使い、ビジュアルのインパクトを優先させたのだ」と考えれば納得できなくはない。
さてお次は読み手の側がタブブラウザを使い、タブを複数列表示にしている場合だ【画像3】。
【画像3】想定外その2。タブがページの表示領域を食い、写真とキャプションが欠けている
写真は見る影もなく欠けてしまい、下につけたキャプションも見えない。当たり前の話だが、私のブログに読者の方がアクセスしてくれたとき、その人がタブをたくさん開いていればいるほど、表示されるページ領域は小さくなる。こればっかりはどうしようもない。
さて最後も、同じく読みを完全にはずされた例だ。同じページをgoo謹製のRSSリーダで見ると、こうなってしまう【画像4】。
【画像4】想定外その3。RSSリーダで見ると、もくろみは完全崩壊である
もはや計算もヘチマもない。写真の下につけたキャプションはブッ飛び、写真自体も切れちゃってる。まるっきりこっちの想定外だ。で、コトここに至って、「ああ、Webじゃ計算しようがないんだ」「ムダなあがきはもうやめよう」と成仏することになる。
こんなふうにインターネットは読み手の側に依存するメディアだ。あなたしだいで、もうどうにでもなっちゃう。今回はビジュアルを例にあげたが、視覚効果のレベルならまだかわいいモンである。
実は今回は長い前フリだったわけだが、次回は本題に入ろう。もそっとヤバめのお話だ。「そこに書いてあること」をどう解釈し、どんなふうに仕分けするのかも「あなたまかせよ」てなお題である。
その前提に立てばいかなる問題が起こりえるか? だとすれば情報の受け手の側はどんな居住まいでいるべきなのか? 次回はそのへんについてちこっとマジメに考えてみよう。
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