もともとブログは「不特定少数」向けに使われるメディアだと思う。たとえば70年代のロックにテーマを絞り、人に知られてないニッチなネタでお客を楽しませる。
あるいは格差社会だけをお題にし、ネットカフェ難民とかニートなんかの話題と最新ニュースを更新し続けてるブログがあったり。また非モテ専門のブログだってある世の中だ。
かつての情報発信は、マスメディアに代表されるデパート型しかなかった。オールジャンルで何でも揃えているけれど、任意の特定分野を見ると専門性が低かった。広く浅く、情報発信のデパートである。
それに対して趣味で書かれることが多いブログは、収益性を考える必要がない。だからどんなにマイナーな分野に絞ろうがOKだ。
100人のうち3人しかわからないネタでも、すごくコアな情報であればその3人にはすごくウケる。3人しか知らないネタを扱ってることが、逆に強力なブランドになる。つまり情報発信の形態が、デパート型から専門店化したわけである。
上記の分析とはちょっとちがうんだけど、専門店化した情報発信がちょっと曲がり角にきているのは、ブログユーザが次々にアクセスアップを考えるようになって行くからだと思う。マスメディア同様、「読者数」を気にするようになるのだ。
開店した当初は、3人から反応があるのがすごくうれしかった。なぜなら今まで「彼」は自分で情報発信したことがなかったからだ。
だけど発信することの醍醐味に慣れてくると、だんだん3人じゃ物足りなくなる。「もっとたくさんの人にウケたい」と考えるようになる。
すると題材の選び方や文章の書き方がメジャー狙いになり、似たようなブログが増えていく。「クリックされるサイト作り」をみんなが目指すようになる。
いったん専門店化した情報発信がまたもやデパート化し始めて、「ブログは限界じゃないか?」といわれるような先祖帰りが進んで行く。
ただしそれほど悲観的になる必要はないだろう。100あるブログのうちたとえば70がデパート化しても、残りの30は確実に専門店のままだからだ。100店ぜんぶがメジャーを目指す、なんてありえない。「うちはニッチだからいいんだ」って人は必ず残る。
そしてこれら30がやってる情報発信は、マスメディアしかなかった時代には存在しなかったものである。つまりゼロから30に増えたのと同じだ。ブログのデパート化という淘汰が進んだとしても、筆者の海部さんが言われるようなマイクロメディアは残っていくだろう。
いつの時代も変わり者は必ずいる。そしてニッチであることの愉しみが浸透した今の世をになうのは、その変わり者なのである。
【関連エントリ】
『みんなが書くことについてマジメに考える時代』
『偏った視点でブログを目利きする「必殺選び人」待望論』
『「韓流」がいつも1面トップの新聞なんていらない』
あるいは格差社会だけをお題にし、ネットカフェ難民とかニートなんかの話題と最新ニュースを更新し続けてるブログがあったり。また非モテ専門のブログだってある世の中だ。
私は、ブログを「不特定少数」に向けて書いていることが多い。記事によるけれど、例えば無線通信業界の人とか、子供の学習障害に関心のある人とか、どこにいるかわからず、おそらく全体の中では埋もれてしまうぐらい数は少ないけれど、私の言いたいことを聞きたい人が世界のどこかにいるだろう、と思って書いている。
●Tech Mom from Silicon Valley『「ブログ限界論」とマイクロメディア』
かつての情報発信は、マスメディアに代表されるデパート型しかなかった。オールジャンルで何でも揃えているけれど、任意の特定分野を見ると専門性が低かった。広く浅く、情報発信のデパートである。
それに対して趣味で書かれることが多いブログは、収益性を考える必要がない。だからどんなにマイナーな分野に絞ろうがOKだ。
100人のうち3人しかわからないネタでも、すごくコアな情報であればその3人にはすごくウケる。3人しか知らないネタを扱ってることが、逆に強力なブランドになる。つまり情報発信の形態が、デパート型から専門店化したわけである。
「限界論」では、ブログでどうやって儲けるかという話や、アルファブロガーの位置づけの変遷とかが話に出るが、「不特定多数」を相手にした「マスメディア」的な枠組みでとらえているように聞こえる。●同
上記の分析とはちょっとちがうんだけど、専門店化した情報発信がちょっと曲がり角にきているのは、ブログユーザが次々にアクセスアップを考えるようになって行くからだと思う。マスメディア同様、「読者数」を気にするようになるのだ。
開店した当初は、3人から反応があるのがすごくうれしかった。なぜなら今まで「彼」は自分で情報発信したことがなかったからだ。
だけど発信することの醍醐味に慣れてくると、だんだん3人じゃ物足りなくなる。「もっとたくさんの人にウケたい」と考えるようになる。
すると題材の選び方や文章の書き方がメジャー狙いになり、似たようなブログが増えていく。「クリックされるサイト作り」をみんなが目指すようになる。
いったん専門店化した情報発信がまたもやデパート化し始めて、「ブログは限界じゃないか?」といわれるような先祖帰りが進んで行く。
ただしそれほど悲観的になる必要はないだろう。100あるブログのうちたとえば70がデパート化しても、残りの30は確実に専門店のままだからだ。100店ぜんぶがメジャーを目指す、なんてありえない。「うちはニッチだからいいんだ」って人は必ず残る。
そしてこれら30がやってる情報発信は、マスメディアしかなかった時代には存在しなかったものである。つまりゼロから30に増えたのと同じだ。ブログのデパート化という淘汰が進んだとしても、筆者の海部さんが言われるようなマイクロメディアは残っていくだろう。
いつの時代も変わり者は必ずいる。そしてニッチであることの愉しみが浸透した今の世をになうのは、その変わり者なのである。
【関連エントリ】
『みんなが書くことについてマジメに考える時代』
『偏った視点でブログを目利きする「必殺選び人」待望論』
『「韓流」がいつも1面トップの新聞なんていらない』