そんなことは、ありません。
亡くなった日は。冥土で新しい命を受けて誕生したと云う意味で、
命日と言う事になるので、死亡日ではないのです。
そして、冥土での産着である白装束を着せてもらうのです。
お棺には、故人が使っていた愛用の遺品が、
ご遺体と共に納められます。
常日頃、死後の世界は無いとか、人間死んだらお終いや、言ってる人でも、
この時ばかりは、故人の後生に思いを馳せて「他に持たせてあげる物はないか?」と
最終確認をしています。
人は死んだら終わりや、「生きて居るものが、何をしても生き返る訳では無い」と、
冷めたことを言う、ご仁がおられます。
しかし、何事も合理性一辺倒で物事を進めるよりも、
死を生へと方向転換する智慧を活かして、残された人々が心豊かに生きて行くのが、
故人と生者の双方の人生をうんと厚みの有るものになると、
私は思います。
南無大師遍照金剛
亡くなった日は。冥土で新しい命を受けて誕生したと云う意味で、
命日と言う事になるので、死亡日ではないのです。
そして、冥土での産着である白装束を着せてもらうのです。
お棺には、故人が使っていた愛用の遺品が、
ご遺体と共に納められます。
常日頃、死後の世界は無いとか、人間死んだらお終いや、言ってる人でも、
この時ばかりは、故人の後生に思いを馳せて「他に持たせてあげる物はないか?」と
最終確認をしています。
人は死んだら終わりや、「生きて居るものが、何をしても生き返る訳では無い」と、
冷めたことを言う、ご仁がおられます。
しかし、何事も合理性一辺倒で物事を進めるよりも、
死を生へと方向転換する智慧を活かして、残された人々が心豊かに生きて行くのが、
故人と生者の双方の人生をうんと厚みの有るものになると、
私は思います。
南無大師遍照金剛