貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

山形県最上町封人の家②馬や牛との一つ屋根の下!

2025-03-14 14:35:16 | 日記
令和7年3月14日(金)
山形県最上町封人の家②

 元禄2年(1689)5月、
芭蕉は二泊三日にわたって
"封人の家"
に逗留し、その時の印象を、
「蚤虱 
  馬の尿する 
    枕もと」
という句で表現した。

 最上町は
以前は「小国」という地名で、
山形県内では
随一の馬産地だったようだ。
 私の母屋は、
役牛を飼育していた。
 同じ屋内で
大事に育てられていることが、
芭蕉の句でもよくわかる。 
 しかし、
元禄当時のこと。
 芭蕉も蚤と虱で眠れず、
しかも
馬の放尿の凄い音を聞いて、
さぞやびっくり
仰天したことだろう。
 しかし、
それを楽しんでいるような
芭蕉がいることも…、
また一興かな!
 幾度
この句に出合ったことか。
 その度に、
その状況が鮮明に浮かび上がり、
思わず吹きだす自分が居る。

 田舎の牛との共同生活を
思い出し、
懐かしさも手伝うのだろう?


山形県最上町: 封人の家① 入口に曽良と芭蕉の木像が!

2025-03-13 15:26:01 | 日記
令和7年3月13日(木)
山形県最上町: 封人の家①  
     
 封人の家は、
10㎞出羽街道の先にある
ことがわかる。  
 山形県にあり。
 もうびっくり!
 生憎整備のため、
工事中である。
<工事中だった封人の家>

 受付の老男性が見える。
(現在はすっかり整備されていることだろう)
 入口に、
芭蕉と曾良の木彫像がある。

 封人の家とは、
「国境を守る役人の家」のこと。
 仙台領と境を接する
新庄領堺田村の庄屋家、
つまり
この旧有路家住宅であった
といわれている。

 元禄2年(1689)5月、
芭蕉は二泊三日にわたって
"封人の家"に逗留し、
その時の印象を、
「蚤虱 
  馬の尿する 
    枕もと」
という句で表現した。

~つづく。

大崎市尿前の関跡②芭蕉翁像と句碑と尿前の謂れ!

2025-03-12 15:02:30 | 日記
令和7年3月12日(水)
大崎市尿前の関跡②

 元禄2年(1689年)
5月15日(新暦7月1日)、
岩出山で一宿した芭蕉は、
「道遠ク、難所有之」
   (曽良随行日記)
という理由から、  
尾花沢までの旅を、
急遽、小野田経由から
鳴子経由に変更する。
<芭蕉のことも説明あり>

 このため、
通行手形の用意がないまま
尿前から中山峠越えを
目指すこととなる。 
 「美豆の小島」
というのは、
江合川の中にある岩山だそうだが、
名称の響きに誘われて探すことに。
 田園と山合の所と化し、
分からずじまいとなる。 
<芭蕉翁像と句碑>
<芭蕉翁>
<芭蕉句碑>

 芭蕉の句は、
「蚤虱 
   馬の尿(ばり)する    
    枕もと」 。   
 なお、
「尿前」という名前は、
義経一行が平泉に逃避する際、
連れていた幼児が
初めておしっこをした場所
というのが由来らしい。
 何ともいえない。
 が、史実を尊び、
納得!



大崎市: 尿前(しとまえ)の関跡①怪しいぞ!芭蕉たち?

2025-03-11 15:00:00 | 日記
令和7年3月11日(火)
大崎市: 尿前(しとまえ)の関跡①  
<尿前の関跡>
   
『奥の細道』には、
「南部道遙にみやりて、
岩手の里に泊る。
 小黒崎・みづの小島を過て、
なるごの湯より
尿(しと)前(まえ)の関に
かゝりて、
出羽の国に越んとす。
 此路旅人稀なる所なれば、
関守にあやしめられて、
漸として関をこす。
 大山をのぼつて
日既暮ければ、
封人の家を見かけて
舎を求む。
 三日風雨あれて、
よしなき山中に逗留す 。」
と、
怪しき者と訝られ、
足止めを食う芭蕉たち。 
<出羽街道>

 
 
 しかも、
三日間も
暴風雨に見舞われるという…。
<中山越・尿前の関説明>

 かつての鳴子町は、
平成18年3月、
古川、岩出山など一市五町が
合併して大崎市となる。
 芭蕉が訪れた頃は、
出羽国で最上、伊達氏らの対立
が続いていたことから、
その波及を恐れた
大崎氏は国境の警備を
更に強めるため、
「岩手の関」に
小屋館の番所を設置。
<尿前の関説明も数カ国語で>

 小屋館は、
尿前の西方の山上(岩手の森)、
薬師堂跡付近にあった
といわれる。
<尿前の関石碑>
~つづく。


大崎市 鳴子温泉神社(ゆのかみのやしろ)鳴き声の湯に芭蕉は?

2025-03-10 14:28:34 | 日記
令和7年3月10日(月)
大崎市 鳴子温泉神社(ゆのかみのやしろ)
「あ・ら・伊達な道の駅」の朝、

燕の子らが大きな口を開けて
親燕の餌を待っている。
 トイレの入口で、
大事に育てられているのを
慈しみ、出発。
 鳴子温泉神社は、
鳴子グランドホテルの
駐車場内にある。

 承和2(835)年4月、
谷ケ森俄かに鳴動する
こと数日で、
遂に轟然と爆発し
熱湯を噴出する。
<湯神人の大石>

 この年の10月朝廷は、
この地に一社を建てて、
温泉神社を祀ったという。
<社殿>

 この湯を
「鳴(なき)声(ごえ)の湯」
と名付ける。

 湯の神人石や
こけしの歌碑は珍しい。
<鳴子こけしの歌碑>

 鳴子の湯に
ゆったりしたかったが・・・。
 芭蕉は、
『奥の細道』では
「なるごの湯より」
と記すだけ。
 湯に入らなかったのか。