「車で山口から津和野に向かった。最後のトンネルと抜けると、目の前にぽっかりと町並みが広がる。私は、この可愛い姿が好きだ。」と作家五木寛之氏が昭和40年代にエッセイで語っています。津和野が全国に知られるきっかけとなりました。
いま、同じ道を走ってみました。
「津和野町まで15km」という看板が目の入り、、と、すぐに、これから開通するなごみの里への交差点に、さらに大きな看板(まだ、白いテープが貼ってはあるが透けて見える)には、左矢印付きで「津和野城下」とあります。
さらに、「津和野」「津和野」「津和野」と書かれた3枚の看板が続きます。
これは冗談ではすまされません。
いま、同じ道を走ってみました。
「津和野町まで15km」という看板が目の入り、、と、すぐに、これから開通するなごみの里への交差点に、さらに大きな看板(まだ、白いテープが貼ってはあるが透けて見える)には、左矢印付きで「津和野城下」とあります。
さらに、「津和野」「津和野」「津和野」と書かれた3枚の看板が続きます。
これは冗談ではすまされません。