ポンティーによると言葉は思考の身体であるらしい。
記号と意味、内部と外部、予見者と目に見えているものは別々で
それぞれが他者であることによってのみそれ自体である。
「侵入、絡み合い、そして可逆性」の対応する現象を横断するカテゴリの
アイデアを徐々に与え、
一方を持っているということはもう一方を見つけることを意味する。
それらを可逆的にし 感覚とフェルトの間の「可逆性」
の現象に注目した 知覚の 「(奇妙な)反射がその失敗の中で
自分自身を成就すること、
自分の体が世界や他の人に侵入すること、
自分自身から戻ることと同じように自分自身に戻ること」
について語り
「思考は全ての現実から生まれ
その中に自分の体自体が現れる「世界の肉」の哲学の形で
存在論的関心によって活気づけられ豊かな肉の概念は、
主題と世界との関係を支え、可能にする目に見えない「土」のように
現れ私たちが住んでいて、物事と接触している本来の環境。
私と他の人は同じ「肉体組織」に属しており
他者の現れは、私の体と世界の肉との間に起こる。
肉の概念はさらに複雑になり
「私の体は世界と同じ肉体でできて知覚されます。
さらにこの肉体は世界に参加し、それを反映し、それを侵食し、
そしてそれに侵略する。
対象となる身体と身体と物体の違いではなく、
身体と世界の親密な結合を強調し
見る身体を目的とする限り、目に見える世界の共通の構造は切り離せない。
「適切な肉」から「世界の肉」への移行の正当性に異議を唱えた
ルノー・バルバラスは類似物の不溶性の理解など、
二元論に関連する問題を解決しようとしています。
ある作品から別の作品へ、自然の生命から精神の生命への通路のように
(続く)
【短編映画】消えない
2011-12-23 15:28:55「kawaiiとshibui」の再編