先週大学時代からの友人と再会しました。関東の人なんでなかなか会えず、ほぼ20数年ぶりでした。梅田で飲んで泊まっての大騒ぎ。へべれけでした。翌日には一緒に過ごした大学にも行ってみました。お互い容姿も変わりましたが、彼と一緒に過ごしていたときに立ち戻ったみたいで、すごく心地よい時間でした。年を重ねてくると、あとどれくらい会えるかわからない、とお互い思いながらも、一方ではまた会えることを確信しているのでありました。次回はいつになるか…。
そんなことで、その友人はジャスが好きで、梅田の中古やさんに行ってみたいというので、ふたりでdiskunionさんへ。東京にももっと大きいのがあるいだろう、と思ったのですが、熱心にLPを見てられました。私は、ジャズはまったく知らないので、別行動になりましたが。しかし、最近は、中古やさんでCDを買うことが実に多い。ネットでも中古。もう購入CDの8割以上は中古であります。まあ値段が違うからねえ。新譜で買いたいと思うものもあまりないし…。でも、中古やさんって儲かるんでしょうかねえ。売るときはせいぜい一枚100円、売るときは500円以上。まあそう簡単でもないでしょうし、不良在庫も貯まっていくだろうしねえ。そして、安いのに惹かれて、ついついたくさん買ってしまう。新品の値段だったら買わないなあ、というものも買ってしまいます。困ったことであります。
それで中古やさんでまず見るのがSACDなんですね。先日もブルーノ・ワルターのSACD(モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナー・マーラー、シューベルトなどで出ていますね)のブラームスの6枚組を買ってしまいました。1年ほど前にも店頭にあったのですが、今回は2セット並んでいました。前回はまあいいやと思ってスルーしたのですが、今回は離れられなくなり、めでたく購入してしまいました(笑)。そんなに安くはないし、普通CDでも持っているんですがね。この購入意欲は、村上春樹さんの言われる「宿痾」でしょうかねえ。
ワルターの歳晩年のコロンビア響との一連の録音は、この巨匠の演奏がステレオ録音で聴ける非常に貴重かつ有り難いものであります。しかしながら、やはりこのオケが非力。最近特にこれが気になるようになりました。実に堅く、硬直したような響き。潤いや艶も感じされない。そんなオケをワルターが必死に指揮して、素晴らしい演奏を聴かせてくれていることには、感服することしきりであります。やはり魅力ありますねえ。ワルターの演奏は、1940,50年代のものを聴くべきかなあ、と思いながらも、この晩年のコロンビア響との演奏に惹かれるのでありました。
それで、今回はワルター指揮コロンビア響で、ブラームス交響曲第3番ヘ長調作品90。1960年1月27-30日の録音です。この曲は1936年VPO、1953年NYPOに続く3回目の録音。この曲はブラームスの4曲中、もっとも私は聴かないんです。しかし、ワルターの演奏、いいですねえ。全曲が心にぴったりと寄り添うような親しみを感じさせます。優しい旋律が体にまとわりつきます。そして、ところどころで涙が出るくらい、ああいい音楽だなあ、と思わせてくれる。このワルター、実にうまい。テンポ、強弱など心憎いばかりの展開にはもう言うことありません。オケのこともすっかり忘れて、聴き入っているのでありました。
第1楽章、冒頭から聴きってしまう。木管が実に生き生きと歌い、それに弦が応え支える。淀みなく流麗な展開、所々で驚きと納得の連続であります。第2楽章、木管による美しい旋律から弦が歌う。この呼吸が絶妙。そして夢見るような美しい展開にしびれてしまう。第3楽章、これまた押し寄せる波のように旋律が形を変えて繰り返され、それが絶妙の表情でやってきます。これほど心に染み込む演奏もないですねえ。ワルターの巧さいっぱい。そして終楽章。前楽章までのまとわりつくような演奏を振り払うような壮絶な展開。この対比がとてもいい。とはいえ、根底にはワルターの優しさが見え隠れ。本当に、全曲ワルターの名人芸に魅了させられます。
この演奏、GRANDSLAMの板起こし盤で聴いていましたが、それも満足していたのですが、やはり今回のSACD盤、すごい迫力で迫ってきます。勢いが違いますね。やはりSACD恐るべしでありました。
(SONY SICC 10306-11 2020年)
そんなことで、その友人はジャスが好きで、梅田の中古やさんに行ってみたいというので、ふたりでdiskunionさんへ。東京にももっと大きいのがあるいだろう、と思ったのですが、熱心にLPを見てられました。私は、ジャズはまったく知らないので、別行動になりましたが。しかし、最近は、中古やさんでCDを買うことが実に多い。ネットでも中古。もう購入CDの8割以上は中古であります。まあ値段が違うからねえ。新譜で買いたいと思うものもあまりないし…。でも、中古やさんって儲かるんでしょうかねえ。売るときはせいぜい一枚100円、売るときは500円以上。まあそう簡単でもないでしょうし、不良在庫も貯まっていくだろうしねえ。そして、安いのに惹かれて、ついついたくさん買ってしまう。新品の値段だったら買わないなあ、というものも買ってしまいます。困ったことであります。
それで中古やさんでまず見るのがSACDなんですね。先日もブルーノ・ワルターのSACD(モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナー・マーラー、シューベルトなどで出ていますね)のブラームスの6枚組を買ってしまいました。1年ほど前にも店頭にあったのですが、今回は2セット並んでいました。前回はまあいいやと思ってスルーしたのですが、今回は離れられなくなり、めでたく購入してしまいました(笑)。そんなに安くはないし、普通CDでも持っているんですがね。この購入意欲は、村上春樹さんの言われる「宿痾」でしょうかねえ。
ワルターの歳晩年のコロンビア響との一連の録音は、この巨匠の演奏がステレオ録音で聴ける非常に貴重かつ有り難いものであります。しかしながら、やはりこのオケが非力。最近特にこれが気になるようになりました。実に堅く、硬直したような響き。潤いや艶も感じされない。そんなオケをワルターが必死に指揮して、素晴らしい演奏を聴かせてくれていることには、感服することしきりであります。やはり魅力ありますねえ。ワルターの演奏は、1940,50年代のものを聴くべきかなあ、と思いながらも、この晩年のコロンビア響との演奏に惹かれるのでありました。
それで、今回はワルター指揮コロンビア響で、ブラームス交響曲第3番ヘ長調作品90。1960年1月27-30日の録音です。この曲は1936年VPO、1953年NYPOに続く3回目の録音。この曲はブラームスの4曲中、もっとも私は聴かないんです。しかし、ワルターの演奏、いいですねえ。全曲が心にぴったりと寄り添うような親しみを感じさせます。優しい旋律が体にまとわりつきます。そして、ところどころで涙が出るくらい、ああいい音楽だなあ、と思わせてくれる。このワルター、実にうまい。テンポ、強弱など心憎いばかりの展開にはもう言うことありません。オケのこともすっかり忘れて、聴き入っているのでありました。
第1楽章、冒頭から聴きってしまう。木管が実に生き生きと歌い、それに弦が応え支える。淀みなく流麗な展開、所々で驚きと納得の連続であります。第2楽章、木管による美しい旋律から弦が歌う。この呼吸が絶妙。そして夢見るような美しい展開にしびれてしまう。第3楽章、これまた押し寄せる波のように旋律が形を変えて繰り返され、それが絶妙の表情でやってきます。これほど心に染み込む演奏もないですねえ。ワルターの巧さいっぱい。そして終楽章。前楽章までのまとわりつくような演奏を振り払うような壮絶な展開。この対比がとてもいい。とはいえ、根底にはワルターの優しさが見え隠れ。本当に、全曲ワルターの名人芸に魅了させられます。
この演奏、GRANDSLAMの板起こし盤で聴いていましたが、それも満足していたのですが、やはり今回のSACD盤、すごい迫力で迫ってきます。勢いが違いますね。やはりSACD恐るべしでありました。
(SONY SICC 10306-11 2020年)
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