もう、桜が咲くのでは、と思うような陽気でしたが、一転して寒の戻りですね。寒いです。まあ、なんとなく帳尻あわせのような感じもしますが、暖かさが恋しいこの頃です。今週末は、もう何ヶ月か、半年以上振りに土日と家にいました。といっても、半分は仕事をしてましたが、久しぶりにレンタルDVDで映画も見ました。また、レコードも聴きました。今回はレコードです。
今は昔、中学生のころ、『運命』にかなり凝った時がありました。いい曲だと言う感じではなく、こんなすごい曲が他にあるだろうか、と言った具合でした。ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調『運命』であります。毎日聴いてました。初めて聞いたのはアンドレ・クリュイタンスの演奏で、それからカラヤンが1960年代にBPOと録音したレコードを買いました。シューベルトの未完成と裏表でした。そして、ちょうどそのころ発売された史上最長の『運命』と言われたブーレーズのも買いました。これは第三楽章の省略されている反復を実行している分だけ長くなったものでした。30分あまりの時間、べートーヴェンの苦悩から歓喜への音楽に酔いしれたのでした。そして、大学生になってウィルヘルム・フルトヴェングラーの演奏に夢中になりました。いろんなライブ音源が発掘されて、相次いで同曲異演盤が販売さており、そんなレコードを買っていっていたときに、この『運命』も買い、その世界にとっぷり浸ることになりました。言わずと知れた1947年5月27日のライブ。ナチに協力した容疑で戦後演奏禁止となっていたフルトヴェングラーが演奏再開した演奏会のライブです。数ある彼の演奏の中でベストのものではないかと確信しております。もしかすると二度と演奏ができないかもしれない苦悩の日々を送っていたフルトヴェングラーが、演奏が解禁された歓喜の調べを高々と歌い上げる、といった背景があるからか、それはわかりませんが、まさにベートーヴェンと同一化したようなフルトヴェングラーによる勝利の歌は、感動を通り越して、ある種の凄絶さを感じました。
最近、この曲を聴くことはあまりなく、CDもフルトヴェングラーの同曲異演盤をいくつかもっているのと、数種類のCDがあるくらいです。この録音もCDでは持っていませんし、たまにしか聴くこともありませんが、聴くたびに名曲であることを常に再認識させられる次第です。
今は昔、中学生のころ、『運命』にかなり凝った時がありました。いい曲だと言う感じではなく、こんなすごい曲が他にあるだろうか、と言った具合でした。ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調『運命』であります。毎日聴いてました。初めて聞いたのはアンドレ・クリュイタンスの演奏で、それからカラヤンが1960年代にBPOと録音したレコードを買いました。シューベルトの未完成と裏表でした。そして、ちょうどそのころ発売された史上最長の『運命』と言われたブーレーズのも買いました。これは第三楽章の省略されている反復を実行している分だけ長くなったものでした。30分あまりの時間、べートーヴェンの苦悩から歓喜への音楽に酔いしれたのでした。そして、大学生になってウィルヘルム・フルトヴェングラーの演奏に夢中になりました。いろんなライブ音源が発掘されて、相次いで同曲異演盤が販売さており、そんなレコードを買っていっていたときに、この『運命』も買い、その世界にとっぷり浸ることになりました。言わずと知れた1947年5月27日のライブ。ナチに協力した容疑で戦後演奏禁止となっていたフルトヴェングラーが演奏再開した演奏会のライブです。数ある彼の演奏の中でベストのものではないかと確信しております。もしかすると二度と演奏ができないかもしれない苦悩の日々を送っていたフルトヴェングラーが、演奏が解禁された歓喜の調べを高々と歌い上げる、といった背景があるからか、それはわかりませんが、まさにベートーヴェンと同一化したようなフルトヴェングラーによる勝利の歌は、感動を通り越して、ある種の凄絶さを感じました。
最近、この曲を聴くことはあまりなく、CDもフルトヴェングラーの同曲異演盤をいくつかもっているのと、数種類のCDがあるくらいです。この録音もCDでは持っていませんし、たまにしか聴くこともありませんが、聴くたびに名曲であることを常に再認識させられる次第です。
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