室蘭工業大学サッカー部OB会BLOG 「LOSS TIME」

持っているもの・・・それは仲間です。
汗と涙と友情と・・・。
あの熱き青春の日々を思い出せ!!

2024年度おもちゃ修理・・・その9 汽車ポッポ他

2024年07月19日 | おもちゃ病院

前回修理したオージャカリバーにもう一箇所壊れている所が有りました。

下の丸いリングを固定しているネジ部分が割れていました。

これはどう治す?

幸い同じ太さで長いネジが有りました。

割れた部分を接着して長いネジで締め込み直しました。

ネジの頭をマジックで黒塗りして修理完了です!

さて、お次は・・・古い汽車ポッポです。 症状は動かないとの事。

丸いディスクは何だ? 上の切り込みに嵌めると回転して音楽が鳴ります。

オルゴールの原理ですね!ディスクを交換すると色々な音楽が楽しめます。

さて、動かない原因は・・・取り敢えず、タイヤを外して見ました。

その状態でスイッチを入れると車輪の上の歯車が勢いよく回転しました。

成る程、この歯車の回転が車輪にちゃんと伝わらないのが原因だな・・・

外した車輪を見ると、ゴムが劣化して硬くツルツルになってひび割れもしています。

このゴムを交換してやれば治りそうだな。。。 

これは、次回までに車輪に合うサイズのゴムを探して来よう!

さて、次は・・・新幹線のプラレールです。

症状はこれも動かないとの事。。。

スイッチを入れると本体側の歯車は回っていますが、これ又その回転が車輪に伝わっていません。

車輪の軸部分がガタガタで歯車と噛み合っていない・・・

よく見ると軸を押さえる突起部分の片側が欠損している・・・

この突起を付けてやれば、車輪の軸がしっかりと固定されるはず・・・

おもちゃはちょっとした部品が欠損しても動かなくなっちゃうんですね〜!

プラスチックの突起を追加して上げて、再度車輪を取り付けます。

これで車輪のガタ付きが無くなりました。

スイッチを入れると・・・お〜、ちゃんと動いた!!

やったね! 治って良かった!!  今回はこれにて終了です。

次回までに汽車ポッポの車輪に合うゴムを探さなければ・・・

 

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キングダム 大将軍の帰還

2024年07月12日 | 映画

「キングダム 大将軍の帰還」を観てきました。

春秋戦国時代の中国。

馬陽の戦いで、隣国・趙の敵将を討った秦国の飛信隊の信(しん)たちの前に趙軍の真の総大将・龐煖(ほうけん)が突如現れた。

自らを「武神」と名乗る龐煖(ほうけん)の急襲により部隊は壊滅的な痛手を追い、飛信隊の仲間たちは致命傷を負った信を背負って決死の脱出劇を試みる。

一方、その戦局を見守っていた総大将・王騎は、龐煖(ほうけん)の背後に趙のもう一人の化け物、天才軍師・李牧(りぼく)の存在を感じ取っていた・・・

2019 年の「キングダム」、2022 年の「キングダム2」、2023 年の「キングダム3」に続く第4作です。

全て映画館で観ていて本作の公開を心待ちにしていました。

本作は秦の大将軍・王騎の物語です。

大沢たかおが演じる「王騎」と、吉川晃司が演じる「龐煖(ほうけん)」によるアクションシーンの迫力がすごい!

合戦シーンも映像に不自然なところはなく、リアリティーが満載です。

ストーリーは原作に忠実で、胸熱、感動的で、涙なしでは観れませんでした。

楊端和(ようたんわ)役の長澤まさみ、謎多き武将・摎(きょう)役の新木優子も華が有りました。

最後は大納得のエンディングでした。

エンディングのONE OK ROCKの曲もしっくりきて良かったです。

なるべく音響の良い大スクリーンの映画館で観た方が良いと思います。

 

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講談を聴く・・・神田山吹「浦和ゆかりの講談二題」

2024年07月10日 | シニア大学

JR浦和駅東口のロータリーの真ん前には浦和パルコがあります。

パルコの9階と10階はさいたま市浦和コミュニティセンター「コムナーレ」になっています。

その10階の多目的ホールへとやってきました。

窓からは埼玉スタジアムや遠く筑波山を眺める事が出来ます。

講談師・神田山吹さんの「浦和ゆかりの講談二題」を聴く会に参加して来ました。

主催はさいたま市観光ボランティア・浦和ガイド会です。

ホールの入り口には”浦和のうなぎ”の幟がありました。

地元のマスコットキャラクターの”うなこちゃん”がお出迎えです。 

因みに”うなこちゃん”はアンパンマンの作者の”やなせたかし”氏の作で、さいたま観光大使です。

多目的ホールは最大で400名を収容する事が出来るそうです。

館内はほぼ満席状態です。

祖父母の影響で小さい頃にラジオの演芸番組を良く聴いていました。

落語や漫才は元より講談や浪曲を聴くのが大好きでした。

今でも時間に余裕がある時には演芸場へ足を運んでいます。

しかし、講談を聴くのは本当に久しぶりです。 

開演の時間となり女流講談師・神田山吹さんが登場してきました。

神田山吹さんはさいたま市の出身で今でも地元に住まわれているそうです。

本日の演目は浦和ガイド会が書き下ろしたという新作講談です。

慶応2年(1866年)に埼玉県久喜市に生まれ、のちに”公園の父”と呼ばれた”本多清六”の生涯とその活動を熱く語ってくれました。

今や東京都民憩いの場としてだけでなく海外からの観光客も多く訪れる「明治神宮の森」。

明治天皇の崩御に伴う神宮造営は全国から10万本の樹木の寄贈が有り延べ11万余人の青年が植樹に参加したそうです。

その森を設計し造園に尽力したのが”本多清六”です。

約100年を経て樹木は70万本に増えて、3000種余りの生き物が生息する「神宮の森」は、いまでも人出を掛ける事もなく持続しています。

しかし、その「神宮の森」の樹木は今、再開発の危機に直面しています。

先日の都知事選挙で小池都知事が3選されました。 

このまま「神宮の森」再開発計画が進められるのでしょうか・・・

 

”本多清六”は新一万円札の顔である”渋沢栄一”とも懇意だったそうです。



”渋沢栄一”に秩父にセメント産業を起こすように進言したのも”本多清六”です。

更に”本多清六”は全国の数多くの公園造りに関わっています。

北海道の「釧路公園」、宮城県の「自然公園松島」、会津若松「鶴ヶ城公園」

関東では「水戸偕楽園」、埼玉県「羊ケ丘公園」、「氷川公園」、「大宮公園」、東京「日比谷公園」

岐阜の「養老公園」、そこでのお土産に「養命酒」を販売する事も提案したそうです。

奈良県の「奈良公園」、広島県「宮島公園」等々

九州の由布院温泉が有名になったのも”本多清六”だとか。

日本全国のみならず台湾、韓国、朝鮮の公園設計・改装を提唱して「公園の父」と称されました。

久しぶりにテンポある講談の口調を聴き、改めて日本古来の大衆芸能の良さを認識しました。

 

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手話サークルが始動

2024年07月06日 | シニア大学

「遥かなる甲子園」と云う漫画を読んでいます。

原作は戸部良也のノンフィクション小説で正式タイトルは『青春の記録 遥かなる甲子園 聴こえぬ球音に賭けた16人』です。

沖縄県に実在した、風疹聴覚障害児のための聾学校「北城ろう学校」(漫画では『福里ろう学校』)を舞台に、高校野球にあこがれる少年達が、幾多の困難を乗り越え硬式野球部を作り、甲子園を目指すというものです。

高校生たちが障害を負った原因は、1964年、前回の東京オリンピックの年に、当時、アメリカの統治下だった沖縄で大流行した「風疹」でした。

漫画の中に手話の描写が沢山出てきます。

ストーリーを追いながら読んでいるとその手話の描写が心に沁みます。

今年の5月にギリシャを公式訪問した秋篠宮家の次女・佳子さまがアテネにある聴覚障害者やその家族を支援する施設を訪れ、ギリシャの手話で挨拶されました。

敬礼するような手話の「こんにちは」で挨拶し、手を開いて集めて頭の上でピースサインをするような手話で「本日はお会いできて嬉しいです」と、相手に感謝の気持ちを伝えられました。

心に訴えかけるのは言葉じゃないんですねぇ〜! 

私も手話が出来るようになったら良いなぁ〜・・・

と思っていたら、4月から通い始めたシニア大学のサークル活動の中に手話サークルが有りました。

お〜、これも何かに縁です。

と云う事で、韓国語、おもちゃ病院、太極拳、料理教室、史跡巡りに続いて手話サークルに入部しました。

色々、手を出しすぎかなぁ〜! まあ、何でもやってみましょう!!

基本的にサークル活動は自主運営なのでシニア大学の講義が無い週には別な会場を探さなければなりません。

それもようやく今月から10月まで月2回開催出来る会場を確保する出来ました。

よし!これから手話を勉強しよう!

最終目標は佳子様と手話で対話する事です!?

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渋沢栄一を訪ねて・・・その3 旧渋沢邸「中の家」

2024年07月05日 | 散策

「渋沢栄一記念館」から車で10分程で旧渋沢邸「中の家(なかんち)」に到着しました。

立派な門構えですね〜!

あれっ? この景色は大河ドラマで見た事が有ります。 ここでロケをしていたんだ~!

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋は、渋沢栄一の生誕の地に栄一の妹夫妻が明治28年上棟した建物です。

渋沢栄一が帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所です。

若かりし頃の渋沢栄一像が有りました。

敷地内には、主屋、副屋、複数の土蔵などがあり、豪農であった渋沢家の当時をしのぶことができます。

確かにこれは豪農ですね〜!

敷地内に大きな池も有ります。

建物内を見学します。 大河ドラマで着用した衣装が展示されています。

アンドロイドが居ました。 渋沢栄一80歳代のアンドロイドです。 

ふるさと血洗島や仲間たちとの思い出を聞くことができます。

昔ながらの家屋ではいくつか展示品や藍玉を作る工程や歴史などを見学する事が出来ます。

2階は天井が高く屋根には天窓があります。

高い天井を支えるしっかりとした大黒柱があり、養蚕農家の建物であることがわかります。

裏庭には、石碑が3つ立っていました。

栄一の父(渋沢市郎右衛門)と母(渋沢えい)の招魂碑だそうです。

もう一つは、飯能戦争で亡くなった、栄一の叔父さんの尾高淳忠の弟(渋沢平九郎)の石碑らし

いです。

敷地の隣には創業明治38年の渋沢栄一が好んだと云う”煮ぼうとう”専門店があります。

残念ながらランチの時間のみの営業で食べることできませんでした。。。

終わり。

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