雪はなく青空の建国記念の日、島岡美延です。日本代表選手たちにとって「国」って?
五輪報道の決まり文句、「悲願の金メダル」「逆転の表彰台」・・・、悪気はなく応援の意味だろうけど、それが選手を追い込んでいるのでは。メダルを取った時より自分が変化していることを本人が一番わかっていても、五輪前には期待に応える言葉を語るのみ。北京五輪を見ながらどうしてもそんなことを考えてしまいます。
なぜ選手が見知らぬ人のために反省したり、謝罪したりするのか。それを強いているのは一体、何? アスリートの100分の1も努力することなく、SNSで好き勝手いう人々に振り回される選手。人種差別など競技以外の点で攻撃にさらされることも。
フィギュアスケート男子はSP順位のまま、と私が予想した通り。金のネイサン、銀の鍵山、銅の宇野、3選手それぞれが到達した輝きは見事。各々がこれまでの「自分の成長」に集中した結果のメダル。絶対王者だった羽生選手の「挑戦」も彼にしか成しえない境地。
スノボーの選手たちのインタビューって、日本人の好きそうな、みんなのサポートのおかげでとか、できなくて申し訳ないという空気がなくて、好きです。
高梨選手の謝罪の書き込みに世界が驚いている、というところもいかにもな感じで、この国のいやらしさの象徴かと。
お国の威信を背負ってという価値感を見る方が持ち過ぎるのはなんとかならないものかと。
平野歩夢選手は「北京で最も金メダルに近い選手の一人」でしたので、もちろん、私も大拍手!!
2回目の得点は素人目にももっと出るかと思いましたが、その怒りが本人の原動力になったみたい。
客観的に見て、以前の五輪よりメダルの可能性が低くなっているのに「悲願の金」と重圧を背負わされる選手が気の毒で、こんな記事を書いてみた次第です。
それにしても高梨選手には、なんとも辛い北京になってしまいました。