読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

別府・オトナの遠足 ~路地裏、温泉、ふやけ旅 第4回・鉄輪湯けむり浪漫歩き

2013-08-18 19:32:13 | 旅のお噂
【前回までのあらすじ】
5月の大型連休最終日であった6日、大分県は別府へと旅に出たわたくしは、つつがなく別府に到着。ヤッターマンをはじめとするタツノコアニメのキャラクターに出迎えられて市内に入り、まず駅前通りの共同浴場で最初の温泉に浸かった。豊後牛焼肉と別府冷麺で腹ごしらえののち別府タワーへ。その後、別府温泉はじまりの地という浜脇温泉にある、古き良き銭湯を思わせる風情の共同浴場に浸かる。かつて遊郭のあったあたりを散策しつつ再び市の中心部へ。歴史を感じさせる竹瓦温泉や、チェックインしたホテルの露天風呂にも浸かり、温泉でふやけたアタマとカラダを引きずりながら飲み屋街へ。そこで美味しい名物料理を出す居酒屋や、居心地のいいバーに巡り合うことができ、幸せな別府の夜を過ごしたのであった•••。


さて、別府旅2日目の朝がやってまいりました。
6時ごろにはしっかり起きて、宿泊しているホテルの屋上にある展望露天風呂に上がり、朝を迎えた高崎山や別府の街を眺めながら朝風呂を堪能いたしました(↓前々回に掲げた写真を再掲しておきます)。

考えてみれば、この日は連休が終わったあとの平日。多くの皆さんが、会社や学校での日常を再開すべく動き出している日だったのでございまして•••。そういう日の朝に極上の景色を眺めながら露天風呂に浸かるというのは•••あまり大きな声では言えないのですが•••はは、なかなか気分のいいものでありましたよ。
朝風呂のあと、階下のレストランにてバイキング形式の朝食をお腹いっぱいいただきました。そして、早々にホテルをチェックアウトしたのであります。

駅前通りから乗り込んだ路線バスに揺られることしばし。わたくしは別府の北部にある鉄輪(かんなわ)温泉に降り立ちました。

鉄輪温泉といえば、いわゆる「地獄めぐり」ができる観光地としても名高いのでありますが、町のあちこちから湯けむりが立ち上り、石畳の細い路地に沿って宿やお土産屋さん、食堂などが立ち並ぶ、ちょっと鄙びた湯治場風情が残っている場所でもあります。
実際歩き回っていると、昔の宿場町のおもかげすら漂う路地もあったりして、いやあ、まことにいい感じでございますよ。
•••とは言いましても、前日からフルに歩き通しで、少々足が痛くなってまいりました。わたくし、無料でできる「足蒸し」で、しばし足を休ませることにいたしました。

フタを開け、温泉の蒸気でムンムンに満たされた箱の中に足を突っ込むのでありますが•••これがけっこうな熱さでございまして、軟弱者のわたくしは1分程度が限界でありましたよ。いやはや情けないのでございまして、仕方がないので横にあった普通の足湯におとなしく足を漬け、疲れたわが愚足をしばし休ませたのでございました。
町の中には、宿泊施設が運営しているとおぼしき大衆演劇場があったりしまして、これもまた、鄙びた温泉郷の雰囲気にあっていていい感じでした。泊りがけでここに来る機会があれば、ぜひ観劇なんぞしてみたいものでありますね。

•••それにしても、この「ヤング劇場」っていう、いかにも若さが感じられない名前というのもまた、味わい深いものがありましたねえ。

鉄輪温泉のビューポイントである高台に登ることにいたしました。民家の庭先にあるような細~い路地と階段を通り抜け、えっちらおっちら登っていくと、こんな風景が広がったのであります。

これですよ、温泉郷鉄輪の眺め。天気にも恵まれて実にいい眺めでございましたよ。画面の向かって左側には、高崎山や別府市街地を望むこともできたのでありますが•••そこまで入れた写真、撮ってくりゃよかったなあ。
再び温泉街へ降りてきたわたくしは、いくつか点在している共同浴場のうち、「渋の湯」と書かれたところに入りました。
こちらの共同浴場は、「組合員」と呼ばれる地元の皆さんが共同で維持・管理しておられるようで、それら組合員の皆さんは無料で入ることができます。われわれ外から来た者は、100円から200円のお金を払って入浴します。地元の方々が頑張って維持してくださっている浴場でありまして、われわれ外から来た者は「入らせていただきます」という姿勢で入るのが良いのではないか、と感じましたね。
中の浴槽と洗い場はまことにこじんまりとしておりまして、地元の方とおぼしき人が一人、のんびりとお湯に浸かっておられました。隣の女湯からは、こちらも地元の方々でしょうか、えらく賑やかなおばちゃんたちの話し声が聞こえてくるのでありまして、いやあ、いい感じでありましたよ。
別の共同浴場の前では、地元のお年寄りが「あんたもう温泉入ったん?」みたいな会話をしているのも見かけましたね。ここでは温泉が、人々の生活の一部として根付いていることを、しみじみと感じたのであります。
生活に根付いた温泉、といえば、宿や観光施設ではない普通の民家の脇に、温泉の蒸気を利用したかまどを見かけることもできました。

こちらでは、温泉の蒸気で蒸しあげた「地獄蒸し」が毎日食べられるのかあ、と思うと、なんだか羨ましくもありましたねえ。•••オレ、移住してみようかなあ、鉄輪に。
鉄輪温泉でもうひとつ、気持ちをくすぐられたのは、あちこちにネコがいたことであります。

温泉による暖かさが心地良いのでしょうか、とにかくネコの姿が多いのですね。ネコ好きとしてはこたえられないのでありますが•••近づこうとするとたいてい逃げられてしまったのでありまして、これはサビしかったですねえ。とほほ。
まあ、そういうふうにネコが多い場所ということで、中にはネコを捨てに来たりするような不心得者がいるのでしょうか、こんな看板を見かけたのであります。

「その家に禍がおこります」•••いやー、それはコワいぞ。こら!イヌネコを捨てるような不心得者ども、禍いがイヤだったら捨てんなよ!

さて、このあとは別府名所である地獄めぐりに出陣することになりますが、そのお噂は次回の最終回にてお届けいたします!

【読了本】『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』 貴重な教訓と提言に満ちた、もっと読まれて欲しい本

2013-08-18 17:36:49 | 本のお噂

『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』
羽根田治・飯田肇・金田正樹・山本正嘉著、山と渓谷社(ヤマケイ文庫)、2012年(元本は2010年、山と渓谷社より刊行)


2009年7月16日。北海道大雪山系の山であるトムラウシ山に、旅行会社主催のツアー登山を利用してやってきた15人と同行ガイド3人が遭難、8人もの命が失われるという惨事になりました。8人の命を奪ったのは、強い風と雨に打たれ続けたことにより生じた低体温症でした。
本書は、夏山遭難史上最悪といわれるこの遭難事故を、さまざまな側面から多角的に検証した一冊です。

本書は全部で6章からなります。まずは、ツアーの初日から遭難事故発生の一部始終までを、生存者の証言を軸に再現した第1章と、やはり生存者である同行ガイドの一人へのインタビューで構成した第2章により、事故の全体像を浮き彫りにします。
広島、名古屋、仙台から集まってきた参加者たちのほとんどは、55歳から69歳にかけての中高年の人たちでした。ツアー初日は天気にも恵まれたのですが、2日目には小雨が降っていた上、水の溜まった登山道を歩くことになってしまい、参加者たちは水に濡れて体力を消耗してしまいます。
そして16日。この日は早朝から「台風みたい」に強い風雨だったにもかかわらず、なぜか出発は強行されることになります。出発から1時間も経たないうちに行動に支障をきたす参加者が現れ出し、パーティはばらけていきます。遅れをとる人たちを待つ中で、参加者たちの身体は一気に低体温症が進行していきます。やがて一人、また一人と動けなくなる人が•••。
この第1章で、わたくしは初めて事故のくわしい状況を知りました。強い風雨の中で参加者が次々と動けなくなっていく過程は、想像するだに胸苦しいものを覚えました。
第1章は、「この事故にはいくつもの事実がある」(「あとがき」より)という立場から、個々の生存者の証言にみられる矛盾や食い違いもそのまま記されています。逆に言えばそのことで、参加者たちの置かれていた状況がいかに過酷なものだったのかを想像することになりました。
第2章でインタビューに答えたガイドの1人は、ガイドとしてのなにかしらの資格は持っていなかったといいます。しかも、他の2人のガイドとは面識はゼロで、互いのコミュニケーションは「事務的な打ち合わせ程度」「言ってみればその場限りのチームですので、信頼関係はなかった」というのです。いささか信じ難い態勢のもとで、参加者たちが引率されていたことに愕然とさせられました。

第3章は気象の面からの検証です。各種気象情報から、当時のトムラウシの気象状況が推測されます。
それによると、当時は風速20メートル前後にも及ぶ、「風に向かって歩けない、転倒する人も出る」ような暴風で、気温は夏にもかかわらず6度C程度、最低気温は3.8度Cしかないという状況だったといいます。しかも、これは大雪山系では例年のように起きており、決して特異な現象ではない、とも。夏山とはいえ山は山、決してなめてかかってはいけない、ということを思い知らされました。

第4章では、8人の命を奪った低体温症について詳細な解説と検証がなされます。
亡くなった8人のうち、低体温症を発症してから亡くなるまでの推定時間が2~4時間以内だったのは半数以上でした。これは、低体温症が加速的に進行し悪化した「急性低体温症」だったと言える、といいます。
また、低体温症による身体内の変化についても述べられています。生存した参加者の検査結果から、激しい運動などにより筋肉が壊れたときに増えるという酵素「CK=クレアチンキナーゼ」の値がかなり高かったといいます。これは、「100キロマラソンと同等、またはそれ以上の筋肉負荷」という「大きな物理的なストレスがかかったかを物語っている」と。
残念なことに、このツアー登山に参加したほぼ全員が、低体温症の知識が浅かったといいます。この第4章を執筆した医師の金田正樹さんは、このように警鐘を鳴らします。

「低体温症の発症は、強い寒冷がなくても、風、湿度、疲労、栄養状態、ウエアの条件で、誰でもなる危険性があると認識すべきである」

第5章では、運動生理学の観点からの検証と分析です。
高齢になるにつれて耐寒能力が低下していくことや、普段から体力を養成しておくことの大切さについても述べられていますが、肝になるのが適切なエネルギー量の把握と補給の重要性です。
このトムラウシツアー登山の参加者は、あまり満足なエネルギー補給がなされておらず、その摂取量は「気象条件などのコンディションがよいという条件下で、疲労せずに歩ける最低値に近いもの」であり、「なんらかの理由で、より大きなエネルギーが必要な条件になった場合には対応できなくなるという脆弱なもの」でもあった、といいます。
そこで、目的の登山コースに必要なエネルギー量や、背負うザックの重量や悪天時に対応するためのエネルギー量の変化などを、ツアー会社や登山者が把握しておくことが提言されます。さらに、健康のためという中高年登山ブームが、運動生理学の知識の欠如の上に成り立っていることへの問題提起もなされています。

そして最後の第6章では、山に関する著書の多いフリーライター・羽根田治さんにより、ツアー登山のありかたに対して厳しい問いかけがなされます。
山に存在するリスクを認識せず、リスクマネジメントに無理解・無関心なツアー会社。きちんとした資格がなく、必要な資質も備わっていないのに登山客を引率するガイド。登山に必要な計画や準備などといった面倒なことを敬遠するあまり、リスクマネジメントがしっかりしていないツアー会社やガイドに依存してしまう登山者•••。
羽根田さんは、3者それぞれの問題点を手厳しく指摘した上で、登山者に向けてこのように問いかけます。

「どんな形態の山登りであれ、問われるのは、とどのつまり、あなたが登山者として自立しているかどうかなのだと思う」

トムラウシ山大量遭難から4年が過ぎ、悲劇の記憶はすっかり風化しているように思えます。
そして残念なことに、その後も中高年層をはじめとした登山者による遭難事故は後を絶ちません。トムラウシ山遭難を引き起こしたツアー会社も昨年11月、万里の長城付近の山への登山ツアーで遭難事故を引き起こし、またも低体温症により3人の命が失われたのです。
トムラウシ山遭難事故の警告や教訓はほとんど活かされることも顧みられることもなく、悲劇が繰り返されているのです。
そのような現実を思うにつけ、貴重な教訓や提言に満ちている本書はもっともっと、多くの登山者に読まれて欲しい一冊です。また、登山をやらない向き(わたくし自身もそうなのですが)にも、低体温症や運動生理学の知見をはじめ、リスクやアクシデントに対する心構えや対処のあり方について、なにかしら得るところがあるのではないかとも思います。

最後に、本書で一番印象に残った、金田正樹さんのこの一文を引用しておきます。

「所詮、山は遊び。命を懸けて登ったり、歩くものでもないだろう。スケジュールどおりに悪天候のなかを歩いても、楽しいはずがない。
(中略)もっと自然と対話しながら、ゆったりと自然に身をゆだねる心が、山登りの原点である、と考えてみてはいかがだろうか」