読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

NHKスペシャル『里海 SATOUMI 瀬戸内海』を観て

2014-03-23 22:49:10 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『里海 SATOUMI 瀬戸内海』
初回放送=2014年3月23日(日)午後9時00分~9時49分、NHK総合
語り=伊武雅刀・伊東敏恵
製作=NHK岡山・広島・山口放送局


かつて、工場などからの排水からもたらされる富栄養化物質が原因となって大発生したプランクトンによる赤潮で、瀕死の状態だったという瀬戸内海(そういえば、子どもの頃には赤潮発生のニュースが大々的に取り上げられていたよなあ)。
それが、プランクトンをエサとする養殖カキの浄化作用により、劇的に環境が良くなっているということに驚かされました。1個につき風呂桶1杯分という浄化能力を持つというカキが、瀬戸内海全域に65億個も!
そのカキ養殖筏の中の光景にも目を奪われました。カキにくっついた海藻やイソギンチャク、ホヤなどで、筏の下はまるでお花畑。その間を、クロダイなどの魚がたくさん泳いでいたりするのですから。
カキによって水が浄化されたことで、海藻の一種のアマモも繁殖。それが光合成で酸素を生み出すうえ、魚の繁殖地にもなることで、数が減っていた魚介類や「生きた化石」カブトガニ、さらにはイルカの仲間・スナメリまでが戻ってきている•••ということも、また驚きでした。

カキを養殖し、アマモを増やすことにも貢献しているのが、瀬戸内の漁師さんたち。岡山県日生(ひなせ)の漁師さんたちは、魚の繁殖地にもなるアマモを増やそうとタネを撒き続けましたが、アマモはなかなか育たなかったといいます。
そこでカキの浄化作用によって水をきれいにし、アマモの成長を促そうとカキ筏をアマモのタネを撒いたポイントへ移動。結果として水が浄化されてアマモも繁殖、やがてその場所での漁獲量も増えていった•••という循環ができていったとか。
日生の漁師さんの一人が語ったことばが印象に残りました。
「あきらめたらいかんかもしれんなあ、なんにつけても」

密集しすぎを防ぐために間引かれたアマモの活用にも知恵がありました。畑の肥料として陸の作物にも恵みをもたらすほか、石造りのサウナに敷き詰めるというのには唸らされました。そのサウナでひと汗かいたあとに海に飛び込む•••というのが、また極楽といった感じで羨ましかったなあ(海に飛び込んでたおじさん、心底気持ち良さそうだったし)。

自然と人間とは相容れないもの、というわけではなく、知恵を持って共存することで互いにとってもメリットをもたらす•••ということを、瀬戸内海の「里海」は教えてくれたようでした。また、その知恵が世界からも評価され、注目されているというのも、ちょっと嬉しく思いました。
あらためて、瀬戸内海っていい場所だなあとしみじみ思いましたね。いつの日か時間が取れたら、瀬戸内の島を巡る旅なんていうの、やってみたいなあ。

別府・オトナの遠足2014 (第2回)亀川・温泉町浪漫歩き

2014-03-23 18:57:37 | 旅のお噂
別府小旅行2日目となった16日(日)。前の夜、いつもよりけっこう多めに飲んだわりには酒が残ることもなく、快適に朝を迎えることができました。
宿泊先のホテルで朝食後、早々にチェックアウトして向かったのは、市の北部にある亀川温泉でありました。
亀川へと向かう路線バスの中では、英語で会話を交わしている外国からの訪問者が普通におられましたね。懐かしい温泉情緒を残す地方都市でありながら、立命館アジア太平洋大学(APU)を擁した、国際交流都市としての別府の一側面をあらためて実感いたしました。

亀川駅前でバスを降り、交通量の多い表通りから裏手に回ると、何軒かの旅館が立ち並ぶ静かな通りに出ました。どうやら、かつてはそこがメインストリートであったようで、往時を偲ばせるかのような古い建物がそこここに残っていて、実に風情がありましたね。

そんな通り沿いにある市営の共同浴場が「浜田温泉」であります。風格のある堂々としたつくりの建物が、なかなか見事な感じです。

とはいえ、その風格ある建物の入り口に「ヤッターマン」や「みつばちハッチ」といった、タツノコプロのアニメのキャラクターをあしらった暖簾がかかっているというのが、妙に可笑しかったりしたのでありまして•••。昨年訪ねたときにも大々的に展開されていた、別府市とタツノコとのタイアップ作戦は、いまだ継続中のようでありました。
入り口で入浴料100円を払って中に入りますと、おそらくはご近所さんであろうおじいちゃんたちが集まっていて、のんびりと朝風呂に浸かっておられました。
その中に混ぜていただくように湯船に浸かりますと•••これがちょっとばかり熱いお湯なのでして、長く浸かるのがいささか辛いところがありましたね。別府の共同浴場のお湯は熱めのところが多いというのは、昨年何ヶ所か回ってみて実感したのですが、ここいらもやはり例外ではないようでした。ですが、おかげさまでアタマがシャキッとして、朝風呂にはうってつけという感じがいたしましたね。
そんな軟弱者のわたくしを尻目に、地元のおじいちゃんたちは悠々自適といった感じで、お湯に浸かっておられたのでありました。いやー、さすがだなあ。

浜田温泉を出ると、道を挟んで真向かいにある、やはり風格のある建物に入ることにしました。入り口には「浜田温泉資料館」とありました。

入り口のところに、いささか手持ち無沙汰そうな感じで座っておられたお姐さんに、いろいろと説明していただきました。真向かいにある浜田温泉の建物は平成14年に建てられたという、意外にも新しいもので、もともとはこちらの建物が、浜田温泉として利用されていたとか。
建てられたのは昭和10年。別府市の木造温泉建築としては最古のものでしたが、真向かいに新しい建物ができたことに加え、痛みも激しかったこともあり、新しい建物ができた翌年に解体されてしまったそうです。
「湯気で傷んでたというのもあったんですけど、ほらここって海にも近いですから、一層傷みもひどかったみたいで」
と資料館のお姐さん。ちなみに、別府駅からほど近いところにある「竹瓦温泉」(下の写真)は初代浜田温泉の3年後、昭和13年に建てられたものであります。こちらは今もバリバリの現役。入り口の唐破風づくりが、浜田温泉とも共通したものを感じさせますね。この頃の温泉建築のスタンダードだった、ということだったのでありましょう。

一度は解体された旧浜田温泉でしたが、その復元に尽力したのは一般の篤志家夫妻であったといいます。証券会社や不動産会社を経営するかたわら、社会事業にも熱心に取り組んでいた夫の遺志を継いだ妻により建設費6500万円の寄付がなされ、当時の姿を今に伝える復元を行うことができたとか。いやー、実に見上げた夫妻があったものだなあ、と感銘いたしましたよ。
入り口から階段を降りると、地面から低いところに設置された「半地下式」の浴槽が、当時の状態のまま残されておりました。現在でも別府の共同浴場は「半地下式」のものが多くありますが、昭和初期にはすでに一般的なものだったんですねえ。

内部には、温泉掘削に使われた道具などの実物や、往時の亀川温泉、そして別府の賑わいを伝える古写真、昔の観光パンフレットなどが展示されておりました。



浴槽の奥、低い天井をくぐっていった先には、小さな部屋がありました。

資料館のお姐さんに、あの小部屋はなんだったんですか?と尋ねると、「あれは蒸し湯だったとこなんですよ」と教えてくださいました。
「でも、できた当時はまだ蒸し湯に慣れてない人が多かったみたいで、倒れて救急車で運ばれていく人もいて、たった2年で閉鎖されちゃったそうです。もったいないですよねえ」
ほう、そうだったのか。これはなかなか興味深いお話でありました。
また、町内のあちこちに共同浴場があるのですが、それには浜田温泉のように外来客も入れるところもあれば、維持管理している「組合員」以外には入ることのできないところもけっこうあると教わりました。
「そういう『組合員』が管理するところでは、同じ町内の人であっても入ったらダメなんです」
このお姐さん、けっこうお話好きな方でありまして、建物や温泉の案内以外にもいろいろとお話をなさいました。こちらが宮崎から来たことを知ると、若い時に初日の出を見るため友達と宮崎の海岸に行った思い出を話してくださいました。そして、前の日の未明に起こった地震のことも。
「あの時はもう寝てたんですけど、大きな揺れにビックリして飛び起きましたよ。3年前のこと(東日本大震災)を思い出して、もう不安で不安で•••。ここはすぐ近くが海だから、もし何かあってもすぐには逃げられないですし•••」
そう、この亀川温泉の目と鼻の先は海。のみならず、別府市街地のかなりの部分は、海から近いところにあるんですよね。
南海トラフ地震の可能性も叫ばれるなか、けっして起こり得ないとは言い切れないところがありますし、万一の備えが必要なことも当然ではありますが•••いや、やはり起こってほしくはないですね、ええ。
願わくは、亀川温泉、そして別府が末長く平穏であり続けてほしいと、思うばかりでありました。
何はともあれ、資料館のお姐さんは実に気さくで親切なお方でありました。本当にありがとうございました!また、機会があったらお話いたしましょう!

お姐さんから「ここらへんの温泉では一番有名なところですよ」と教えていただいた「亀陽泉」(きようせん)に行ってみることにいたしました。
浜田温泉のあるところからしばらく歩くと、やはり懐かしい風情がある商店街が。その一角に「亀陽泉」はありました(下の写真の奥の建物です)。

建物こそコンクリート造りなのですが、かなり古い歴史のある共同浴場とのことです。その内部はまさしく、昭和の銭湯そのままの雰囲気といった感じでした。
この日2回目の入浴、いざ湯に浸かってみると、これが浜田温泉以上に熱々でありまして•••カラダから出汁でも出てきそうな感じなのでありましたよ。結局は1分も浸かることがかなわず、カラスの行水状態となってしまいました。いやー、参りました。降参。
しかし、やはりご近所さんと思われるおじいちゃん方は、泰然自若として湯に浸かっておられるのでありました。もう、鍛え方が違いますね。軟弱者のわたくしは、おじいちゃん方にも降参の白旗を上げつつ、「亀陽泉」を後にしたのでありました。
商店街をしばらく歩いてみると、小さな共同浴場がありました。きっとこれが、「組合員」限定の場所ということなのでしょう。気にはなりましたが、領分を侵すわけにはいきません。静かに通り過ぎることにいたしました。
ふと、その入り口を見ると「男子学生の入浴を禁ずる」との貼り紙が。いやはや、なんともキッパリと締め出されたものでありまして•••なにか気に障ることでもやらかしたのかなあ、ご老人方に。

最終回は、2日目に満喫した絶品昼食と、街中スイーツのお噂を綴りたいと思います。