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『この世界の片隅で』(2016年・日本)
監督・脚本=片渕須直 原作=こうの史代
プロデューサー=真木太郎 監督補・画面構成=浦谷千恵
キャラクターデザイン・作画監督=松原秀典 撮影監督=熊澤裕哉
美術監督=林孝輔 音楽・主題歌=コトリンゴ
声の出演=のん、細谷佳正、小野大輔、尾身美詞、潘めぐみ、稲葉菜月、牛山茂、新谷真弓、岩井七世、澁谷天外
(3月12日、宮崎キネマ館にて鑑賞)
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遅まきながらですが、ようやく観ることができましたよ、この映画。
こうの史代さんの漫画(こちらはまだ読んでおりませんが・・・)を原作とした本作は、アニメーション映画としては宮崎駿監督の『となりのトトロ』以来28年ぶりとなる、キネマ旬報の日本映画ベストテン第1位に輝いたほか、毎日映画コンクールで日本映画優秀賞および大藤信郎賞、日本アカデミー賞で最優秀アニメーション映画賞を受賞するなど、アニメーションとしての枠を超えた高い評価を得ている作品です。
興行的にも、ツイッターなどのSNSによる口コミで評判が評判を呼び、メジャー系での公開ではなかったにもかかわらず、先月(2月)の時点で興行収入が20億円を超える大ヒットぶり。わたしのツイッターのタイムラインにも、毎日のように作品を絶賛するツイートを集めてはリツイートするような、実に熱心な作品の「シンパ」のような向きもおられたりして、正直なところ若干食傷気味になっておりました(その点については実のところ、これを書いている今でもあまり変わらないのですが・・・)。
そんなこともあり、はじめは「宮崎で公開されればぜひとも観なければ!」という高揚した気持ちだったのが、「いまさら観に行くこともないかなあ・・・」という気分になりかけていたのですが(ちょっぴりヒネくれたところがあるもんで、ワタクシは)、やはりここは一度劇場で観ておこうと思い直し、観に行ったという次第です。
そんな経緯で観ることになった『この世界の片隅で』でしたが、結果として「これはやっぱり観に行っておいて大正解だった!」と心から思うことができた、実に素晴らしい映画でした。
絵を描くことが大好きな主人公の少女、浦野すず。広島市の江波(えば)で、家業の海苔づくりを手伝いながらのびのびと育っていた。
昭和19年、18歳となったすずは周囲に勧められるがままに、軍港のある呉に住む海軍の文官・北條周作との縁談を受け入れて北條家に嫁ぐ。慣れない土地での家族との生活、さらには戦時下における物資の不足に戸惑い、悩みつつも、すずはつましいなりに工夫をしながら、日々の暮らしを積み重ねていく。
しかし、戦況の悪化にともない、呉もアメリカ軍による空襲にさらされていく。そして、投下された時限爆弾の爆発により、すずは大切な右手を失った上、連れていた姪の命も奪われてしまう。娘を亡くした義姉は、すずを激しく罵る。
失意の中で自らの居場所を見失いつつあったすずが、江波の実家に帰ろうかどうか逡巡していた8月6日の朝、上空に閃光が走る。広島に新型爆弾=原子爆弾が投下されたのだった・・・。
映画が始まってすぐ。徹底したロケハンと時代考証により、緻密に、かつ空気感豊かに描かれた、戦前から戦中にかけての広島や呉の風景が、わたしを一気に作品の世界へと引き込んでくれました。
とりわけ目を見張ったのが、原爆で失われてしまった広島市の繁華街、中島本町の賑わいを再現した場面でした。たくさんの商店が立ち並び、通りにはたくさんの人びとが行き交う街の風景・・・。現在は平和公園となっている一帯が、かつては間違いなく人びとの暮らしと楽しみを支えていた場であったことが、生き生きと伝わってきました。
監督である片渕須直さんの前作『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年)も、昭和30年ごろの山口県防府市の風景がしっかりとした空気感を伴って描かれていましたが、今回の『この世界の片隅で』では、その方向性がより一層徹底されているように思えました。『バケモノの子』(細田守監督、2015年)などに参加した美術監督・林孝輔さんのもと、スタジオジブリ作品にも参加していたベテラン、男鹿和雄さんや武重洋二さんらも加わった、美術スタッフの仕事ぶりが光っていました。
見応えのある映像のリアリティをさらに高めていたのが、これまた密度の高い音響効果。中でも、空襲場面における効果音には、あたかもその場に居合わせているかのような迫力と恐怖を感じるくらいでした。数多くの実写映画に参加している腕っこきの音響効果マン・柴崎憲治さんの仕事ぶりもまた、さすがと言いたくなる素晴らしいものでした。
そして、なによりも素晴らしいと感じたのが、主人公の “すずさん” を演じた女優・のんさんの声の演技でした。
冒頭におけるすずさんの幼年期のくだりでは、わずかながら違和感のようなものがあったものの、映画が進むにつれて、のんさんの存在をまったく意識しなくなりました。その声の演技は、すずさんという魅力的なキャラクターと見事に一体化して、しっかりと生命を吹き込んでいました。
ちょっとぼーっとしているところがあるけれども、ひたむきに生きる姿勢と内に秘めた芯の強さで一人の女性として成長していくすずさんを、のんさんは見事に演じ切っていたと思います。
戦争や原爆が背景となっている映画でありながら、本作には声高で頭でっかちな「反戦」などのメッセージはありませんし、ことさら重苦しさや悲惨さを強調するような描きかたもなされておりません。
作品は、すずさんとその周囲の人びとの日常を、しっかりと丁寧にすくい取っていくことに徹します。そこには苦しみや怒り、悲しみがあるだけではなく、ささやかな幸せもあれば笑いもあります。
70年後を生きるわれわれと、何ら変わることのない日常と人びとのいとなみ。それが丁寧に描かれているからこそ、その日常が壊れ、失われることによって生じる痛みが、頭だけの理屈ではない実感を伴ったものとして、観ているものに自然と伝わってきます。
おりしも、この映画を観た12日は、東日本大震災から6年目となる3月11日の翌日でもありました。戦争と自然災害の違いはあれど、日常が壊され失われることの痛みには、共通するものがあることでしょう。
震災から6年目となった翌日に本作を観たことで、普通の日常をまっとうに生きることがどんなに大切で愛おしいことなのかを、一層強く感じることができました。
本作のエンドロール。キャストとスタッフの表記が終わったあとに流れてきたのは、クラウドファンディングにより本作の製作を支援された方々の氏名(およびハンドルネーム)でした。そう、この作品は、まだ製作資金の調達が思うように進まない中、クラウドファンディングによる支援により製作の目処がつき、こうして作品として結実することとなったのです。
そこには、実に多くの人びとの名前がクレジットされておりました。たくさんの想いとつながりの後押しがこの作品を生み出したんだなあ、ということをあらためて認識し、なんだか熱い気持ちになりました。
けっこう長めのエンドロールでしたが、当日の観客で席を立って立ち去る人は誰一人いませんでした。きっとそれぞれが、作品の余韻にじっくりと浸っていたのでしょう。
アニメーションとして、そして映画として、これから長きにわたり輝きを失うことがないであろう、宝物のような素晴らしい作品と出会えたことを、心から喜びたいと思います。