読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【閑古堂アーカイブス】温泉観光都市の発展史を辿ることで、別府散策がさらに味わい深くなる『絵はがきの別府』

2018-02-09 22:31:16 | 旅のお噂

『絵はがきの別府 古城俊秀コレクションより』
松田法子著、古城俊秀監修、左右社、2012年


いきなりなのですが、今週末の10日・・・って・・・おっと、もう明日ぢゃないか(笑)・・・から2泊3日の日程で、大分県の別府市から日田市を巡る一人旅に出かけます。毎年出かけるたび、どこかホッとするような安心感がある別府も楽しみなのですが、かなり久しぶりとなる日田への訪問も大いに楽しみです。
その旅からのご報告は、当ブログでうるさいくらいに(笑)やることとして、別府に行く前に必ず読み返すようにしているのが、この『絵はがきの別府』という本であります。
著者の松田法子さんは、兵庫県有馬温泉を取り上げた先週末(3日)のNHK『ブラタモリ』に案内役として登場されたほか、同番組で熱海や別府を取り上げたときにもやはり案内役を務めておられた、温泉観光都市の歴史についてのエキスパートです。まことに凛とした美貌の持ち主で、番組に登場するたびに「宝塚の役者さんのよう」とネットで話題になったりしておりました。・・・実はわたしも密かにファンなのですが(笑)。

本書『絵はがきの別府』は、地元大分の郵便局に長くお勤めになっていた、古城俊秀さんの6万枚にのぼるという大分の絵はがきコレクションから、明治大正、昭和戦前期にかけての別府の風物を図案にした写真絵はがき600枚を厳選して紹介しながら、別府の観光都市としての発展史を辿っていくという一冊です。かつての別府の光景を題材にした数々の絵はがきからは、小さな温泉場集落から、近代的な観光都市として発展していった別府の歴史が生き生きと立ち上がってきます。
別府観光の大きな呼び物の1つだったのが、砂浜沿いに広範囲で行われていた天然砂湯。絵はがきにも、浴衣姿で砂湯に憩う人びとと、スコップで砂をかける「砂かけ」さんたちを写した構図のものがたくさんあります。中には、巡業に来たとおぼしき力士たちや、外国人浴客が砂にくるまっている光景を写した珍しいものも。

別府絵はがきに多く見られる図柄が、別府の各エリアに集中している温泉旅館や共同浴場の光景です。
当時の旅館の多くが3〜4階立ての木造で、そのたたずまいは風情と郷愁を感じさせるものがあります。今では、別府を代表する巨大リゾートホテル「杉乃井ホテル」が聳え立つ観海寺温泉も、かつては階段状の細い石畳の道に面して旅館や土産物屋が連なる風情ある光景の場所だったことが、当時の絵はがきからよく伝わってきます。
・・・でも、旅館を写した絵はがきに、建物の内外にいる浴衣姿の宿泊客が、一斉にカメラを向いた格好で写っている図柄のものが多くあったりして、それが妙に印象に残ったりいたします。当時の旅館絵はがきの流行りだったのかねえ、そういう構図。
「地獄めぐり」の中心エリアであり、湯治場風情の残る町並みで人気の鉄輪温泉に、大正中期から昭和初期にあったという「温浴室」の絵はがきはなかなか珍しいものがあります。一見普通の旅館の客室なのですが、室内が体温と同じくらいに調整された発汗を促し、ゆっくり時間をかけて身体を温めるという部屋。というとサウナのようなものを想像しがちなのですが、中にいる人びとは寝転んだり新聞を読んだりしていて、ずいぶん居心地良さそうだったりいたします。
そして、今も別府の街のそこここにある共同の温泉浴場。これらの共同浴場には、二階に公民館が設置されていたりもしていて、それらが観光資源であるとともに地域社会に生きる人びとの結びつきを深める場として作用していることを、本書は指摘しています。

戦前の別府には複数の遊園地も作られていました。その中で今も残っているのが、アヒルの競争などのあるレトロチックな遊園地として知られる「ケーブルラクテンチ」。かつては金銀を産出していた鉱山だったのですが、掘り進めるうちに温泉が湧いてくるようになり、既存の温泉源に影響を与える懸念から閉山となり、そのあとに遊園地として開発されたのが始まりでした(このことは別府を取り上げた『ブラタモリ』でも言及されてました)。
また、今は存在しない「鶴見園」という遊園地には「九州の宝塚」と称された少女歌劇もあったそうで、作家の大佛次郎らをして「ここの歌劇が、やがて宝塚の名を凌ぐやうになるのも、あまり遠くはないだらう」と言わしめたほど名高かったのだとか。かつての絵はがきにも、その華やかさの一端が残されています。
ほかにも、昭和戦前期に開催された2つの大きな博覧会を伝える絵はがきや、陸海軍の療養所の様子を写した珍しい図案の絵はがきなどもあり、近代日本を代表する温泉都市として意識的に開発され、発展してきた別府のさまざまな側面が、本書を通して見えてきます。

そんな別府の発展を促進させたのが、さまざまな交通インフラの整備でした。その先鞭をつけたのは、別府と大阪を結ぶ定期航路の就航。定期航路で活躍していた船や、その入出港で賑わう港の風景を写した絵はがきは、当時の活況を伝えてくれます。また、別府と大分を結ぶ電気鉄道の敷設・開業も、福岡から南下してきていた蒸気機関車が開通するより早かったとか。さらに特筆すべきは、民間航空路の開拓期に、別府と大阪・福岡を結ぶ飛行艇の定期航路があったということです。
今も別府観光の目玉である「地獄めぐり」も、自動車の参入により一気に輸送力がアップ。それを促進したのが、現在も別府を拠点にバス、ホテル事業を展開している亀の井グループでした。その創始者であり、別府観光の立役者でもあった油屋熊八のことにも、本書はコラムの形で触れております。別府駅前に突拍子もないポージングの銅像で立っておられるこの人物、なかなかユニークなお方だったようで、ぜひとも詳しい伝記が読みたいところであります。

別府黄金時代の活気を今に伝える貴重な絵はがきとともに、別府の歴史をしっかりと深掘りしている本書は、別府の街歩きをより味わいのあるものにしてくれることでありましょう。別府好きはぜひとも座右にどうぞ。・・・あ、もちろん松田先生のファンも(笑)。