読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【映画鑑賞】『夢は牛のお医者さん』 ローカルメディアによる長期取材が生んだ珠玉の成果

2014-09-07 22:54:43 | ドキュメンタリーのお噂

『夢は牛のお医者さん』(2014年 日本)
監督=時田美昭
出演=丸山知美(旧姓・高橋)、高橋家のみなさん
ナレーション=横山由依(AKB48)
製作=TeNYテレビ新潟
2014年9月7日、宮崎キネマ館にて鑑賞


今から27年前。冬には雪深くなる山あいに位置する、新潟県の松代町。そこで生まれ育った高橋知美さんが通っていた小学校に、3頭の子牛が「入学」してきた。その年に新入生の入学がなかったことから、校長先生の計らいによって「クラスメート」としてやってきたのであった。
知美さんをはじめとする子どもたちは毎日せっせと3頭の子牛の世話を続けるが、牛たちは少々体が弱くて病気がちであった。そんな3頭の世話を続けるうち、知美さんの中に芽生えた夢があった。
「牛のお医者さんになって、自分が病気を治してあげたい」
時が流れ、親元を離れて下宿生活をしながら高校に通うようになった知美さんは、3年間はテレビを見ずに猛勉強することを決意する。獣医になる夢を叶えるべく、難関である国立岩手大学農学部の獣医学科を受験するためだった。
将来を案じる父親の反対、受験当時13.5倍という狭き門•••。厳しい状況を前に「合格しなかったら獣医を諦める」という不退転の決意で臨んだ入学試験に、知美さんは一発で合格。大学で6年間の研究と実習の日々を送る。
卒業後に臨んだ獣医師国家試験も一発で合格し、獣医師の夢を叶えることができた知美さん。しかし、牛の命を救いたいという思いと、経済動物としての効率性というジレンマに悩むこともあった。2004年の新潟県中越地震のときには、ボランティアで孤立した牛たちの救出に参加したりもした。
その後結婚し、二児の母となった知美さんは、子育てをしながら獣医の仕事を続けた。そして今ではその確かな診断と技術により、畜産家から頼られる存在となっているのであった•••。

小学生の時に抱いた夢を努力の末に叶え、その後も職業人としてしっかりと歩み続けている女性の姿を、27年という長期にわたる取材により描き出したドキュメンタリーです。
恥ずかしながら、「まさかこんなにも大泣きするとは•••」というほど強く胸打たれた作品でした。なんせ、まだ映画の序盤であった、知美さんの小学校での「牛の卒業式」のシーンから、もう滂沱の落涙でありました。
小学校にやってきていた3頭の子牛たちはあくまでも愛玩目的ではなく、成長したら市場へ出荷される「経済動物」という前提でやってきたのでした。出荷されるとき、子どもたちは悲しみの中で、牛たちが命と引き換えに果たしてくれる役目を、理屈ではなく心身をもって理解することができたのでしょう。そのことが、どんなに貴重で大きな経験だったことか。
そんな経験を経て、「牛のお医者さん」になることを決意し、それに向かって懸命の努力を重ねた知美さんの姿には、清々しいような感銘を受けました。
大学の入試直前、受かる自信はあるか、と取材者に問われ「自信がなかったら受けません」と即答するきりりとした表情。獣医になってから「(畜産家の皆さんが)頼りにしてくれることが嬉しい」と語る姿。それはいずれもすごくカッコいいものでした。
夢を叶えようとするひたむきな姿勢、そして職業人となってからの凛とした姿。知美さんの生き方は、もういいトシの「オトナ」となっているわたくしにも、たくさんの大切なことを教えてくれたように思います。

本作を製作したのは、新潟県の日本テレビ系列局であるTeNYテレビ新潟です。
知美さんの小学校時代から長期にわたって続けられた取材の成果は、地元新潟県向けローカルニュースの中で放送されただけでなく、日テレ系列の情報番組『ズームイン!!朝!』とその後継番組『ズームイン!!SUPER』でも継続的に取り上げられたのだとか。そして2003年には、やはり日テレ系列のドキュメンタリー枠『NNNドキュメント』で、本作の原型となったドキュメンタリーが放送されるに至ります。
その時々に発生する事件や話題を追いかけるのが主だった仕事のメディアにおいて、一つの事柄を長期間じっくりと取材するということはそう多いことではありません。しかし、一つの事柄を長期間取材することで、短期的なスパンだけで見ていてはわからなかった、事件や出来事の全体像がハッキリと見えてくるということは確かでしょう。
そしてこの『夢は牛のお医者さん』は、一人の人物とその生き方にスポットを当てた長期間の取材もまた、実に多くの収穫をもたらしてくれるのではないか、ということを感じさせてくれました。それを地方のローカルメディアがやり遂げた、ということにも、より一層意義深いものを感じます。
さらに言えば、そんな地方局の地道な仕事を全国ネットで紹介する場を設け、このたびの映画化に結びつけたキー局の日本テレビにも、なかなかやってくれるなあ、という思いを持ったりするのです。

ひたむきに夢に向かった女性の熱意と、それに寄り添い続けたローカルメディアの地道な仕事とが、最良の形で結実した珠玉の作品でした。未見の皆さまは、機会があればぜひご覧いただけたらと願います。

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