熊本旅2日目となる、9月18日の朝7時前。宿泊先のホテルで目を覚ますと、なんだか外が賑やかです。鐘や太鼓の音色とともに、拡声器を通した掛け声のようなものも。
「あっ!これはもしかして・・・」
慌てて身じたくを済ませてホテルの外に出ると・・・ああ、やはりそうでした。藤崎八旛宮の秋季例大祭の呼び物である「神幸行列」が、ホテルのすぐそばに伸びている下通のアーケード街を練り歩いていたのです。
今年は9月の13日から開催が始まっていた藤崎宮の秋季例大祭。1000年以上の長い歴史を持つという、熊本でも最大級のお祭りである例大祭のクライマックスとなるのが、この神幸行列であります。
華やかに飾り立てた奉納馬を先頭に、それを威勢よく追う「勢子」(せこ)の人びとがあとに続きます。手づくり感溢れる山車に立つ人からの掛け声に合わせ、周りの勢子の人びとも声をあげたり、踊ったりしながら練り歩きます。鐘や太鼓、そしてラッパが大きな音を響かせていて、いやもうとにかく、底抜けに賑やかなのでありますよ。
・・・しかしそれにしても、まさかこんな朝早くから、しかも中心部のアーケード通りを貫いて行列が行われるとは。調べてみると、早朝6時から藤崎宮を出発して御旅所に向かい、夕刻には再び中心街を抜けて藤崎宮に戻るんだそうで、まさに一日がかりなのであります。
何はともあれ、旅先で地元の大きなお祭りに出会えるというのは実にいい機会です。わたしはそのまま、行列が尽きるまで見物することにいたしました。
華やかに飾り立てたお馬さんと、威勢よく掛け声や鳴り物を響かせるお兄さんお姉さん、おじさんおばさんの一団が次から次へと通り過ぎていくようすを見ていると、なんだかこっちまで楽しい気分になってまいりましたね。「ノッてるか〜い?」とわたしに向かって声をかけてきたお姉さんに「イェ〜イ!」なんて返してみたり。・・・それにしても、おそろいのハッピに身を包んだお姉さんたちには、華やかで艶っぽいお方もけっこうおられましたねえ。けっこう美人さんが多いですな、熊本は。
大人たちの勢子さんたちに混じって、やはり揃いのハッピを着た子どもの姿もチラホラ。中には、お母さんの背中におんぶされながら、周りの賑やかさもどこ吹く風、とばかりに眠っている赤ちゃんもいたりして、実に微笑ましかったですねえ。
神幸行列に参加した団体には、熊本復興へ向けてのメッセージを記した横断幕やのぼりを掲げているところも、いくつか見受けられました。
震災の影響で開催が危ぶまれていたという、今年の例大祭。地元紙・熊本日日新聞の記事(7月20日掲載の「飾り馬奉納『半減』 藤崎宮例大祭」。リンク切れの説はご容赦を)によれば、「震災被災者の心の慰め、熊本・大分の早期復興を祈る特別な例大祭」と位置付け、被災した方々に配慮した上で、6月下旬に開催を決定したものの、参加団体は前年の65団体から大きく減り、35団体にとどまることになったとか。
上の記事では、「地震と祭りの捉え方はいろいろ。心がひとつにならないならばやめたほうがいい」と行列を自粛するところと、「少しでも熊本に元気を与えられる」「伝統を引き継いでいくべきだ」と参加を決めたところと、奉納団体において対応が分かれたことを伝えていました。また、企業や店舗などからの寄付金が集めにくかったことも自粛に影響した、とも。
そう、前日の夜に立ち寄った居酒屋でも、まだ祭りをやるのは早すぎるのではないか、という会話がありました。震災から半年も経っていないこの時期、少しずつ前を向いて進んでいこうという動きと、まだまだそれどころではないという動きが交差する、「いま」の熊本の現実が、ここにもありました。
そういった現実を踏まえながらも、あくまでもヨソ者の立場からでしかない僭越な感想を申し上げれば、わたしは今回の例大祭および神幸行列をやっていただいたことは、やはり良かったのではないのだろうか、と思うのです。
もちろん、震災により大きな影響や不幸を被り、まだまだそこから立ち直れずにいる方々がおられることを、軽く見たり忘れたりするようなことがあってはなりません。
その一方で、たとえ規模は小さめであったとしても、震災で辛い思いをなさってきた地元の皆さんの気持ちの拠り所となるような、伝統のお祭りやイベントを開催していくことの意味も、決して小さくはないように思うのです。そのことで、少しずつ時間はかかるとしても、「次」への一歩を踏み出す力が多くの人びとに共有されていくはずだ、と信じたいのです。
神幸行列を見ながら、この熱気が熊本の復興と発展を後押しするパワーとなっていくよう、願ったのでありました。
行列を見続けること2時間ちょっと。そういえば、まだ朝食を食べていなかったことに気づきました。さすがにお腹が減ってきたので、前日も立ち寄った熊本城そばの「桜の馬場 城彩苑」で、ちょいと買い食いすることにいたしました。
時刻はまだ10時前後ということで、飲食店の多くはまだ準備中でしたが、テイクアウトできる食べものはいくつか買えるようでした。わたしは、天草産のウニがコロッケの中に入っているという「うにコロッケ」を買いました。通常サイズのやつと、大きさはもちろん中身のウニも増量という「プレミアム」の2個です。
クリームベースのコロッケに旨味たっぷりのウニが相まって、実に濃厚な美味しさ。「プレミアム」のほうは、かぶりつくと中からあふれ出てきたほど、ウニがたっぷり詰まっておりました。これはいい小腹塞ぎになりましたよ。
わたしはさらにもう一つ、熊本のスイカ果汁を使用した「スイカサイダー」を買い求めました。きれいな赤色に惹かれ、ついつい飲んでみたくなったもので。
ほどよい甘さのスイカの味に、スッキリ炭酸がよく合っていて、濃厚な旨さに酔いしれていたノドを心地よく潤してくれました。
さて、この日は熊本の文化的な側面を見聞すべく、このあと熊本中心街にある書店を何軒か巡ったのでありますが、そのお噂は次回まとめてお伝えすることにして、ちょっとだけ時間を先に進めてお伝えすることにいたします。
この日、書店巡りを一通り終えたわたしは、市内を走る路面電車に乗って、中心街からちょっとだけ離れた「洗馬橋」に向かいました。
「♪ 船馬山には狸がおってさ〜」
と歌われる肥後手まり唄『あんたがたどこさ』の舞台ともなったのが、このあたり。市電の停留所には、歌に出てくる狸をかたどった像も立っていたりします(うっかりして写真を撮りそびれました・・・)。
朝、市内中心街を練り歩いていた神幸行列の復路が、その洗馬橋を通っておりました。
洗馬橋の下を流れている坪井川は、かつて船運が盛んだったという場所。橋から眺める風景も、なんだかかつての面影をとどめているかのようでした。
坪井川に沿った「旧市街」といわれるこのあたりは、城下町だった昔の風情がそこかしこに残る場所でもあります。町名にも「唐人町」「鍛冶屋町」「呉服町」「紺屋町」と、昔をしのばせる名前が残ります。わたしは、この旧市街を散策することにいたしました。
皇居の二重橋を手がけた熊本の石工・橋本勘五郎によって造られた石橋「明十橋」(上の写真)のそばには、なんともレトロチックなレンガ造りの建物が。
ところどころに、歴史を感じさせる古い建物が残る旧市街。しかし、それゆえに地震によるダメージは大きかったようです。旧市街のあちこちで、大きく壊れた状態のままとなっていたり、修繕中であったりする古い建物を目にいたしました。
やはり坪井川に架かっている石橋である「明八橋」は、欄干の一部が落下していて立ち入りができない状態となっておりました。
歴史の風情漂う散策を味わおうと足を伸ばした旧市街。そこではあらためて、震災から半年経っていない中での「いま」の現実を突きつけられることになりました。賑わいを見せる中心街から少し足を伸ばしたところではまだまだ、震災による爪痕が生々しく残っておりました。
「地震からまだ半年も経っていないのに、まだまだお祭りどころではない」という、前夜の居酒屋で耳にした話が、切実な響きとなって脳裏に蘇ってきました。
熊本の真の復興はまだまだ、これからが本番なんだなと、旧市街を歩きつつ感じました。
修繕中の建物の側面に、復興へのメッセージを添えた大きな絵を見つけました。「OKAYAMA」「徳島」と書き込まれているところをみると、県外から支援にやってきた方々が描いたのでしょうか。
いくらかの時間がかかるのかもしれませんが、城下町の歴史を伝える旧市街がもとの風情を取り戻すことができるよう、願うばかりでした。
(第5回に続く)
「あっ!これはもしかして・・・」
慌てて身じたくを済ませてホテルの外に出ると・・・ああ、やはりそうでした。藤崎八旛宮の秋季例大祭の呼び物である「神幸行列」が、ホテルのすぐそばに伸びている下通のアーケード街を練り歩いていたのです。
今年は9月の13日から開催が始まっていた藤崎宮の秋季例大祭。1000年以上の長い歴史を持つという、熊本でも最大級のお祭りである例大祭のクライマックスとなるのが、この神幸行列であります。
華やかに飾り立てた奉納馬を先頭に、それを威勢よく追う「勢子」(せこ)の人びとがあとに続きます。手づくり感溢れる山車に立つ人からの掛け声に合わせ、周りの勢子の人びとも声をあげたり、踊ったりしながら練り歩きます。鐘や太鼓、そしてラッパが大きな音を響かせていて、いやもうとにかく、底抜けに賑やかなのでありますよ。
・・・しかしそれにしても、まさかこんな朝早くから、しかも中心部のアーケード通りを貫いて行列が行われるとは。調べてみると、早朝6時から藤崎宮を出発して御旅所に向かい、夕刻には再び中心街を抜けて藤崎宮に戻るんだそうで、まさに一日がかりなのであります。
何はともあれ、旅先で地元の大きなお祭りに出会えるというのは実にいい機会です。わたしはそのまま、行列が尽きるまで見物することにいたしました。
華やかに飾り立てたお馬さんと、威勢よく掛け声や鳴り物を響かせるお兄さんお姉さん、おじさんおばさんの一団が次から次へと通り過ぎていくようすを見ていると、なんだかこっちまで楽しい気分になってまいりましたね。「ノッてるか〜い?」とわたしに向かって声をかけてきたお姉さんに「イェ〜イ!」なんて返してみたり。・・・それにしても、おそろいのハッピに身を包んだお姉さんたちには、華やかで艶っぽいお方もけっこうおられましたねえ。けっこう美人さんが多いですな、熊本は。
大人たちの勢子さんたちに混じって、やはり揃いのハッピを着た子どもの姿もチラホラ。中には、お母さんの背中におんぶされながら、周りの賑やかさもどこ吹く風、とばかりに眠っている赤ちゃんもいたりして、実に微笑ましかったですねえ。
神幸行列に参加した団体には、熊本復興へ向けてのメッセージを記した横断幕やのぼりを掲げているところも、いくつか見受けられました。
震災の影響で開催が危ぶまれていたという、今年の例大祭。地元紙・熊本日日新聞の記事(7月20日掲載の「飾り馬奉納『半減』 藤崎宮例大祭」。リンク切れの説はご容赦を)によれば、「震災被災者の心の慰め、熊本・大分の早期復興を祈る特別な例大祭」と位置付け、被災した方々に配慮した上で、6月下旬に開催を決定したものの、参加団体は前年の65団体から大きく減り、35団体にとどまることになったとか。
上の記事では、「地震と祭りの捉え方はいろいろ。心がひとつにならないならばやめたほうがいい」と行列を自粛するところと、「少しでも熊本に元気を与えられる」「伝統を引き継いでいくべきだ」と参加を決めたところと、奉納団体において対応が分かれたことを伝えていました。また、企業や店舗などからの寄付金が集めにくかったことも自粛に影響した、とも。
そう、前日の夜に立ち寄った居酒屋でも、まだ祭りをやるのは早すぎるのではないか、という会話がありました。震災から半年も経っていないこの時期、少しずつ前を向いて進んでいこうという動きと、まだまだそれどころではないという動きが交差する、「いま」の熊本の現実が、ここにもありました。
そういった現実を踏まえながらも、あくまでもヨソ者の立場からでしかない僭越な感想を申し上げれば、わたしは今回の例大祭および神幸行列をやっていただいたことは、やはり良かったのではないのだろうか、と思うのです。
もちろん、震災により大きな影響や不幸を被り、まだまだそこから立ち直れずにいる方々がおられることを、軽く見たり忘れたりするようなことがあってはなりません。
その一方で、たとえ規模は小さめであったとしても、震災で辛い思いをなさってきた地元の皆さんの気持ちの拠り所となるような、伝統のお祭りやイベントを開催していくことの意味も、決して小さくはないように思うのです。そのことで、少しずつ時間はかかるとしても、「次」への一歩を踏み出す力が多くの人びとに共有されていくはずだ、と信じたいのです。
神幸行列を見ながら、この熱気が熊本の復興と発展を後押しするパワーとなっていくよう、願ったのでありました。
行列を見続けること2時間ちょっと。そういえば、まだ朝食を食べていなかったことに気づきました。さすがにお腹が減ってきたので、前日も立ち寄った熊本城そばの「桜の馬場 城彩苑」で、ちょいと買い食いすることにいたしました。
時刻はまだ10時前後ということで、飲食店の多くはまだ準備中でしたが、テイクアウトできる食べものはいくつか買えるようでした。わたしは、天草産のウニがコロッケの中に入っているという「うにコロッケ」を買いました。通常サイズのやつと、大きさはもちろん中身のウニも増量という「プレミアム」の2個です。
クリームベースのコロッケに旨味たっぷりのウニが相まって、実に濃厚な美味しさ。「プレミアム」のほうは、かぶりつくと中からあふれ出てきたほど、ウニがたっぷり詰まっておりました。これはいい小腹塞ぎになりましたよ。
わたしはさらにもう一つ、熊本のスイカ果汁を使用した「スイカサイダー」を買い求めました。きれいな赤色に惹かれ、ついつい飲んでみたくなったもので。
ほどよい甘さのスイカの味に、スッキリ炭酸がよく合っていて、濃厚な旨さに酔いしれていたノドを心地よく潤してくれました。
さて、この日は熊本の文化的な側面を見聞すべく、このあと熊本中心街にある書店を何軒か巡ったのでありますが、そのお噂は次回まとめてお伝えすることにして、ちょっとだけ時間を先に進めてお伝えすることにいたします。
この日、書店巡りを一通り終えたわたしは、市内を走る路面電車に乗って、中心街からちょっとだけ離れた「洗馬橋」に向かいました。
「♪ 船馬山には狸がおってさ〜」
と歌われる肥後手まり唄『あんたがたどこさ』の舞台ともなったのが、このあたり。市電の停留所には、歌に出てくる狸をかたどった像も立っていたりします(うっかりして写真を撮りそびれました・・・)。
朝、市内中心街を練り歩いていた神幸行列の復路が、その洗馬橋を通っておりました。
洗馬橋の下を流れている坪井川は、かつて船運が盛んだったという場所。橋から眺める風景も、なんだかかつての面影をとどめているかのようでした。
坪井川に沿った「旧市街」といわれるこのあたりは、城下町だった昔の風情がそこかしこに残る場所でもあります。町名にも「唐人町」「鍛冶屋町」「呉服町」「紺屋町」と、昔をしのばせる名前が残ります。わたしは、この旧市街を散策することにいたしました。
皇居の二重橋を手がけた熊本の石工・橋本勘五郎によって造られた石橋「明十橋」(上の写真)のそばには、なんともレトロチックなレンガ造りの建物が。
ところどころに、歴史を感じさせる古い建物が残る旧市街。しかし、それゆえに地震によるダメージは大きかったようです。旧市街のあちこちで、大きく壊れた状態のままとなっていたり、修繕中であったりする古い建物を目にいたしました。
やはり坪井川に架かっている石橋である「明八橋」は、欄干の一部が落下していて立ち入りができない状態となっておりました。
歴史の風情漂う散策を味わおうと足を伸ばした旧市街。そこではあらためて、震災から半年経っていない中での「いま」の現実を突きつけられることになりました。賑わいを見せる中心街から少し足を伸ばしたところではまだまだ、震災による爪痕が生々しく残っておりました。
「地震からまだ半年も経っていないのに、まだまだお祭りどころではない」という、前夜の居酒屋で耳にした話が、切実な響きとなって脳裏に蘇ってきました。
熊本の真の復興はまだまだ、これからが本番なんだなと、旧市街を歩きつつ感じました。
修繕中の建物の側面に、復興へのメッセージを添えた大きな絵を見つけました。「OKAYAMA」「徳島」と書き込まれているところをみると、県外から支援にやってきた方々が描いたのでしょうか。
いくらかの時間がかかるのかもしれませんが、城下町の歴史を伝える旧市街がもとの風情を取り戻すことができるよう、願うばかりでした。
(第5回に続く)
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