NHKスペシャル『家で親を看取る その時あなたは』
初回放送=4月21日(日)午後9時00分~9時49分、NHK総合
超高齢化が進むわが国。病院で亡くなる人が8割にのぼる中、国は医療の効率化を促すとともに、最後を看取る場を病院から「家」へと転換する政策を進めています。しかし、在宅医療を支えるためのインフラやサービス、制度は、まだまだ十分に整えられているとはいえません。
番組は、人口に占める高齢者の割合が全国一という神奈川県横浜市で、愛する家族が最後を迎えようとしている中で戸惑い、苦悩する複数の家族の姿を記録しました。
85歳の父親と、84歳の母親を介護している女性。肺に疾患を抱えている父親は、容体が安定したとして今年1月に病院から退院、女性は実家でヘルパーの助けを借りながら父親の介護をしていました。
医療ソーシャルワーカーから、現在は国の方針として病院から在宅での看取りが進められていることを聞かされた女性。医療の心得がない中での看取りという話に「どうしたらいいか分からないですね。怖いです」と戸惑うのでした。
やはり肺を患っていた母親は入院中でした。母親が入院していた病院は、入院患者に占める75歳以上の高齢者が半数を超えるという中での病院経営に、患者の早期退院を迫らねばならないという苦渋の判断を強いられていました。
入院期間が長引くごとに診療報酬が減っていくという現在の仕組み。病院の院長は、「急過ぎる流れに、われわれ医療者も含めて戸惑っている」と語るのでした。
退院して帰宅したときには「ほっとする」と嬉しそうだった父親でしたが、やがて食べ物がのどを通りにくくなり、体力は落ちていく一方でした。
父親が絞り出すように言いました。
「生きてるっていうのは大変だよ。最近やっとそれがわかった」
自宅で94歳の母親を介護する女性。母親は脱水症状を起こして以来、食べることができなくなり、胃に穴を開けて栄養を供給する「胃ろう」を受けていました。
かつては社交的ではつらつとしていた母親が憧れだったという女性。しかし、今は意思の疎通もままならない母親の状態に苦悩を抱えていました。
「生かされているのが見るに耐えない。終わりがない苦しみ、どうにかしてあげたい」
女性は、診察に訪れた在宅医の男性に心情を吐露し、胃ろうの中止を願い出ました。
「楽にしてあげたい。首を締めようかと思った、一瞬」
女性の訴えを受けて、在宅医は医師仲間に相談をします。ガイドラインにより主治医の判断で胃ろうの中止はできるのですが、それは法的に定められたものではありませんでした。
「ガイドラインは結局は指標、指標は法じゃないから怖い」「はたして世の中は受け入れるのか」
家族や在宅医、ヘルパー事業者などを集めた話し合いが持たれました。そこでも、女性は苦しい胸の内を吐露します。
「人間のやる行為ではないとはわかっていても、私はそれをやらざるを得ない、見ていられない」
長きにわたり苦しい中での介護を続けていた女性の思いを受ける形で、胃ろうの中止が決まりました。しかし、胃ろうの中止を前にして、母親は風邪により亡くなりました。
女性がつらそうに振り返ります。
「私が早まったことをしないように、母が自分で引き際を考えてこうなったのでは•••」
両親の介護を続けていた女性。実家で介護していた父親の体力は落ちていく一方でした。
「自信はない部分もあるけど、何とかなる、何とかしたい」。看取りをする決心を固めた女性は、少しでも長く父親のそばにいたいと、実家に泊まり込んで介護を続けていました。
もし入院している母親が一時帰宅できたら会いたいか、と女性に問われた父親は、やっとの思いで会いたいと言い、続けてこう口にしたのです。
「看護••••••」
妻の身をずっと案じ続け、入院する前には自身で妻の看護をしていた父親は、今はそれをすることができないから•••というのです。
「そんなことを考えてるとは思わなかった•••」と言い、涙ぐむ女性。
その数時間後、父親は急に呼吸が弱くなり、そのまま息を引き取りました。
「(亡くなるとき)ありがとうって言ってくれたの。それだけでも嬉しい•••」という女性。それから1ヶ月後、入院していた母親も亡くなりました。
女性が振り返ります。
「両親をちゃんと見送ることができた充実感はあるけれど、本当にこれで良かったのかな、という思いもある」
できれば考えたくはないことなのですが、自分の親もいつかは最後の時を迎えることになります。その時、自分はどう考えて、どのような選択をすべきなのか。その時にならなければわかりませんし、想像することも難しいのですが、登場した家族それぞれの思いと苦悩は、切実なものとして伝わってきました。
その時を迎えるための心構えを、少しずつでも自分の中につくっていかなければならないのだろうな、という思いを持ちました。
同時に、看取りを病院から在宅へ、という国の方針転換は、あまりにも急過ぎるのではないか、という思いもしました。
昨今の医療をめぐる状況を考えれば、ある程度の合理化は止むを得ないことかもしれません。しかし急ぐべきは、在宅で家族を介護し、その最後を看取る人たちをサポートする制度や仕組みづくりなのではないか。そう強く思いました。
重い問いが心に残ったドキュメントでありました。
初回放送=4月21日(日)午後9時00分~9時49分、NHK総合
超高齢化が進むわが国。病院で亡くなる人が8割にのぼる中、国は医療の効率化を促すとともに、最後を看取る場を病院から「家」へと転換する政策を進めています。しかし、在宅医療を支えるためのインフラやサービス、制度は、まだまだ十分に整えられているとはいえません。
番組は、人口に占める高齢者の割合が全国一という神奈川県横浜市で、愛する家族が最後を迎えようとしている中で戸惑い、苦悩する複数の家族の姿を記録しました。
85歳の父親と、84歳の母親を介護している女性。肺に疾患を抱えている父親は、容体が安定したとして今年1月に病院から退院、女性は実家でヘルパーの助けを借りながら父親の介護をしていました。
医療ソーシャルワーカーから、現在は国の方針として病院から在宅での看取りが進められていることを聞かされた女性。医療の心得がない中での看取りという話に「どうしたらいいか分からないですね。怖いです」と戸惑うのでした。
やはり肺を患っていた母親は入院中でした。母親が入院していた病院は、入院患者に占める75歳以上の高齢者が半数を超えるという中での病院経営に、患者の早期退院を迫らねばならないという苦渋の判断を強いられていました。
入院期間が長引くごとに診療報酬が減っていくという現在の仕組み。病院の院長は、「急過ぎる流れに、われわれ医療者も含めて戸惑っている」と語るのでした。
退院して帰宅したときには「ほっとする」と嬉しそうだった父親でしたが、やがて食べ物がのどを通りにくくなり、体力は落ちていく一方でした。
父親が絞り出すように言いました。
「生きてるっていうのは大変だよ。最近やっとそれがわかった」
自宅で94歳の母親を介護する女性。母親は脱水症状を起こして以来、食べることができなくなり、胃に穴を開けて栄養を供給する「胃ろう」を受けていました。
かつては社交的ではつらつとしていた母親が憧れだったという女性。しかし、今は意思の疎通もままならない母親の状態に苦悩を抱えていました。
「生かされているのが見るに耐えない。終わりがない苦しみ、どうにかしてあげたい」
女性は、診察に訪れた在宅医の男性に心情を吐露し、胃ろうの中止を願い出ました。
「楽にしてあげたい。首を締めようかと思った、一瞬」
女性の訴えを受けて、在宅医は医師仲間に相談をします。ガイドラインにより主治医の判断で胃ろうの中止はできるのですが、それは法的に定められたものではありませんでした。
「ガイドラインは結局は指標、指標は法じゃないから怖い」「はたして世の中は受け入れるのか」
家族や在宅医、ヘルパー事業者などを集めた話し合いが持たれました。そこでも、女性は苦しい胸の内を吐露します。
「人間のやる行為ではないとはわかっていても、私はそれをやらざるを得ない、見ていられない」
長きにわたり苦しい中での介護を続けていた女性の思いを受ける形で、胃ろうの中止が決まりました。しかし、胃ろうの中止を前にして、母親は風邪により亡くなりました。
女性がつらそうに振り返ります。
「私が早まったことをしないように、母が自分で引き際を考えてこうなったのでは•••」
両親の介護を続けていた女性。実家で介護していた父親の体力は落ちていく一方でした。
「自信はない部分もあるけど、何とかなる、何とかしたい」。看取りをする決心を固めた女性は、少しでも長く父親のそばにいたいと、実家に泊まり込んで介護を続けていました。
もし入院している母親が一時帰宅できたら会いたいか、と女性に問われた父親は、やっとの思いで会いたいと言い、続けてこう口にしたのです。
「看護••••••」
妻の身をずっと案じ続け、入院する前には自身で妻の看護をしていた父親は、今はそれをすることができないから•••というのです。
「そんなことを考えてるとは思わなかった•••」と言い、涙ぐむ女性。
その数時間後、父親は急に呼吸が弱くなり、そのまま息を引き取りました。
「(亡くなるとき)ありがとうって言ってくれたの。それだけでも嬉しい•••」という女性。それから1ヶ月後、入院していた母親も亡くなりました。
女性が振り返ります。
「両親をちゃんと見送ることができた充実感はあるけれど、本当にこれで良かったのかな、という思いもある」
できれば考えたくはないことなのですが、自分の親もいつかは最後の時を迎えることになります。その時、自分はどう考えて、どのような選択をすべきなのか。その時にならなければわかりませんし、想像することも難しいのですが、登場した家族それぞれの思いと苦悩は、切実なものとして伝わってきました。
その時を迎えるための心構えを、少しずつでも自分の中につくっていかなければならないのだろうな、という思いを持ちました。
同時に、看取りを病院から在宅へ、という国の方針転換は、あまりにも急過ぎるのではないか、という思いもしました。
昨今の医療をめぐる状況を考えれば、ある程度の合理化は止むを得ないことかもしれません。しかし急ぐべきは、在宅で家族を介護し、その最後を看取る人たちをサポートする制度や仕組みづくりなのではないか。そう強く思いました。
重い問いが心に残ったドキュメントでありました。
病院で半年、老健で5ヶ月過ごして終のすみかの特養に向かいました。特養に入りしばらくは良かったのに昨年6月に頭の左側から大量の内出血で口から舌を出し意識不明。私にそろそろ看取りの用意するとの話しがありました。一日200ccのブドウ糖の点滴が一本だけ。母は口から食べ物が一切取れずあのままでは暗黙の餓死を待つだけでした。倒れて10日くらい過ぎたその日特養の指導員に提携病院への胃瘻を頼み、これで駄目なら覚悟をしますと頼み無事に胃瘻が入りました。
その胃瘻も半年で駄目になり昨年末の12日22日午前9時15分永眠しました。
この番組観て二親を介護した番組の最後に遺骨二つ並べて娘さんの頑張りに涙が母の時と重なって悲しく思えました
人は産まれた瞬間死に向かって歩いて行きます
番組に登場していた、二人の親御さんを看取った女性には胸が詰まりました。覚悟はしていたとしても、その時の苦しさ辛さはいかばかりか、と思うばかりです。とんとんさんも、さぞかしお辛かったとお察しいたします。もちろん悲しみは消えないとしても、少しずつでも気持ちが安らいでいくことを願っております。
わたくしも、いつかは親を看取らなければならない時がきます。そのときにどのように臨めばいいのかを、この番組と、とんとんさんのお話から考えさせていただきました。
とんとんさん、重ねて感謝申し上げます。そして、お母さまのご冥福を心より願いたいと思います。