日本写真協会によって「写真の日」に制定されている6月1日。その同じ日に、宮崎で活動している写真家たちが集って「宮崎県写真家協会」が発足しました。1989(平成元)年のことでした。
その翌年である1990年、宮崎県写真家協会は6月1日の24時間の宮崎を写真で記録し、後世に伝えていこうというイベントを開催します。協会の呼びかけのもと、プロアマ問わず多くのカメラマンから、さまざまな宮崎の6月1日を記録した写真が寄せられ、それらは写真集として刊行されました。6月1日24時間の宮崎を21世紀まで記録し続けるという意味を込めて「264時間の宮崎」と名づけられたそのイベントは、2000年まで毎年6月1日に開催され、ひとまずの幕を降ろすことになります。
11年間にわたった「264時間の宮崎」で撮影された膨大な写真から選ばれた、約2000点の作品を一堂に展示した「264時間の宮崎 写真展」が、先週7月26日から30日の5日間、宮崎県立美術館で開催されました。わたしも最終日の30日に鑑賞してきました。
「264時間の宮崎」について早い時期から知り、初年度にまとめられた写真集も手元に持っているわたしでしたが、11年間の写真を通して見るのは今回がはじめてでした。
モデルさんを立てて撮影するなどの趣向を凝らした作品もわずかながらあったものの、そのほとんどは宮崎県内各地のなにげない風景と、そこに生きる人びとを淡々と捉えたフィルム撮影のモノクロ写真。それらには、もう失われてしまった懐かしい風景や、新しいスポットが生まれつつある過程など、21世紀を目前に控えて変わっていった宮崎の風景がつぶさに記録されていて、興味の尽きないものがありました。
まだ中心街にあった頃に馴染みだった映画館。青果業者らが繁華街の一角に集まって露店を開いていた通称「青空市場」と、その近くにあった商店街のレトロチックなアーケード。デパート前の歩道にいた靴磨きのおじいさん・・・。それらの、もう失われてしまった宮崎市内の光景を映し出した写真には懐かしさとともに、哀切さをともなった感慨がしきりに湧いてきました。
その一方で、いまの宮崎市を形づくっているスポットの数々が、1993年前後にかけて生み出されていく過程も記録されておりました。宮崎駅の新しい駅舎とその前後の高架化。リゾート施設シーガイア。宮崎公立大学や県立芸術劇場といった文教施設。宮崎銀行や宮崎観光ホテルの新館・・・。21世紀を目前にして、いろいろなものが一気に生み出されていたんだなあ、ということをあらためて知り、また違った感慨が湧いてまいりました。
変わりゆく風景の中でも変わることのない、そこに生きる人びとそれぞれのいとなみも、写真は生き生きと捉えていました。笑顔あふれる子どもたち、黙々と日々の仕事に励む人びと、飲食店で談笑する人びと、穏やかな表情のお年寄り、そして生まれてまもない赤ちゃんの寝顔・・・。
いつもは見過ごしがちな、自分の住む地域の日常の光景と人びとのいとなみ。それらを継続的に記録し続けたことによって、これらの写真はいまの目で見ると実に貴重な資料ともなっているということを、大いに実感いたしました。それとともに、フィルムによって撮影された写真が持つ、なんともいえない味わい深さも、存分に堪能することができました。
当時の撮影に使われていたフィルムカメラや、撮影された写真のチェックや現像に使われていた機材も展示されておりました。写真の機材についてはよく知らないわたしではありますが、これらのカメラや機材にもまた、なんともいえない味わいを感じました。
会場では、「264時間の宮崎」をリニューアルして3年前から始まった「photo264miyazaki」で撮影された「今」の宮崎を捉えたカラー写真も、あわせて展示されておりました。それらからは、撮影した写真家(「264時間の宮崎」にも参加された数名を含む)それぞれの視点や個性が感じられて、また違った意味で楽しめました。中には、360度パノラマ写真という「今」ならではのものも。
現在は写真家として活躍している、高校時代からのわたしの友人も、なかなか素敵な作品を寄せていたのが嬉しいところでした。
会場では、「264時間の宮崎」が始まってから5年目に至るまでの歩みを辿った、地元テレビ局MRT(宮崎放送)製作のドキュメンタリー番組も上映されておりました。
それによれば、「264時間の宮崎」の歩みは決して順風満帆だったわけではなかったようです。作品が思うように集まらなかったり、初年度には発行できた写真集もその後は刊行できずじまいだったり・・・。それを乗り越えて継続していったことで、21世紀を目前にした宮崎の生きた記録がしっかりと残されたということに、静かな感銘を覚えました。
関係者の方々の努力と志に、大いに拍手を贈りたい思いがいたしました。
それから20年足らずが経った現在。デジカメや携帯電話、スマートフォン、タブレットといったデジタル機器の普及で、誰もが簡単に写真を撮り、コミュニケーション手段として共有することができるようになっています。
「264時間の宮崎」をリニューアルした「photo264miyazaki」では、Facebookに設けられたページや特設サイトを通じて、プロの写真家だけではなく一般の方々にも広く呼びかけが行われ、多くの写真が投稿されていました。
(実はわたしも、上記の写真家の友人に誘われて初年度の2015年から参加していて、拙いながらもスマホやタブレットで撮った写真を投稿させていただきました。初年度に参加したときのことについては、拙ブログに記事としてまとめております。→「なにげない街の風景や人びとの写真で記録する『24時間の宮崎』。 ~『写真の日』のイベントに参加して~」)
「photo264miyazaki」のFacebookページや特設サイトにもまた、「今」だからこそ捉えることができた宮崎のなにげない風景と、人びとの息づかいが感じられる写真が溢れておりました。
撮影機材がフィルムからデジタルに変わろうとも、なにげない日常の風景といとなみを記録し、後世に伝えることの意味が変わることはないでしょう。「264時間の宮崎」が育んできたものが、デジタル機器の普及を得て再び芽吹き、さらに裾野を広げようとしているということにもまた、感慨を覚えます。
これからさらに、写真による生きた宮崎の記録が積み上げられ、未来へと繋がっていくことを楽しみにしたいと思います。
「264時間の宮崎」を集大成した写真集、いつの日か出るといいなあ。
その翌年である1990年、宮崎県写真家協会は6月1日の24時間の宮崎を写真で記録し、後世に伝えていこうというイベントを開催します。協会の呼びかけのもと、プロアマ問わず多くのカメラマンから、さまざまな宮崎の6月1日を記録した写真が寄せられ、それらは写真集として刊行されました。6月1日24時間の宮崎を21世紀まで記録し続けるという意味を込めて「264時間の宮崎」と名づけられたそのイベントは、2000年まで毎年6月1日に開催され、ひとまずの幕を降ろすことになります。
11年間にわたった「264時間の宮崎」で撮影された膨大な写真から選ばれた、約2000点の作品を一堂に展示した「264時間の宮崎 写真展」が、先週7月26日から30日の5日間、宮崎県立美術館で開催されました。わたしも最終日の30日に鑑賞してきました。
「264時間の宮崎」について早い時期から知り、初年度にまとめられた写真集も手元に持っているわたしでしたが、11年間の写真を通して見るのは今回がはじめてでした。
モデルさんを立てて撮影するなどの趣向を凝らした作品もわずかながらあったものの、そのほとんどは宮崎県内各地のなにげない風景と、そこに生きる人びとを淡々と捉えたフィルム撮影のモノクロ写真。それらには、もう失われてしまった懐かしい風景や、新しいスポットが生まれつつある過程など、21世紀を目前に控えて変わっていった宮崎の風景がつぶさに記録されていて、興味の尽きないものがありました。
まだ中心街にあった頃に馴染みだった映画館。青果業者らが繁華街の一角に集まって露店を開いていた通称「青空市場」と、その近くにあった商店街のレトロチックなアーケード。デパート前の歩道にいた靴磨きのおじいさん・・・。それらの、もう失われてしまった宮崎市内の光景を映し出した写真には懐かしさとともに、哀切さをともなった感慨がしきりに湧いてきました。
その一方で、いまの宮崎市を形づくっているスポットの数々が、1993年前後にかけて生み出されていく過程も記録されておりました。宮崎駅の新しい駅舎とその前後の高架化。リゾート施設シーガイア。宮崎公立大学や県立芸術劇場といった文教施設。宮崎銀行や宮崎観光ホテルの新館・・・。21世紀を目前にして、いろいろなものが一気に生み出されていたんだなあ、ということをあらためて知り、また違った感慨が湧いてまいりました。
変わりゆく風景の中でも変わることのない、そこに生きる人びとそれぞれのいとなみも、写真は生き生きと捉えていました。笑顔あふれる子どもたち、黙々と日々の仕事に励む人びと、飲食店で談笑する人びと、穏やかな表情のお年寄り、そして生まれてまもない赤ちゃんの寝顔・・・。
いつもは見過ごしがちな、自分の住む地域の日常の光景と人びとのいとなみ。それらを継続的に記録し続けたことによって、これらの写真はいまの目で見ると実に貴重な資料ともなっているということを、大いに実感いたしました。それとともに、フィルムによって撮影された写真が持つ、なんともいえない味わい深さも、存分に堪能することができました。
当時の撮影に使われていたフィルムカメラや、撮影された写真のチェックや現像に使われていた機材も展示されておりました。写真の機材についてはよく知らないわたしではありますが、これらのカメラや機材にもまた、なんともいえない味わいを感じました。
会場では、「264時間の宮崎」をリニューアルして3年前から始まった「photo264miyazaki」で撮影された「今」の宮崎を捉えたカラー写真も、あわせて展示されておりました。それらからは、撮影した写真家(「264時間の宮崎」にも参加された数名を含む)それぞれの視点や個性が感じられて、また違った意味で楽しめました。中には、360度パノラマ写真という「今」ならではのものも。
現在は写真家として活躍している、高校時代からのわたしの友人も、なかなか素敵な作品を寄せていたのが嬉しいところでした。
会場では、「264時間の宮崎」が始まってから5年目に至るまでの歩みを辿った、地元テレビ局MRT(宮崎放送)製作のドキュメンタリー番組も上映されておりました。
それによれば、「264時間の宮崎」の歩みは決して順風満帆だったわけではなかったようです。作品が思うように集まらなかったり、初年度には発行できた写真集もその後は刊行できずじまいだったり・・・。それを乗り越えて継続していったことで、21世紀を目前にした宮崎の生きた記録がしっかりと残されたということに、静かな感銘を覚えました。
関係者の方々の努力と志に、大いに拍手を贈りたい思いがいたしました。
それから20年足らずが経った現在。デジカメや携帯電話、スマートフォン、タブレットといったデジタル機器の普及で、誰もが簡単に写真を撮り、コミュニケーション手段として共有することができるようになっています。
「264時間の宮崎」をリニューアルした「photo264miyazaki」では、Facebookに設けられたページや特設サイトを通じて、プロの写真家だけではなく一般の方々にも広く呼びかけが行われ、多くの写真が投稿されていました。
(実はわたしも、上記の写真家の友人に誘われて初年度の2015年から参加していて、拙いながらもスマホやタブレットで撮った写真を投稿させていただきました。初年度に参加したときのことについては、拙ブログに記事としてまとめております。→「なにげない街の風景や人びとの写真で記録する『24時間の宮崎』。 ~『写真の日』のイベントに参加して~」)
「photo264miyazaki」のFacebookページや特設サイトにもまた、「今」だからこそ捉えることができた宮崎のなにげない風景と、人びとの息づかいが感じられる写真が溢れておりました。
撮影機材がフィルムからデジタルに変わろうとも、なにげない日常の風景といとなみを記録し、後世に伝えることの意味が変わることはないでしょう。「264時間の宮崎」が育んできたものが、デジタル機器の普及を得て再び芽吹き、さらに裾野を広げようとしているということにもまた、感慨を覚えます。
これからさらに、写真による生きた宮崎の記録が積み上げられ、未来へと繋がっていくことを楽しみにしたいと思います。
「264時間の宮崎」を集大成した写真集、いつの日か出るといいなあ。
旅のお噂のほうは・・・次はおそらく10月あたりになりそうです。1年ぶりに熊本へ出かけて、震災から2年が過ぎた熊本の「いま」を見届けてこようと思っております。といいつつ、理屈どうこうよりも、熊本の豊かな文化や美味しいもの、そして素敵な人たちと再会したい!ということなんですけど。
最初に立ち上げた方がずっとそのままということも難しいものです。でも仲間がいてその意思を繋いで、形にできるというのは本当に素晴らしいです。こうした企画が実を結び、新たな潮流になっていくことが今の日本には必要なんじゃないのかって思えました。
いつも、わたしにハッとするものを見せてくれる閑古堂さんに感謝です。旅話も大好きですよ♪