しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

岡山県の特殊接待婦

2015年02月12日 | 昭和20年(戦後)

下記は岡山県史「敗戦直後の政治」の記述

いわゆる特殊接待婦については「岡山県特殊娯楽協会」を設立し、東西の中島遊郭に90室の専用応急施設を造り10月25日に開業した。

また岡山劇場・三井物産・日赤の建物をダンスホールに改造、一般公募100人にダンスの講習を行い、阪神方面から移入した100人とともにダンスホールに配置、10月25日開場した。

「握手は求められた時だけに止めよ」「毅然たる態度を保持せよ」等々注意事項が多かった。
日本軍の非行になぞられての噂が広がり、一層国民の不安をかきたてていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧軍物資

2014年12月15日 | 昭和20年(戦後)
「旧軍物資は膨大な数量に達していた。冬衣422万着、夏衣377万着、その他、軍靴、食料など。
正規なルートで放出されたのはその一部で、大部分は横流しされ、ヤミ市へ回った。」
研秀「昭和史」より

父の話

軍隊には帳簿上処分されたことになっている(簿外の)品物が多くあり、持ち帰れないので
賀山の兄貴と岩倉の兄貴にも声をかけたら自転車に乗って取りに来た。

軍靴・服を出してやったらみな持って帰った、よろこんで毛布・コートなども持って帰った。軍隊の生地はよかった。自転車に積めるだけ積んで。
ぶら下げて。(その格好が面白かったのか、笑いながら)

軍の物は焼けた事になっていた。
あの時分は何んも無かったんじゃけいのう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奉安殿・御真影・二宮金次郎像の撤去

2014年12月10日 | 昭和20年(戦後)
岡山県史
奉安殿・御真影・忠霊塔・忠魂碑・二宮金次郎像・和気清麻呂などの胸像撤去も実に厳しく行われた。
撤去の程度は、置地の形跡を留めない状態になること。

笠岡市史4巻
御真影は、
「昭和21年1月11日に城見国民学校他4校が御真影を地方事務所に奉還した」、
奉安殿では、
「笠岡女子国民学校が21年8月27日に奉安殿と学校神社、新山国民学校は21年10月10日撤去。」
教育勅語は
「笠岡東小が昭和23年8月24日返還」となっている。

城見小学校の奉安殿と金次郎像の撤去年月は記録が残されていないが、昭和23年末までには撤去されたと思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする