死んだ子
オオバコの娘
宮ノ崎の畑にはイチジクや薩摩芋を植えていた。
ときどき畑に遊びに行った。
隣の畑にも、同じ年の女の子が遊びに来ていた。
堂面川が流れ、その川に笹の葉で船を作って浮かばせて、どちらの船が遠くまで流れるか競争していた。
道にオオバコが生えていた。
オオバコの茎を交わらせて切れるまで勝負した。
その子とそうやって遊んでいたが、
遊んでいた3日後位に、突然伝染病で亡くなった。
その親は「畑でナスビを食べたのが悪かった」と話したそうだが、
ナスビをかじっているのを何度も見たことがある、
おいしいのでなくて、しかたなく空腹に物を通しているように思っていた。
その女の子の名は、どうしても思い出せない。
戦争未亡人の子
近所で親類でもある家に二人姉妹がいて、その姉妹は私の姉の年齢と上下ひとつ違いの良い遊び相手だった。
ときおり、姉の後ろをついて遊びに行っていた。
その家のえんだ(濡れ縁)には少女雑誌が一冊あって、グラビアに美空ひばりの映画「娘船頭さん」の写真が載っていた。
その二人姉妹のお姉さんの方が、赤痢にかかってあっけなく死んだ。
そして10余年後に妹さんに縁談があった。
お相手の男性が「お母さんを大切に」と言った瞬間に、その男性と結婚することを即決したそうだ。
そしてまた30年たち、40年たち、そのお母さんは老いていったが娘夫婦の愛情と、遺族年金のおかげで、長く大切にされ、幸せに暮らしたそうだ。
亡くなった少女は「くにちゃん」と呼んでいた。
”娘船頭さん”を何かで見る度に、その戦争遺族の子とお母さんを思い出す。
お腹がいたくなって死んだ子
小学校の一年生か二年生の時、茂平の同級生の子(女性)が死んだ。
同級の生徒全員と先生とで歩いて葬式に行った。
その日か、後の日か
先生がクラス全員に鉛筆を一本ずつ配った。
亡くなった家からだそうで、
亡くなったのは
「お腹がいたいゆうので、寝とけぇ」と子に言ったら、
その子は布団の中に寝ていた。
そして、そのまま亡くなったそうだ。
子供心に気の毒と思ったが、
あの頃は、不思議でも何でもない出来事だった。
オオバコの娘
宮ノ崎の畑にはイチジクや薩摩芋を植えていた。
ときどき畑に遊びに行った。
隣の畑にも、同じ年の女の子が遊びに来ていた。
堂面川が流れ、その川に笹の葉で船を作って浮かばせて、どちらの船が遠くまで流れるか競争していた。
道にオオバコが生えていた。
オオバコの茎を交わらせて切れるまで勝負した。
その子とそうやって遊んでいたが、
遊んでいた3日後位に、突然伝染病で亡くなった。
その親は「畑でナスビを食べたのが悪かった」と話したそうだが、
ナスビをかじっているのを何度も見たことがある、
おいしいのでなくて、しかたなく空腹に物を通しているように思っていた。
その女の子の名は、どうしても思い出せない。
戦争未亡人の子
近所で親類でもある家に二人姉妹がいて、その姉妹は私の姉の年齢と上下ひとつ違いの良い遊び相手だった。
ときおり、姉の後ろをついて遊びに行っていた。
その家のえんだ(濡れ縁)には少女雑誌が一冊あって、グラビアに美空ひばりの映画「娘船頭さん」の写真が載っていた。
その二人姉妹のお姉さんの方が、赤痢にかかってあっけなく死んだ。
そして10余年後に妹さんに縁談があった。
お相手の男性が「お母さんを大切に」と言った瞬間に、その男性と結婚することを即決したそうだ。
そしてまた30年たち、40年たち、そのお母さんは老いていったが娘夫婦の愛情と、遺族年金のおかげで、長く大切にされ、幸せに暮らしたそうだ。
亡くなった少女は「くにちゃん」と呼んでいた。
”娘船頭さん”を何かで見る度に、その戦争遺族の子とお母さんを思い出す。
お腹がいたくなって死んだ子
小学校の一年生か二年生の時、茂平の同級生の子(女性)が死んだ。
同級の生徒全員と先生とで歩いて葬式に行った。
その日か、後の日か
先生がクラス全員に鉛筆を一本ずつ配った。
亡くなった家からだそうで、
亡くなったのは
「お腹がいたいゆうので、寝とけぇ」と子に言ったら、
その子は布団の中に寝ていた。
そして、そのまま亡くなったそうだ。
子供心に気の毒と思ったが、
あの頃は、不思議でも何でもない出来事だった。