よその町へ行くことはほとんどないので知らないが、「大門~笠岡」間の道はいちばん悪い、という話はよく聞いていた。
たしかに道は狭く、路面はでこぼこだった。
しかし、いちおうバスが通れる幅はあった。
・・・・・・・
国道二号線の工事が始まった。
城見地区では、大冝と用之江のうち、茂平入口から県境までが既存のバス道とかぶったが、それ以外は田んぼや山を掘ったり,盛ったり、崩したりした新しい道づくりだった。
小学校には、その新国道工事を横断しないと行けなかった。
工事には「ショベルカー」と呼ばれる見た事もない大きな移動式の機械が一台か二台使われていた。
学校への行き返り、立ちどまり、ショベルカーの動きを見るのが日課だった。
土木作業員の宿舎が林の中で、半分崩れかけていた、旧隔離病棟が使われた。
そこには家族持ちも入居し、幼い子供たちが遊んでいた。
幼児たちは買ってもらったオモチャの刀を腰に下げていた。
その頃の茂平の子供は、棒切れを刀にして遊んでいた。
宿舎の子供の刀を見ながら、うらやましいような、またうらやましくないような気になりながら家に帰っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山陽新幹線や山陽道の工事では、用地買収で成金と呼ばれるほどの地主が何人もでたが
古い事とは言え、新国道の工事では、その類の話を聞いたことが無い。
まだ日本は貧しかったから、安い売買だったのだろうな。
たしかに道は狭く、路面はでこぼこだった。
しかし、いちおうバスが通れる幅はあった。
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国道二号線の工事が始まった。
城見地区では、大冝と用之江のうち、茂平入口から県境までが既存のバス道とかぶったが、それ以外は田んぼや山を掘ったり,盛ったり、崩したりした新しい道づくりだった。
小学校には、その新国道工事を横断しないと行けなかった。
工事には「ショベルカー」と呼ばれる見た事もない大きな移動式の機械が一台か二台使われていた。
学校への行き返り、立ちどまり、ショベルカーの動きを見るのが日課だった。
土木作業員の宿舎が林の中で、半分崩れかけていた、旧隔離病棟が使われた。
そこには家族持ちも入居し、幼い子供たちが遊んでいた。
幼児たちは買ってもらったオモチャの刀を腰に下げていた。
その頃の茂平の子供は、棒切れを刀にして遊んでいた。
宿舎の子供の刀を見ながら、うらやましいような、またうらやましくないような気になりながら家に帰っていた。
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山陽新幹線や山陽道の工事では、用地買収で成金と呼ばれるほどの地主が何人もでたが
古い事とは言え、新国道の工事では、その類の話を聞いたことが無い。
まだ日本は貧しかったから、安い売買だったのだろうな。