しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

もらい乳

2017年04月02日 | 父の話
父の話・談・2001.4.22


もらい乳

(三橋美智也の名曲に「男涙の子守歌」がある。
(詩吟「棄児行」入り)
♪木枯し寒く 夜は更けて 月はさゆれど・・・声も涙の 貰い乳

母は戦時中、近所の子に乳を飲ませた話をよくしていた。)

子供が生まれてあまり出ない人は、粉や牛乳みたいなのを買ぅて、温めて飲ましょうた。
たまに、他人からももらようた。近所の人からじゃ。

(お乳の出が少ない人は、自分・買う・貰うの三本立てだったようだ)


学校の軍人
(宇垣軍縮で余剰軍人を中等教育機関に配置したが、小学校に軍人はいなかったのだろうか?)
退役の軍人が・・・在郷軍人会が、青年団を教えるために来ょうた。
おじいちゃん(父のこと)も来てくれぃ、言われて行ったことがある。
号令やオイッチニをやりょうた。
軍人として心構えや「右向け右」という動作の統一性を教ょうた。

学校出て野戦にいかず帰っていた人を、毎月1~2度集めて訓練しとった。
終戦までそれは続いた。


学校のストーブ
(管理人の城見小学校の時代、教員室に達磨ストーブがあったが、それは戦前もか?)

そうじゃ。
戦前も終戦後も石炭ストーブじゃ。学校用に石炭を送ってもらようた。


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神仏分離②寺の廃絶

2017年04月02日 | 江戸~明治
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「神仏分離と倉敷」より転記
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寺の廃絶
全国で最も多くの寺院が取壊されたのは宮崎県です。末寺を加えると一千とされます。
伊勢地方では196ヶ寺が廃寺となりました。
伊勢神宮があるため、天皇の伊勢参拝のとき、不浄な寺が目に入るのを嫌ってのこととされます。

仏像、仏具の廃棄
仏像、仏具、仏画を焼くか二束三文で売り飛ばすことでした。
奈良の興福寺五重塔は焼かれるところでしたが、その火が町に延焼するから中止されました。
仏像仏具は持っていると罪になるとして、誰も買わず外国人が信じられない安さで買っていきました。
京都の四条大橋
明治7年に竣工しました。これは京都の寺院の
仏具を再利用して完成しました。

僧侶への弾圧
明治3年、玉島の清瀧寺が羽黒神社を分離させられ、住職が還俗されられました。
国東半島にある富貴寺では僧侶を皆殺しにして埋めました。



新たに選ばれた「神」

神話に出て来る人物や天皇、功臣を「神」として、それ以外を非としたのです。
全国で現在祀られている神社の祭神は、そのほとんどは明治初年に替えられてしまっています。

明治末期の合祀令
経費節減等で全国で約七万社の神社が合祀か廃止されたということです。
人々が勝手に神仏を祀ることを禁じたのです。

神仏分離・廃仏毀釈の程度は地域差がある。
徹底的に行われた地域は、鹿児島、宮崎、水戸、佐渡、富山、信州などで、皇統や神話と関係ある各地。
皇統=神を汚すものとして「仏」や寺を潰そうとした。

維新の変革までは、鎮守の圧倒的多数は神仏混淆であった。
おおおよその村鎮守には(神職がいなく)、僧侶や修験者(山伏)が別当職として勤務し、日常の管理を村役人や百姓中がおこなっていた。

神という範囲は広く神仏は区分が困難でした。
鳥居があるのが「神社」であるのは明治になってから。
現在神道の様式として神社で行われている祭祀方法、しきたり、作法は殆どすべてが陰陽道のそれを借りたものです。


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