しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

12月29日の餅つき

2017年04月03日 | 父の話
父の話・談・2000年7月17日
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12月29日の餅つき
30日につくことが多かった。
悪い日(と言われる29日)はなるべく避けた方がいいじゃろう程度。
家々の都合で29日に搗くのはあった。
朝、早ぅから搗いて10時ごろには終わりょうた。


歳末の火の用心
(管理人が学生の頃、茂平では歳末に消防団がガラガラと音をたてて行進していた)
木を打って「火の用心」ゆうて歩きょうたんじゃが、
一杯飲んでから歩くんで、カンカンを引いたりして、眠気覚ましも兼ねて、鳴らして歩いて回りょうた。
昔は焚き物をしょうたけど、今はガスじゃ。煙突から火もでん。


祭りの前の道路補修
神輿が通る道を直しょうた。
舗装した道になったんで、することがぼっこうねぇ。
お宮のあがりこぐち、夜灯さん。
お船様が通るので綺麗にしておこうゆうことでしょうた。



人糞以外にも買ようた。鰊カスも買ようた。


予防
正月前まで乳剤をかきょうた。
手押しポンプで病気や虫がこんようにかけ,
桃やこは特に。
トウガキは切って白いのを塗りょうた、今は薬で虫がこんようになった。
トウガキは虫がフンして木が枯りょうた。今は枯れんようになった。えらいもんじゃ。
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城見小学校の小使いさん

2017年04月03日 | 父の話
父の話・談・2001.4.22

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城見小学校の小使いさん
(管理人が小学生当時、城見小に小使いさんはいなかった)
城見小にもおったんじゃ。
役場の仕事と兼務しておった。
大江でもそうじゃった。


宿直(当直)
(父が大江村が勤務地当時)小学校と役場はひっちいとった。
退屈なので晩の11時ごろまで話をして、それから、ちょっと回ってみて寝ょうた。
役場はこまいが、学校は広いので一巡するんもたいへんじゃ。

代用教員
(管理人が小学生当時「代用教員」と呼ばれる先生が何人かいた)
(旧制)中学校だけでて、教える要領のいいのが成りょうた。
戦後だけでなく、戦時中に先生が足りんので師範をでてのうても成りょうた。
時々集めて、教え方の勉強会をさせて、(教え方の勉強を)しょうた。


神戸船(こうべせん)
船の中へ人糞を積んで港へ来とった。
たごえ汲んで新涯の畑の壺へはねうつしょうた。
腐ったら畑へ使ようた。
(果物や野菜で合うものと合わないものはあったか?)
だいたい、みな合ようた。
イチジクは特に合ようたのう。

城見小の先生
(管理人当時の先生は徒歩または自転車で自宅から通勤だった。
記憶では城見村・金浦町・大井村・陶山村・大津野村。それ以外はなし)
近い所からつけておけい、ゆうことじゃった。


エンジン付き自転車
大江に行く時にゃあエンジンがついとった。
茂平や陶山の山をようよろ上がりょうた。
楽じゃった。


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