明治維新でお城は政府・兵部省の所有となり、明治5年に陸・海軍省発足で陸軍省が所有となり、翌明治6年に軍の使用予定がない城は廃城令が出た。
廃城令が出た城は財務省が管理し、学校・役所等使用で売却することになった。
中国四国では、津山城・福山城・三原城・萩城・今治城・高知城などが廃城となった。
「日本の城1000城」西東社 2012年発行より転記。
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軍隊が置かれた城
明治4年(1871)4月、2鎮台が置かれた。同年8月東京・大阪・鎮西・東北と4に増える。
鎮台は国内治安向けの歩兵主力の軍隊で、本営4ケ所、分営8ヶ所が、旧城内に置かれた。この時、仙台城・大坂城・小倉城にそれぞれ鎮台が置かれた。
そして弘前城・佐倉城・上田城・名古屋城・小浜城・高松城・広島城・鹿児島城に分営が設置された。
明治5年、兵部省が廃止され、陸軍省と海軍省が設置される。城郭の管理は兵部省から陸軍に変わった。
明治6年に鎮台が4から6に増えた。鎮台を含む営所はこの時14ヶ所、将来は41に増やす計画であった。
そしてのために必要になる旧城郭以外の城はすべて廃城となっている。
これにより存城とされたのが、
二条城・大坂城・津城・名古屋城・豊橋城・静岡城・山梨城・小田原城・江戸城・彦根城・高崎城・宇都宮城・若松城・仙台城・盛岡城・山形城・秋田城・福井城・金沢城・新発田城・陸前高田城・鳥取城・松江城・姫路城・岡山城・広島城・山口城・和歌山城・徳島城・丸亀城・高松城・松山城・宇和島城・福岡城・小倉城・熊本城・飫肥城・鹿児島城・厳原城・首里城であった。
しかし山口城のように存城がいったん決まったものの、その後廃城令が出た城もある。
存城が決まっととはいえ、城は軍隊を駐在させるための場所であった。
城内の建物は必要がないとされた建物は壊された。
残された建物の多くも使い勝手がよいように改修されてしまったものが多かった。
廃城令が出た城は財務省が管理し、学校・役所等使用で売却することになった。
中国四国では、津山城・福山城・三原城・萩城・今治城・高知城などが廃城となった。
「日本の城1000城」西東社 2012年発行より転記。
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軍隊が置かれた城
明治4年(1871)4月、2鎮台が置かれた。同年8月東京・大阪・鎮西・東北と4に増える。
鎮台は国内治安向けの歩兵主力の軍隊で、本営4ケ所、分営8ヶ所が、旧城内に置かれた。この時、仙台城・大坂城・小倉城にそれぞれ鎮台が置かれた。
そして弘前城・佐倉城・上田城・名古屋城・小浜城・高松城・広島城・鹿児島城に分営が設置された。
明治5年、兵部省が廃止され、陸軍省と海軍省が設置される。城郭の管理は兵部省から陸軍に変わった。
明治6年に鎮台が4から6に増えた。鎮台を含む営所はこの時14ヶ所、将来は41に増やす計画であった。
そしてのために必要になる旧城郭以外の城はすべて廃城となっている。
これにより存城とされたのが、
二条城・大坂城・津城・名古屋城・豊橋城・静岡城・山梨城・小田原城・江戸城・彦根城・高崎城・宇都宮城・若松城・仙台城・盛岡城・山形城・秋田城・福井城・金沢城・新発田城・陸前高田城・鳥取城・松江城・姫路城・岡山城・広島城・山口城・和歌山城・徳島城・丸亀城・高松城・松山城・宇和島城・福岡城・小倉城・熊本城・飫肥城・鹿児島城・厳原城・首里城であった。
しかし山口城のように存城がいったん決まったものの、その後廃城令が出た城もある。
存城が決まっととはいえ、城は軍隊を駐在させるための場所であった。
城内の建物は必要がないとされた建物は壊された。
残された建物の多くも使い勝手がよいように改修されてしまったものが多かった。