明治時代に鉄道が通るまでの日本は、人も物も、道路でなく川や海を船で移動するのが主だった。
大門~笠岡間の”七隠れ”と呼ばる道は、そのことを証明している。
(古道・七隠れ)
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「大津野のあゆみ」 平成15年 大門町誌編集委員会より転記
大門駅の設置以前から既に引野から大門を経て笠岡に至る道は通じていたが、明治8年に道路の幅員が1間から2間に拡張され、荷車や人力車の通交を便利にした。
大正に入ると「大正記念事業」として、内務省から各県郡村道の改修を施すことが指令され、福山から大門を経て笠岡に通じる道路が改修整備された。
大正11年8月に「道路法」が設置され、大門駅前を通る道路は県道となった。
更に、昭和4年には県道福山~笠岡間は第二国道に昇格している。
1920年(大正9年)旧国道2号線が大門を貫通する。以前は日和峠~横道~七隠が本村の一等道。大正15年から一部国道となる。
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「野々浜むかし語り」1991年野々浜公民館発行
笠岡に行く道は、大正ごろに改修されて今の国道筋を通るようになった。
しかしそれ以前は七隠れと呼ばれる悪路だった。
大門~笠岡間の”七隠れ”と呼ばる道は、そのことを証明している。
(古道・七隠れ)
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「大津野のあゆみ」 平成15年 大門町誌編集委員会より転記
大門駅の設置以前から既に引野から大門を経て笠岡に至る道は通じていたが、明治8年に道路の幅員が1間から2間に拡張され、荷車や人力車の通交を便利にした。
大正に入ると「大正記念事業」として、内務省から各県郡村道の改修を施すことが指令され、福山から大門を経て笠岡に通じる道路が改修整備された。
大正11年8月に「道路法」が設置され、大門駅前を通る道路は県道となった。
更に、昭和4年には県道福山~笠岡間は第二国道に昇格している。
1920年(大正9年)旧国道2号線が大門を貫通する。以前は日和峠~横道~七隠が本村の一等道。大正15年から一部国道となる。
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「野々浜むかし語り」1991年野々浜公民館発行
笠岡に行く道は、大正ごろに改修されて今の国道筋を通るようになった。
しかしそれ以前は七隠れと呼ばれる悪路だった。