しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

東京オリンピック返上

2020年03月26日 | 昭和11年~15年
東京オリンピック返上

2020東京五輪は1年延期になった。
82年前に、東京五輪は中止になっている。

今思えば、宇垣外相の意見は当然だが、当時はたいへんな決断だったろう。
その時父は、徐州から(新型コロナウイルスの)武漢へ進軍していた。


それと一言、
82年前の河野一郎さんから、現在の太郎大臣まで、事実上の世襲がつづくことが、現在の国会議員の劣化を証明している。
こうゆう事態が不可能になるような”憲法改正”なら、憲法改正に賛成する。

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「昭和史4・大陸の戦火」平成7年 研秀出版 

東京オリンピック返上

昭和13年7月15日、日本政府は、
昭和15年東京で開催予定の万国博覧会の延期と、第12回オリンピック大会の中止返上を発表した。
理由は、「何年かかるかわからん戦争をやっているのに、万博やオリンピックでもなかろう」(宇垣外相談)ということだった。
昭和11年7月ヘルシンキと決選投票となり、ベルリンオリンピック開催式の前日、ベルリンでのIOC総会で投票が行われ、36対27で東京に凱歌があがった。
東京では各社の号外が、決定を伝え日本中がわきたった。
東京大会が開かれる昭和15年は、紀元2600年に当たり、最高の祝賀イベントにできるという狙いも秘められていた。

 しかし、日中戦争が始まり、国際世論も日本に不利にあり、東京開催反対論も出てくるようになった。
こうして、昭和13年2月カイロでIOC総会が開かれ、東京大会の可否を最終的に決めることになった。
日本からは、加納治五郎主席代表らが出席した。
加納の説明によって、東京開催反対論はひっこみ、満場一致で東京開催が確認されたのであった。
加納は日本への帰途、氷川丸で肺炎のためあっけなく最後を遂げた。横浜入港2日前だった。
そのからわずか二か月後に、東京オリンピック返上が決定したのだった。

ところで、当時議会で東京返上論を主唱したのが、若き日の河野一郎(政友会)だった。
戦後東京オリンピックの担当大臣は、河野一郎その人だった。

コメント (1)
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