場所・愛媛県松山市・道後温泉本館前
「星のあひびき」 丸谷才一 集英社 2010年発行
『坊つちやん』のこと
あの日本で一番有名な中篇小説を何十回目かにまた読んで、
妙なことが頭に浮かんだ。
坊つちやんに優しい「清(きよ)と云ふ下女」は坊つちやんの実の母なのではないかと思ったからである。
そして、一体どうして今までこのことに気づかなかったのだろうと不思議な気さへした。
さう思ふくらゐ、清が実の母なら話の辻褄が合ふのである。
みんなが100年間そのことにちっとも思ひ当たらなかった、ここで考へてみる。
まず作者の書き方に問題がある。
老獪であり巧妙である。
じつに上手に隠してゐる。
漱石は頭がよいことになってゐる。
事実、よかった。
しかし作家としての彼はノイローゼ患者で、執筆はノイローゼの治療のための療法だった。
もう一つ、伝記的な条件がある。
漱石は、誕生後すぐに里子に出され、そこから戻るとまた某家へ養子に出されたあげく、8才か9才のころ実家に戻った。
このことのせいで漱石は自分を捨子として意識し、
やがて捨猫の物語「吾輩は猫である」を書いた。
戦前の日本では忠義が大事な徳目だった。
わたし自身もまた、長いこと、清を忠義者としてとらへてゐた。
清が実の母だから坊つちやんをかはいがるといふごく自然な見方を排除したのだろう。
撮影日・2015.10.3
まず作者の書き方に問題がある。
老獪であり巧妙である。
じつに上手に隠してゐる。
漱石は頭がよいことになってゐる。
事実、よかった。
しかし作家としての彼はノイローゼ患者で、執筆はノイローゼの治療のための療法だった。
もう一つ、伝記的な条件がある。
漱石は、誕生後すぐに里子に出され、そこから戻るとまた某家へ養子に出されたあげく、8才か9才のころ実家に戻った。
このことのせいで漱石は自分を捨子として意識し、
やがて捨猫の物語「吾輩は猫である」を書いた。
戦前の日本では忠義が大事な徳目だった。
わたし自身もまた、長いこと、清を忠義者としてとらへてゐた。
清が実の母だから坊つちやんをかはいがるといふごく自然な見方を排除したのだろう。
撮影日・2015.10.3