しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

梅干し

2023年06月16日 | 食べもの

梅干しは子供のおやつだった。
「うめんぼし」と呼んでいた。

タケノコの季節には、葉の中に梅干しやシソを入れて挟み、その汁や実を吸っていた。
酸っぱいので、梅干し一個で腹いっぱいになった気がしていた。

 

今ラーメン店などに、醤油の隣に小梅の瓶が置いてあるが、 
ああいうミニサイズの梅は昭和30年代、40年代にはなかった。

 

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「金光町史民俗編」 金光町 平成10年発行

梅干し
五月六月になると収穫したり、購入して毎年漬けた。
三升程度漬けておくと一年中あった。
まず塩漬けにした。
シソを半夏(はんげ)前に取って、梅といっしょに漬ける。
梅雨があけると「土用の三日干し」、
すぐにでも食べられたが、一年ほどおくと色がきれいに染まった。
殺菌作用があるなどといわれ、用途は広いものであった。

 

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ウメ

ウメが果樹としてつくられるようになったのは、江戸時代の中ごろといわれ、

それまでは観賞用に作られていたようです。

商品としてつくられるようになったのは意外と新しく、大正時代の初め頃からです。

ウメはほとんどが梅干しや梅酒などに加工されます。

「日本の農業4」 長谷川美典 岩崎書店 2010年発行

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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

梅漬

奈良時代には既に花をめでていたが、梅漬は江戸時代からである。
梅漬には、シソやショウガをいれる。
五升から一斗程度の甕に漬けておいて年中利用したものである。
弁当箱の飯に梅干一つを埋めて国旗弁当などと言ったものである。

 

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愛国弁当

「日本食物史」 江原・石川・東四柳共著 吉川弘文館 2009年発行

代用食と日の丸弁当
戦時の象徴的な食物は代用食と日の丸弁当である。
日の丸弁当はごはんの真ん中に梅干を一つ入れただけの弁当で、
国旗のイメージと重なり、愛国弁当としても意味づけられた。
昭和14年制定の「興亜奉公日」には、質素倹約の象徴として、日の丸弁当を持参することが流行したが、
精神主義だけが前面に出て、栄養面の配慮のないものであった。

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鴨方町史民俗編」 鴨方町 昭和60年発行


米粥の白粥は病人食で、
病人に海干しをそえて食べさせた。

 

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かんぴょうの煮しめ

2023年06月16日 | 食べもの

学校の遠足、運動会、学芸会の日には巻きずしとキツネ寿司が定番だった。
弁当箱に巻きずし半分、キツネ寿司半分が、ほぼどこ子も似たようなものだった。
巻きずしの具は、家々で違っていた。が、かんぴょうだけはどの子の巻きずしにも入っていた。
かんぴょうは、ハレの日の弁当の想い出が強いが、
母にとっては煮しめのようだ。




(母の話)

昔のボニゆうたら「かんぴょう」や「さつま」や「じゃがいも」や、ボニのごちそうゆうたら決まっとった。
昔は炊いて食びょうたんじゃ。
ボニのにしめをするするゆうたら、かんぴょうがなければできんゆうてようた。
くくってなぁ、家でこしらえたのはおいしかりょうた。こりこりして。


食べるもんが無いけぃ、作ることにして作りょうた。
雨が降りゃあわやくそになりょうた。


談・2001年10月7日

 

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カンピョウ・カボチャ・タマネギ・トマト

カンピョウは古くからある。
自家用に栽培し、紐状に削って干して、保存する。
カボチャは味噌煮または醤油煮にする。

「吉永町史」 吉永町史刊行委員会編 吉永町  昭和59年発行

 

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(広重の「東海道五十三次・水口」干瓢)

 

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シイタケ

2023年06月16日 | 食べもの

中学生か高校生の時、
笠岡に、シイタケを売っている店があった
町ではシイタケを買って食べる人がいる、ということにおどろいた。

 

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「岡山の作物文化誌」 臼井英治 岡山文庫 平成18年発行

シイタケ

かつて、わが家の晩秋の仕事の一つにシイタケの菌の植え付けがあり、
子どもの私もかり出された。
ドングリの木(アベマキ)を切り出すことからはじまり、原木を担いで下す。
手回しドリルで穴をあけ「種駒」を詰め込んだ。
かつてはコナラ、シイ、クヌギの風倒木や切株に自然発生するものを採取していたが、
江戸時代に菌の発生を促進する方法が述べられている。
昭和18年に「種駒」を原木に植え付ける方法が開発されて、シイタケ栽培は飛躍的発展を磨げた。

 

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「野菜まるごと辞典」 成美堂出版 2012年発行

シイタケ
丸ごとか、スライスして、
セミドライは数時間、完全に干すには2~3日が目安。
失敗が少ない。

シイタケ(椎茸)
香り高く風味もよい。
日本特産のキノコ。
シイタケはシイ、ナラ、クリ、カシなどの木に春と秋に自生する。
冬のものは肉厚で最高級として出荷される。
室町時代から食べられており、
江戸時代には栽培もおこなわれていました。

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醤油

2023年06月16日 | 食べもの

自分の家でも、近所の子の家でも、
醤油は家で作っていた。

昭和33年頃だろうか?
作るのを止めて、店から一升瓶で購入するようになった。


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(母の話)2002年5月26日

小麦を植え、大豆を植え
麹を作り
彼岸を境に麹をつくる。時候が寒うてもできん。
長屋へいれて。熱うても、寒うても腐ってしまう。

その頃(彼岸)になると何処の家からも炊く匂いがしょうた。豆のかざがする。
空臼で搗きょうた。

 

実家のトノばあさんは村中で評判のええ麹をつくりょうた。
おばあちゃんは(実家へ行ったとき)習うて、真似をしたらエエ麹ができるようになった。
どこの家にも甕にいっぱい「ひしお」を作っておいとった。
途中から鴨方で麹を作ってくれるとこができだした。

醤油を搾る
麹を1年寝かして、塩と水をいれて、混ぜくるんじゃが。せいから搾る。
辛ぃ醤油ができるんじゃ。

二番醤油
せいからまだ、おばあさんはもったいない言ぅて塩を(更に)混ぜて二番醤油ゆうのをつくりょうた。
一回使ぅた麹を、それをもう一回使う。塩と水を足して。

(父の話)2002年5月26日

麹は作る人によって上手なウチがあった。

一番醤油は味がええ。
二番醤油は辛いばあじゃった。味がねぃ。

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「成羽町史民俗編」  成羽町 平成3年発行

調味料

醤油
古くは自家製であった。
昔は味噌の製造過程において,底に溜まった醤からしぼったものをいったが、
現在は店から買うようになった。

 

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「金光町史民俗編」 金光町 平成10年発行

醤油
昔は家で作ったと言われるが、
明治生まれの人でも作った経験はなく、
醤油屋から購入した。
一升徳利をぶら下げて買いにいっていた。

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「鴨方町史民俗編」 鴨方町 昭和60年発行

醤油
自家製醤油を手醤油といった。
原料は、大豆と小麦・塩である。
麹のもとは買ってきて麹作りをし、四斗樽に仕込む。
醤油袋に諸味を入れ、フネに石の重しで絞った。
絞った醤油は釜に入れて炊く。
一番醤油である。
絞りかすの諸味は、樽にかえして水を入れ、塩を加える。
しばらくの間発酵させ、フネで絞る。
二番醤油である。
比較的早くから、醤油屋といって醸造屋ができたので、たいていは醤油屋で買った。

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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫   昭和52年発行

醤油

原料は小麦、大豆、塩である。
醤油一斗作るのに小麦一升、大豆一升、水五升、塩五升である。
樽に仕込みかきまぜる。よく溶けたころ、醤油搾り袋に入れてフネで搾り、
それを釜で炊いて食用の醤油とする。

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「矢掛町史民俗編」  矢掛町 ぎょうせい 昭和55年発行
味噌、醤油は自家製で、漬物は季節の物を作った。

 

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「吉永町史」 吉永町史刊行委員会編 吉永町  昭和59年発行
食事・記述は、昭和35年ごろまでの食事である。

醤油

原料は大豆と小麦、塩であるが、一度に作る量は、大豆1斗に小麦1斗である。
仕込みをして、しばらくすると、桶に籠をいれ、もろみをすくっておかずにした。
また籠にたまった醤油は調味料として使った。

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