梅干しは子供のおやつだった。
「うめんぼし」と呼んでいた。
タケノコの季節には、葉の中に梅干しやシソを入れて挟み、その汁や実を吸っていた。
酸っぱいので、梅干し一個で腹いっぱいになった気がしていた。
今ラーメン店などに、醤油の隣に小梅の瓶が置いてあるが、
ああいうミニサイズの梅は昭和30年代、40年代にはなかった。
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「金光町史民俗編」 金光町 平成10年発行
梅干し
五月六月になると収穫したり、購入して毎年漬けた。
三升程度漬けておくと一年中あった。
まず塩漬けにした。
シソを半夏(はんげ)前に取って、梅といっしょに漬ける。
梅雨があけると「土用の三日干し」、
すぐにでも食べられたが、一年ほどおくと色がきれいに染まった。
殺菌作用があるなどといわれ、用途は広いものであった。
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ウメ
ウメが果樹としてつくられるようになったのは、江戸時代の中ごろといわれ、
それまでは観賞用に作られていたようです。
商品としてつくられるようになったのは意外と新しく、大正時代の初め頃からです。
ウメはほとんどが梅干しや梅酒などに加工されます。
「日本の農業4」 長谷川美典 岩崎書店 2010年発行
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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫 昭和52年発行
梅漬
奈良時代には既に花をめでていたが、梅漬は江戸時代からである。
梅漬には、シソやショウガをいれる。
五升から一斗程度の甕に漬けておいて年中利用したものである。
弁当箱の飯に梅干一つを埋めて国旗弁当などと言ったものである。
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愛国弁当
「日本食物史」 江原・石川・東四柳共著 吉川弘文館 2009年発行
代用食と日の丸弁当
戦時の象徴的な食物は代用食と日の丸弁当である。
日の丸弁当はごはんの真ん中に梅干を一つ入れただけの弁当で、
国旗のイメージと重なり、愛国弁当としても意味づけられた。
昭和14年制定の「興亜奉公日」には、質素倹約の象徴として、日の丸弁当を持参することが流行したが、
精神主義だけが前面に出て、栄養面の配慮のないものであった。
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鴨方町史民俗編」 鴨方町 昭和60年発行
粥
米粥の白粥は病人食で、
病人に海干しをそえて食べさせた。
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