しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

四大節のうちの「紀元節」

2022年02月11日 | 昭和16年~19年
義母の話
談・2022.2.6
(義母は昭和5年12月生まれ。後月郡芳井町にある分校と本校に通った。
分校には御真影も教育勅語もなかった、ようだ)

紀元節の日は、分校でなく本校に行っていた。
3時間かけて(遊びながら儀式が始まる時間までに)本校に行っていた。
その日は1時間くらいで終わり、終わるとすぐ家に帰っていた。

問・昭和21年の紀元節はあったのだろうか?
学校に行っとる間は、紀元節はあったような気がする。

・・・・

父母の話
談・2000.6.10

父・教育勅語は式典の日に全員で読んでいた。
母・読むんじゃあのうて、覚えささらりょうた。

(これは学校の違いでなく、父と母のちょとした時代差だと思える)


・・・・・

「尋常小学校ものがたり」  竹内途夫  福武書店 1991年発行

式のために登校した四大節

元旦・紀元節・天長節・明治節が四大節。
国民全員が仕事を休んで祝意を表す日だった。


各学校は登校して祝賀の式をあげ、これを祝った。
授業はなく午前中に帰宅したが、家は祝日とは関係なく、いつもの農作業が待っていた。

式は10時ごろから始まるので、こういう日はたっぷり遊んでから集団登校した。
四大節には共通した式次第があった。
「君が代」の国歌はなぜか必ず二回つづけて斉唱。
御真影の奉拝、
勅語の奉読、
の三つとも厳かに行なわれた。

式場には正面には臨時の仮御殿が設けられ、
奉安殿から移した御真影が安置してあった。
両陛下の写真は、拝礼の間は扉が開いていたので、薄絹のベールを通して拝むことができた。
勅語の奉読が終わり、みんなやれやれの気持ちでほっと息つく間もなく、
校長の長い長い話が始まる。

紀元節

一年でも最も寒さの厳しい頃であった。
校長から神武天皇の話を聞いた。
こういう話は種が一つだから、毎年同じ話の繰り返しになり、
そのうえ話下手ときたからちっとも面白くはなかった、
天皇の日本建国については、大いなる誇りをもつようになった。
天皇の東征についても、本当にあった話として受けとめた。






教育勅語




「尋常小学校ものがたり」  竹内途夫  福武書店 1991年発行

学校では校長以下全員が、この勅語の扱いについては丁重を極めた。
子ども個人は、その内容を考えるようなことはなく、感動もなければ疑問も感じなかった。ただすらすらと暗誦できることの方が先決だった。

フロックコートに身を正した校長が壇上にすすむと、
タイミングよく次席が白手袋の略礼装で,勅語の納まった白桐の細長い箱を、
うやうやしく三宝にのせて式場にはいってきて、校長の前の卓上に静かに置いて退く。
校長はこれに最敬礼し、やおら桐箱のなかから白絹に包まれた勅語の謄本を取り出し、
会場に向かって捧げ持つと「最敬礼」との号令がかかり、参加者一同が最敬礼でかしこまる。

奉読の間,咳一つするにも気がひけたが、青はな垂らしの子供たちが、いちばん苦手とするのがこの時で、
垂れ下がる鼻水を吸い上げる音がだんだん激しくなるころ「ギョメイギョジ」で奉読が終わる。

勅語を無事読み上げた校長は、緊張から解放された安堵の表情に変わり、白絹を巻く手元のふるえはもうなかった。
勅語の奉読については、どこの校長も独特のくせ節回しに近いものを持っていて、
いともおごそかに恰好をつけて奉読していたが、万一、
公式の場で読み違えるようなことがあったら、それはもう確実に進退伺いの必要があった。



・・・・・

「福山市史・下巻」

学校行事の変化

昭和初年までの学校行事は、
入学・卒業式のほか祝祭日・諸記念日(陸海軍記念日など)などが中心であったが、
その後漸次軍国主義的傾向が強まり、柳条溝事件前後からは戦時色あふれる行事がふえている。
まず昭和4年には、
紀元節が第一回の建国祭として祝われ、いままで以上の意味をもたされることになり、
「八紘一宇」のスローガンのもと盛大な祝典が挙げられ、軍国主義教育の出発点となった。
翌5年には教育勅語渙発40年記念式が行われ、
昭和6年には新しい「御真影」が下賜され、各学校でその奉戴式がいっせいに挙行された。
それにともなって、奉安殿の新・改築や国旗掲揚台の新設が行われた学校も少なくない。
いずれも軍国主義教育のシンボルとされたが、
とりわけ「御真影」は重視され、校舎や学籍簿、さらには教員・生徒の命よりも大切に扱われた。

昭和20年の空襲で「奉安殿と渡廊下を残して全焼した」深津国民学校では、
「奉安殿に保管中の教育勅語詔書類は宿直教官の護衛により安全に待避された」と特筆されている。


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