参考まで、城見小学校の隣・大津野小学校。
ほぼ城見と同じようだが、
「完全給食」はどうだったか?
城見小の場合、完全給食の“完全”は遅いような記憶がある。というのは隔日での完全給食であったような気がする。
大門町誌「大津野のあゆみ」より
戦後の食糧難は極めて深刻な問題であった。
この農村地域の大津野でも学校に弁当を持ってこられない児童が多かった。
弁当を持って来れる者でもその中味は粗末なものでした。
こうした状況の中で昭和25年から脱脂粉乳によるミルク給食が始まった。
昭和29年学校給食法が設定され、これを受けて学校給食が実施されていった。
昭和30年には、みそしる給食(副食給食)が始まっている。
そして昭和36年から完全給食が実施されるようになった。
それから20年後の昭和56年には米飯給食も導入されていった。
なお、完全給食が始まった頃は、一食当たり20円くらいであったが、一ヶ月の給食費がなかなか払えない家庭もあった。
ほぼ城見と同じようだが、
「完全給食」はどうだったか?
城見小の場合、完全給食の“完全”は遅いような記憶がある。というのは隔日での完全給食であったような気がする。
大門町誌「大津野のあゆみ」より
戦後の食糧難は極めて深刻な問題であった。
この農村地域の大津野でも学校に弁当を持ってこられない児童が多かった。
弁当を持って来れる者でもその中味は粗末なものでした。
こうした状況の中で昭和25年から脱脂粉乳によるミルク給食が始まった。
昭和29年学校給食法が設定され、これを受けて学校給食が実施されていった。
昭和30年には、みそしる給食(副食給食)が始まっている。
そして昭和36年から完全給食が実施されるようになった。
それから20年後の昭和56年には米飯給食も導入されていった。
なお、完全給食が始まった頃は、一食当たり20円くらいであったが、一ヶ月の給食費がなかなか払えない家庭もあった。