TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

縮緬(ちりめん)じわ

2018年05月21日 | インポート
母が電車で席を譲られて嘆いた。
帽子を目深にかぶりマスクで顔を覆っても、おばあさんであることがばれてしまうのだと。
確かに彼女は、足が痛いと言いつつ、背中もしゃんと伸びているし、声に張りもある。
80歳には見えないかもしれない。
 しかし先日、わたしの家を訪れた母の顔になにげなく目をやると、縮緬(ちりめん)じわが顔いっぱいに刻まれているではないか。
これには驚いたね。え!いつのまに。
(もちろん指摘はしなかったが)。
年齢を考えればあってしかるべきなのだが、見た目はやはり人並みに老いてきていたのだった。
日ごろから矢継ぎ早に話すので、その勢いにごまかされていたのか。
それともわたしが彼女の老いを見ようとしてこなかっただけなのか。

 83歳の父のほうはというと、こちらはますます耳が遠くなり、足元もよちよちとおぼつかない。
布団の上で脱水症状を起こしてころがったまま、そのたびに水分補給だなんだと大騒ぎになる。
どこから見ても後期高齢者である。
青信号の間に横断歩道を渡り切ることができるか、見ていてハラハラする。
そのくせ歩道のまんなかを堂々と歩いて歩行者の邪魔になっている。
通りすがりの人に、「杖をついたら楽ですよ」とアドバイスされたそうだが、まだまだ2本足でいけると思うのか、
それとも杖がいかにも年寄りくさくて嫌なのか、いっこうに聞く耳を持たない。
父方の祖母は脳梗塞で倒れたとき、人目をはばかってリハビリをこばんだということだが、同じ血の
流れを感じるのである。



コメント
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