10年ほど前に勤務していた事務所にこの春、再び異動になった。
ちょっと紙屑がたまるとすぐに動かなくなるキャパの乏しいシュレッダーは当時のまま。
アコーディオンカーテンだけで仕切られた洋式便所には、ごく最近鍵がつけられたそうで、
和式便所の床は昔ながらのタイルのまま。
来る日も来る日もおにぎりとトン汁を注文していた弁当屋は別の業者に取って代わっていて、
日替わり弁当は450円と安いのだがひと月ほどで飽きた。
同じような出来合い惣菜を詰めていた自称”手作り弁当”には飽きなかったのに不思議だ。
そのお弁当だが、注文をとりまとめ、業者へ電話するのは各課持ち回りになっている。
それはいいのだが、担当課の職員が、弁当を注文した人に配って回るのが11時50分頃。
気分はともかく、まだ仕事中だ。机の上には書類がとっちらかっている。
そんなところへ、弁当掲げた職員に脇に立たれると、まるで「早く片付けろよ」とせかされているよう。
お忙しいところ配っていただいて……という気持ちがあるので、
こちらも、「あ。すいません」などと言って弁当を置く場所を手早く作るのだが、
あまりありがたくない気分だ。
自分の机に書類を広げているだけなのに、お詫びしなければいけないこの雰囲気ってなあに?
まだお昼前。デーンと目の前に鎮座した弁当容器ははっきり言って邪魔である。
うっかり席なんかはずしていたりすると、その隙に(隙を狙ったわけではないのだけど)そこらの書類を勝手に押しのけて弁当容器が置かれていて、そうなるとありがたいというよりも、かちんときてしまう。
わざわざ配っていただいているのだからと、そのもやもやとした気持ちは、そのたびに飲み込むことになる。
別の階からはるばる運んでくれるのだったら、確かにありがたいと思うだろうが、
たかだか職員数20人ほどの小さな職場である。
お弁当は一箇所にまとめておいて、お昼の鐘が鳴ったら自分で取りに行けばいいじゃん。
それともなあに?注文したものとは別のものを持って行ってしまう人がいるとか?
どうか2,3時間前に自分で頼んだものぐらい覚えておいて欲しい。
配るほうだって、ホント、容器ぶちまけたい気分になるほど忙しいときだってあるのです。
先日、職場で面接があった。職員の健康状態や家庭の事情、その他、
勤務上配慮して欲しいことなどの聞き取りのためのものである。
今回は、「職員の働き方に対する意識は実感として変わったと思うか」という質問がそれに加わった。
ワークライフバランスが浸透しているかどうかの調査のようだ。
見た感じ、30年ぐらい前と全然変わっていないように思う。
5時15分の終業の鐘とともに帰るのがはばかられる雰囲気は相変わらず。
もし帰るなら、聞かれもしないのに、医者に行くからなどとあらかじめ言い訳しておいたり、(どういうわけか、歯医者という理由は多い。まあ実際そうなのかもしれないけど)、早く帰るようにと上司に言われたからとか、
人のせいにしたりして、こそこそ帰る感じ。
理由や用事がなければ定時に帰っちゃいけないのだろうか。
同じことは有給休暇にも言える。
「明日お休みしますのでよろしくお願いします」と同僚に挨拶するのは、礼儀としてもちろん必要。
でも、いちいち理由まで申告する必要はないと思う。(ま、旅行に行くのでなどと、自慢したい場合は別だが。)
定時の帰宅と同じで、理由がなければ、休んじゃいけないわけ?
帰る理由は、5時15分だから。
休む理由は、休みたいから。
それじゃいけないんだろうか。
60歳の定年後に再び雇用される再任用の職員の方たちは、”鐘とともに去りぬ型”が非常に多い。
彼らは退職金も一度いただいており、この先昇給もなく、つまり評価の対象外。
現役時代の縛りやしがらみがはずれたとたん、あまりにも露骨だが、これが率直な態度という気もするのである。
ちょっと紙屑がたまるとすぐに動かなくなるキャパの乏しいシュレッダーは当時のまま。
アコーディオンカーテンだけで仕切られた洋式便所には、ごく最近鍵がつけられたそうで、
和式便所の床は昔ながらのタイルのまま。
来る日も来る日もおにぎりとトン汁を注文していた弁当屋は別の業者に取って代わっていて、
日替わり弁当は450円と安いのだがひと月ほどで飽きた。
同じような出来合い惣菜を詰めていた自称”手作り弁当”には飽きなかったのに不思議だ。
そのお弁当だが、注文をとりまとめ、業者へ電話するのは各課持ち回りになっている。
それはいいのだが、担当課の職員が、弁当を注文した人に配って回るのが11時50分頃。
気分はともかく、まだ仕事中だ。机の上には書類がとっちらかっている。
そんなところへ、弁当掲げた職員に脇に立たれると、まるで「早く片付けろよ」とせかされているよう。
お忙しいところ配っていただいて……という気持ちがあるので、
こちらも、「あ。すいません」などと言って弁当を置く場所を手早く作るのだが、
あまりありがたくない気分だ。
自分の机に書類を広げているだけなのに、お詫びしなければいけないこの雰囲気ってなあに?
まだお昼前。デーンと目の前に鎮座した弁当容器ははっきり言って邪魔である。
うっかり席なんかはずしていたりすると、その隙に(隙を狙ったわけではないのだけど)そこらの書類を勝手に押しのけて弁当容器が置かれていて、そうなるとありがたいというよりも、かちんときてしまう。
わざわざ配っていただいているのだからと、そのもやもやとした気持ちは、そのたびに飲み込むことになる。
別の階からはるばる運んでくれるのだったら、確かにありがたいと思うだろうが、
たかだか職員数20人ほどの小さな職場である。
お弁当は一箇所にまとめておいて、お昼の鐘が鳴ったら自分で取りに行けばいいじゃん。
それともなあに?注文したものとは別のものを持って行ってしまう人がいるとか?
どうか2,3時間前に自分で頼んだものぐらい覚えておいて欲しい。
配るほうだって、ホント、容器ぶちまけたい気分になるほど忙しいときだってあるのです。
先日、職場で面接があった。職員の健康状態や家庭の事情、その他、
勤務上配慮して欲しいことなどの聞き取りのためのものである。
今回は、「職員の働き方に対する意識は実感として変わったと思うか」という質問がそれに加わった。
ワークライフバランスが浸透しているかどうかの調査のようだ。
見た感じ、30年ぐらい前と全然変わっていないように思う。
5時15分の終業の鐘とともに帰るのがはばかられる雰囲気は相変わらず。
もし帰るなら、聞かれもしないのに、医者に行くからなどとあらかじめ言い訳しておいたり、(どういうわけか、歯医者という理由は多い。まあ実際そうなのかもしれないけど)、早く帰るようにと上司に言われたからとか、
人のせいにしたりして、こそこそ帰る感じ。
理由や用事がなければ定時に帰っちゃいけないのだろうか。
同じことは有給休暇にも言える。
「明日お休みしますのでよろしくお願いします」と同僚に挨拶するのは、礼儀としてもちろん必要。
でも、いちいち理由まで申告する必要はないと思う。(ま、旅行に行くのでなどと、自慢したい場合は別だが。)
定時の帰宅と同じで、理由がなければ、休んじゃいけないわけ?
帰る理由は、5時15分だから。
休む理由は、休みたいから。
それじゃいけないんだろうか。
60歳の定年後に再び雇用される再任用の職員の方たちは、”鐘とともに去りぬ型”が非常に多い。
彼らは退職金も一度いただいており、この先昇給もなく、つまり評価の対象外。
現役時代の縛りやしがらみがはずれたとたん、あまりにも露骨だが、これが率直な態度という気もするのである。