TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

映画「82年生まれ、キム・ジョン」を観にいく

2020年10月10日 | インポート
夏休みも残り1日。
昨日は台風が近づき最高気温が15度という予報。夏休みという気分には程遠いが、お休みならなんでもよろし、というわけで、韓国映画『82年生まれ、キム・ジョン』を観にいった。
原作は何年か前にベストセラーになったらしいのだが、今年になって初めて読んで大いにうなずく場面が多く、映画封切りを心待ちにしていたのである。
本との出会いは不思議である。話題になっているときは気にも留めずに平積みの棚を素通りしていたのが、ある日ふと手にして読んでみたら、そのときの自分の気分にピタリとはまる作品だったということは時にある。これもそんな本の1冊だった。

映画館のエントランスでは、今やお決まりとなった検温。一瞬緊張するが無事に通過。(この時点で入場禁止になった方は果たしているのかしら? ひとりならいいけど、連れがいる場合だと、連れも本人もつらい‥‥)。
慣れとはよくも悪くもオソロシイもので、密閉空間のはずの映画館も、2度3度と経験すると、前後左右の空席と寒いほどの換気に、安心感を抱き始めている。
本編が始まる前の予告編も、滞在時間を短くするためか、短い時間に設定されているようでうれしい。コロナ禍前は、これでもか、これでもかというほど予告作品が延々と続くので辟易していたのである。
劇場内を見まわしてみると、平日の荒天のせいだろうか、席はがら空き。わたしを含めて4人しかいない。前後左右の座席に張られた“ここに座るな”のバッテン印が無意味に思われる。

 さて、映画の中身は本で読んだ覚えのある話題が、少し順番と設定を変えて登場する。
最後の場面、男性の精神科医が出産を控えて退職することになった有能な若い女性カウンセラーを見送ったあとに、「後任には、未婚の人を探さなくては……」とつぶやく結末に、心底がっかりしたのだが、そこを配慮したのか、映画では女性医師になっている。
これは映画の余韻に関わる大事な設定である。
 主役のキム・ジョンは線の細い、吉高由里子似の女優さんで、夫のデヒョン役は横顔がイノッチに似たイケメンである。ずいぶん前のヨン様ブームを思い出す。(好みの問題だがヨン様よりもいいかも)
であるからなのか、本を読んだ時ほどには、感情移入しづらかったのも確かである。
キム・ジョンは、兄弟や母親、元の職場の女性上司など、気にかけてくれる人たちに恵まれている。さらに夫のデヒョンはイケメンで(そこは大事)、なんとか妻を理解しようと苦しんで、精神科に相談に行ったり、保育園に娘のお迎えにいってくれたりする。とにかく優しいのである。
だったら、キムさん、無理して働きに出なくたって、かわいい娘の成長を夫とともに楽しみにして暮らすのも幸せなんじゃないか、子供がかわいいのは今だけなんだから、などと姑のような感想に終わってしまったのである。

 映像は迫力もあり、生々しく、それはそれでいいけれど、キャストの雰囲気や人相が話の受け取り方にとても影響してしまう。活字の場合は自分でいかようにも想像を膨らませられる分、何にも惑わされずに話のテーマがまっすぐにはいってくるようである。


コメント
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