TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

煙たい人

2022年07月23日 | エッセイ
職場で行われるメンタル相談に出張してこられる先生は、煙草がお好きのようで、相談を終えると、すぐさま一服しに外へ出ていく。
その後、煙の”残り香”をまといつかせたまま部屋に戻ってくるので、姿を見かけなくても、今日はメンタル相談の日だったということが思い起こされる。マスク越しでもかなり匂うのだ。
精神保健のプロが、意外にも、というか、だからこそというか、何かしらの依存症気味であることはよくある話である。

10年以上も前にいた職場でお隣に座っていた職員のヘビースモーカーぶりは、着任早々、際立っていた。
少なく見積もっても15分に1回ぐらいは、外のガレージに吸いに行く。
出勤早々に一服、来客が立て込んだといっては一服、パソコン操作につまずいては一服、食前食後に一服ずつ、おやつに一服、帰り際にとどめの一服……。
嵐の日も、最高気温35度を超える日も厭わない。
そんなふうだから、彼の半径1メートル以内はいつもタバコくさかった。からだに染み付いているのだ。
受動喫煙防止条例が施行されてしばらくたった頃だ。場所は皮肉なことに保健所。
直接タバコの煙を吸わなくても、匂いだけでも害がある、という話を聞いていたので、わたしがわざとらしくパタパタ扇いでも、席と席の間の”椅子間距離”をこれみよがしに大きくあけても、ちっとも動じる風はなく、それがまたわたしの逆鱗に触れた。

タバコを吸っている人に対する態度や印象は、その時々の状況と、こちらの心境に大きく左右される。
映画俳優が、オープンカフェで長い足を組んで一服している映像などは大変絵になる。
彼とこちらとの間に、なんの関係性も、個人的な感情も、利害の対立といったものもないからだろう。
「絵」としてキマッテいればそれでいいのである。
なんといっても、スクリーンからは煙が漂ってこない。

昔、カウンセリングを受けていた時期、カウンセラー氏もまた愛煙家であった。
話を聞きながらも、煙草を手放せないようだった。
スパー、スパー、と若干、上向き加減に、煙を吐き出しつつ、
「それで?」
「ほお、それから?」
と、言葉を接ぐ彼が、なぜか高利貸しのように思え、大きな机の前に、緊張して座っているわたしは、まるでお金を借りに来ているような、縮こまった気分になったことがあった。
 その時の話題がなんだったかすっかり忘れてしまったが、わたしの中に何か、やましい気持ち、卑屈さが渦巻いていたのに違いない。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする