TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

こんな時は本を……

2022年07月16日 | エッセイ
4時45分の東京都の感染者数のチェックがまるで趣味のようになってしまったのは、いったいいつの頃からだっただろうか。
もう、3年目というが、同じようなことが繰り返されているようで、中身をよく見てみると、随分と変化してきていることもあり、それらが正確に思い出せないほど、この「コロナ問題」がすでに十把ひとからげのごとく、日常に定着してしまった。
一番変化したのは、人の気持ちだろう。
当初、東京の感染者が500人を超えただけで大騒ぎだったのに、今じゃ、2万人を超えても、「またきたね」「今回は早かったね」「ふ~ん」というような、そんな感じになっている。
今の感染者数を2年前のわたしたちが見たら、生きた心地がしないだろうに。

先日、対象年齢にまでまだ少し間があるのに、4回目のワクチン接種券が届いた。
基礎疾患がある場合のことを考えてのことだろう。
3回目の接種のときは、ちょうど6波の真っ最中だったこともあり、是非もなく予約をとった。
今回は、つい先月あたりまでは感染者も少なく、4回目なんぞ必要あるのかどうか疑わしく思っていたが、あれよ、あれよと状況が一変してしまった。
基礎疾患については、果たして自分の持病が接種優先の対象になるかどうかわからない。
以前、かかりつけ医に尋ねたら、そこんところは、主治医の裁量に任されているのだとか。
しかし、今回はできれば打ちたくないので、主治医に尋ねてみる気もおこらない。
痛み分けではないが、3回目未接種のかたに少し頑張って接種してもらって、周りを固めてほしいなあなどと、他人頼みな気分になっている。

こういう時の現実逃避は、わたしの場合は、外でコーヒーなんぞ飲みながら本を読むことだったが、今やマスク飲食では、そんな悠長な気分にもならない。
そこで家でじっくり読書をと、実家の本棚をあさっていたら目についたのが、中学生の頃に買った数冊の夏目漱石。
偶然にも、以前の主治医が漱石ファンであるというのを思い出したのでこれらを読むことにした。
しかし、40年以上も前に買った文庫本である。
紙質もあまりよくなく、第一、字がものすごく小さくて読みづらい。
もちろんこちらの目の衰えが原因だが、こんな字をスラスラと読めた当時がうらやましい。
中身の理解は、おそらく中学生の頃よりも深まっているだろうが(たぶん)、残念かな、文字を読み進める根気や集中力が衰えているのである。
コメント (4)
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