TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

救急車初乗車

2023年06月10日 | エッセイ
朝起きたら右の腰と脇腹に激痛がはしった。
そりゃもう、イタイなんてものではなく、あまりの痛さに、目の前にチカチカ星が飛んで、脂汗が全身ににじんだ。
再びベッドに横になる。痛みはひどくても意識ははっきりしているので、これからどうしよう、などと思案する。
原因はわかっていた。
2,3日前、壊れたテレビを修理センターに送ろうと、スーパーからもらって折りたたんだダンボールの空き箱を右脇に抱え、左手には、折りたたみ傘。
風雨が強く、それに逆らうように駅から家まで歩いた。
たたんで面積の広くなった段ボールで、受ける風の抵抗がより強まったと思う。
その時は気が付かなかったが、吹き飛ばされまいと、相当無理な力が全身に入っていただろう。
原因がわかったところで、痛みはどうしようもない。
1時間ほど横たわっていたら先ほどのずきーんという衝撃的な痛みがなんとか収まり、どうやら立てる。
しかし整形外科に行けるほどではない。
しかも外は土砂降り。
傘なんかさして歩けない。
救急車を呼ぶことに決める。
時間は朝の7時。病院なら8時半ごろにならないと専門医が出勤しないだろうから、救急車を呼ぶのもそれからのほうがいい。
職場に休みの電話するのも8時半だ。
その間に、搬送先が直近の病院の可能性を想定して、診察券を用意する。
現金もよぶんに財布に入れる。
お薬手帳も用意。
入院になった時のために、下着と寝間着替わりの上下、靴下をビニール袋に入れる。
たいくつしのぎに本を持って行こうとしたが、帰り、重い荷物を持って帰ってくるのは腰に悪そうなのでそれは断念。
8時半。準備万端整ったところで、119番。消防ですか、救急ですかとの声が電話の向こうから聞こえてくる。
住所や患者(ってわたしですが)の年齢、性別、症状などを聞かれる。
オートロックの解除の件も伝える。
到着を待つ間、不謹慎だがワクワクしてきた。
痛みが少しだけおさまってきたこともある。
初めての救急車である。
中はどうなっているんだろう、と常々関心があったのだ。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
ワクワク感マックス。
ブザーが鳴ったのでインターフォンに出る。
痛いのは事実だが、口先は元気だ。
しかしあまり元気そうなのも気が引けるので、多少弱々しく答える。
オートロック解除。立っていられないほどでもないが、救急車搬送にふさわしくしゃがみこんで待つ。
再び玄関のチャイムが鳴り、「救急隊です」という頼もしい声。
ドアをあけると2人の男性が担架を横たえて控えている。
歩けないことを想定してせっかく担架を用意してくれているのに、歩けそうなのがちょっと申し訳なくて、せめてもと痛そうな表情と動作を過剰につくってしまう。
わたしがドアの鍵をしっかりかけている間、うしろで待っていてくれる。
なんだか”鍵をしっかりかけて出てくる救急搬送対象者”、というのも冴えない感じがするが、しかたない。
痛いのは腰なのだし、さっきよりも痛みがひいているので、鍵ぐらい自分でかけられる。
彼らにも、来た甲斐があったと思ってほしいと思い、よろよろとつかまり歩きをしながら階下に降りた。
マンションのドア外に担架を据え付けてくれたが、土砂降りの中、これに乗ったらびしょびしょになる。
歩けそうなのを見て、向かいの駐車場に止められた救急車まで抱きかかえられるようにして歩く。
抱きかかえられて歩く、なんてことがこれまでなかったものだから、妙に甘い記憶になった。
若い女性が振り返ってこちらを見ている。
やっぱり見るよね。わたしも救急車が止まっていたら、どんな人が乗るのか、わざわざ立ち止まって見るもの。
それでも、見ているのはその女性だけで、意外にみなさん、無関心のよう。
交通事故のような騒ぎじゃないからだろう。

車中のベッドに上半身起き上がった姿勢で横たわる。
痛くない姿勢をあれこれ聞いてくれる。
生年月日や名前、症状、持病、かかりつけ医、お薬手帳を見ながらの問診、通報するまでの経緯などを細かく聞かれる。
認知機能を調べるためということで、今日の日付も尋ねられる。
さらに搬送する病院のリクエストまで聞いてくれる。
家から近く、以前かかったことがあるからということで、わたしのリクエストどおりの病院に連絡をとってくれて受け入れが決まる。
聞いてはいたが、発車までにすごく長い時間がかかる。
まるで、救急搬送をする資格があるかどうか審査されているようで緊張する。
わたしの中に、おそらくただの「ぎっくり腰」ってやつなんだろう、それも自分の不注意で…というような疚しさがあった。
症状の派手な割には、「ぎっくり腰」ってなんだか軽い語感だ。

さて、救急車の中身はというと、まず同乗スタッフは3人。運転するAと、わたしの話を聞いて病院と連絡調整するB、脇腹などに傷がないか診察するC。
Cさんはひととおり診終わると役目が終わったのか、横の長椅子にのんびり腰かけている。
「雨、止むといいですね」と話しかけてくれたりして、ほのぼのとした感じだ。
きっと混乱している患者を慰めたりする役目もおっているのだろう。
一番せわしなさそうだったのは、Bさん。
助手席とわたしの間を行ったり来たりしていた。

車中にある小道具は、頭のあたりにモニター、顔の横には、心電図や聴診器などがぶらさがっている。
反対側の窓上には、『頭上注意』の注意書きの書かれた棚がふたつ据え付けられている。
シミだらけの白くて短いカーテンが窓に張り巡らされていて外は見えない。
足元の扉部分には、ブレーキランプ。
寝かされているベッドには、使い捨てのシートが敷いてあったが、ベッドそのものはかなり年季が入っていて、患者を移動させるときに擦れるのか、脇がボロボロになっていた。
サイレンの音も、「交差点内、直進します」というような声も車内にはあまりよく聞こえないので、自分が救急車に乗っている感じがしない。
外も見えないので、なおさらだ。
わたしは救急車が赤信号を許されて交差点を突っ切るのを見るのが好きだ。
車内からこれを見たらどんな感じだろう、と思ったが、「ちょっとカーテンあけてください」などと子供のようなことはさすがに言えなかった。
これも話には聞いていたが、車はすごく揺れる。

救急車はものの5分とたたないうちに病院に着いた。
ベッドごと降ろされる時、近くにいたおじいさんがじろじろ見ていた。見てんじゃねえよ、見世物じゃないんだから、と思う。
逆の立場なら、わたしもじろじろ見るだろうけど。
病院のベッドに移される。
姿勢を変えるときに痛むのは変わらないが、スタッフに囲まれた緊張感に意識がうつり、家にいるときよりも痛みがおさまっている。
痛みの程度は、10のうち4ぐらい、と答える。
ここでもまた、今日の日付や、ここがどこかわかりますか?と聞かれる。
最近まで女子高校生だったような雰囲気の若い女医だ。
勉強のためにそこにいる感じで、マニュアルを思い出しながら質問しているのがよくわかる。
何度も同じことを聞く。
足元では、救急隊員がわたしからの聞き取りを病院スタッフに引継ぎしている。
内容を聞くともなく聞いていると、わたしの運んでいたのが「重い」ダンボール箱ということになってしまっていたが、敢えて訂正することもないので黙っている。
入れ代わり立ち代わり救急科の医師がやってきて、また同じことを聞いたり、超音波や心電図の検査をする。
内臓や心臓、骨に異状はないということで安心する。
救急科は整形外科ではないので、総合的に診るらしい。
どうやら急性腰痛症、いわゆる、ぎっくり腰らしいという診断がついた頃、なあんだ、と思ったわけでもないだろうが、寄ってたかっていたスタッフ一同、潮がひくようにいなくなり、看護師さんが座薬の痛み止めを入れてくれたあと、端っこの方にベッドごと移されて、薬が効くまで待機させられた。
職場の保健所でよく耳にしたパルスオキシメーターをつけているので、指がプランプランする。
20分ほどすると、痛みの余韻はあったが、さっきに比べたら格段に楽になっている。
これなら帰れそうだ。歩いてすぐの距離だが、大事をとってタクシーで帰った。金600円。
診察料は、薬代含めて6000円あまり。

両親の通院付き添いの場合、わたしが問診を書いたり、処方箋や薬を取りに行ったりできたが、おひとり様だとそれらを全部自分でやらなくてはならない。
幸い今回は重病ではなかったが、痛いときには辛い。
何度も聞かれたり書かされたりした緊急連絡先として、頼りがいのある家族を書けなかったことがとても心細い。
保険証が共済組合なので取りっぱぐれはないと思ってくれただろうが、これが高齢、独居、無職となると、ちゃんと支払ってくれるかしら、のような胡散臭い目で見られるのではないか。
あてになる緊急連絡先を持たない人が今後増えていくかもしれない。
引継ぎのときに聞こえてきた「60歳」という響きが今も頭に残っている。
ああ、60歳になってしまったのだわ、わたくし、のようなさみしさ。
問診票にあった、「独居」という言葉の味気なさ。「独居房」を連想させる。

今回、腰をかばいなら病院の廊下を歩いて、初めて、ゆっくりとしか歩けない状況がどんなものか、実感としてわかった。
小走りにせかせか歩いているときには目にも留まらなかった病院ボランティアさんの姿も目にはいった。
あれこれ重い荷物を担いで走り回る生活そのもの、生き方そのものの見直しをせまられているようでもあった。

結局、今回の腰痛騒ぎの発端となったテレビは、修理不可能とのことで、本当になんのための騒ぎだったのだろうと思う。
年休が1日無駄になった。
でも、まあ、救急車には乗れたけど。
コメント (2)
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