先週、実家の2階トイレ付近に、10センチはあろうかというほどの大クモが現れた。
足腰も太く、ヒトデほどのボリュームがある。
「わ!クモ」というわたしの叫びに驚いたヤツが、開いていたトイレのドアから中にはいったのを見計らい、ドアを閉め、ヤツを閉じ込めた。
そこまではいいが、以来、そのトイレが使えなくなった。
さてどうしたものか。
バルサンを焚いて中に差し込むか。
ともかく折を見てどうにかしなくてはならない――。
1週間ぶりにそのトイレの前を通るとなんと、ドアが半開きになっている。
古い木造住宅のこと、建付けが緩くなり、風圧かなんかで開いたのだろう。
果たしてクモは、そのまま中にいるのか、それとも脱出したのか。
中を覗いて確認する勇気はない。
不気味な気持ちをひきずったまま迎えた夜、食後なにげなく足元を見ると、黒いかたまりがスススッと冷蔵庫の方に移動していく。
え、まさか!
あとを追うと、まさにあの大きさの、あの姿が床にへばりついたまま様子をうかがっている。
向こうとしては「あ、見つかっちまった!」というところだろうか。動かずにじいっとしている。
もうそれからは待ったナシの大捕り物。
母、モップを取りに走り出し、わたしはヤツの行方を監視。
窓の上の壁に移動したところを、母、モップでワッシと抑える。
これでヤツが取り抑えられたのかどうか―—。
そもそも、そんなちょろいヤツなのか。
しかし、取り逃がした感じもしない。
しっかりとモップの下にいるように感じられる。
母が殺虫剤を周辺の壁にスプレーし、わたしが交代して、ヤツを抑えた(つもりの)モップごとそこまでひきずってきて、こすりつける。
何度もこする、こする、こする。
殺生している嫌な感じがモップをつかんだ手を伝わってくる。
しかししかたがない。
どうしてもどうしてもクモ助は苦手なのだ。
もういいだろう、と恐る恐るモップをゆるめると、なんとシートにへばりついているのは、髪の毛やらホコリやら細かなゴミばかり。
クモの子一匹くっついていない。
つぶれちゃった姿を見ずに済んで少しホッとしてもいる。
どうやら最初っからモップの下には、いなかったもよう。
むだな作業に労力を費やしたワタクシたち……。
「まだそのへんにいるのではないか」と冷蔵庫の隙間を覗くと、奥の壁に黒く張りついている。
わたし、叫ぶ。
母、再び殺虫剤を取り出して吹きかける。
2度ばかり吹きかける。
命中したかに見えたその瞬間、ヤツは冷蔵庫の裏側にスススッと隠れて見えなくなった。
家具やなんかの陰に逃げ込まれてしまったら、もうこちらではどうしようもない。
足が8本あるということの有用性がこのたびよくわかった。
こんな時、前後左右どちらにでも瞬時に移動可能ということなんですね。
と感心している場合ではない。
どこにひそんでいるのかわからないまま、虚しくあたりを見回して、その夜はあきらめるしかなかった。
火事場のバカ力というが、普段、足がひょろひょろして覚束なさを訴える母だが、今回のような待ったナシの状況に見舞われると、モップや殺虫剤を取りに走ったり、そのモップを振り回したりと、実に敏捷的だった。
口だけのわたしよりも活躍していた。
一方、父は何をしていたかというと、いつもの座椅子に腰かけたまま、テレビのほうをゆったりと見ていた。
クモ騒ぎに気づいていたとは思うが、なんだかひとごとだ。
父はクモだのゴキだのがことさら苦手だ。
いの一番に騒ぎ出すはずだが、視力がかなり落ちているので、10センチほどの大クモでさえその姿は見えない。
見えないということは強い。
加えて認知機能も落ちているので、恐怖や不安の感度も落ちているらしい。
若い頃、夜帰宅してクモの姿を見つけると、家じゅうに響くような声で「うおおおおおっ」と吠えたのに。
ともかくヤツが2階のトイレから脱出したことだけはわかったので、その夜は安心してトイレを使えるようになった。
そして翌朝。
椅子に腰かけた母が、「あら、あれはなんじゃ」と言いながら床の一点を見つめたまま、にじり寄っていく。
彼女も強度の近視なのだ。
そして大きな声で、「あ、クモ! ちょっと見て見て」と興奮してわたしを呼ぶ。
「あのクモ?」「そうよ、あのクモよ」
見ると、すべての足を内側に折り曲げて、丸くまとまったヤツが父の座椅子の近くに転がっている。
茶色く枯れた花のようだ。
どうやら、昨夜の殺虫剤が効いたらしい。
もがき苦しみながら、ここまでたどり着いたのだろうな、と思うと、なんだかやりきれない。
母がほうきで庭に掃き出し、捕り物劇は終了した。
数年前、掃除機でクモを退治しようと、吸い込んだことがある。
足が長く細く、アメンボのようなクモだった。
しばらくの間、掃除機のダストボックスを開ける勇気はなかった。
(つまり、その間、掃除機を使った掃除をしなかったということでもある)。
約1年後、意を決してダストボックスを開いてみると、干したえのきだけのごとく小さく細く縮んだヤツがほこりに紛れてはいっていた。
足を広げると大きなクモも、足を折りたたむとこんなふうになるんだわ、と思ったものだった。
これらの仕打ちのために、いわゆる「クモの糸」を垂らしてもらえるチャンスはなくなったかもしれないが、せめてこの世で「クモの復讐」に合わなければいいなあ、とあたりをきょろきょろ見回しながら思う。
壁が白いので、釘の跡ひとつ、虫と見まがうのである。
足腰も太く、ヒトデほどのボリュームがある。
「わ!クモ」というわたしの叫びに驚いたヤツが、開いていたトイレのドアから中にはいったのを見計らい、ドアを閉め、ヤツを閉じ込めた。
そこまではいいが、以来、そのトイレが使えなくなった。
さてどうしたものか。
バルサンを焚いて中に差し込むか。
ともかく折を見てどうにかしなくてはならない――。
1週間ぶりにそのトイレの前を通るとなんと、ドアが半開きになっている。
古い木造住宅のこと、建付けが緩くなり、風圧かなんかで開いたのだろう。
果たしてクモは、そのまま中にいるのか、それとも脱出したのか。
中を覗いて確認する勇気はない。
不気味な気持ちをひきずったまま迎えた夜、食後なにげなく足元を見ると、黒いかたまりがスススッと冷蔵庫の方に移動していく。
え、まさか!
あとを追うと、まさにあの大きさの、あの姿が床にへばりついたまま様子をうかがっている。
向こうとしては「あ、見つかっちまった!」というところだろうか。動かずにじいっとしている。
もうそれからは待ったナシの大捕り物。
母、モップを取りに走り出し、わたしはヤツの行方を監視。
窓の上の壁に移動したところを、母、モップでワッシと抑える。
これでヤツが取り抑えられたのかどうか―—。
そもそも、そんなちょろいヤツなのか。
しかし、取り逃がした感じもしない。
しっかりとモップの下にいるように感じられる。
母が殺虫剤を周辺の壁にスプレーし、わたしが交代して、ヤツを抑えた(つもりの)モップごとそこまでひきずってきて、こすりつける。
何度もこする、こする、こする。
殺生している嫌な感じがモップをつかんだ手を伝わってくる。
しかししかたがない。
どうしてもどうしてもクモ助は苦手なのだ。
もういいだろう、と恐る恐るモップをゆるめると、なんとシートにへばりついているのは、髪の毛やらホコリやら細かなゴミばかり。
クモの子一匹くっついていない。
つぶれちゃった姿を見ずに済んで少しホッとしてもいる。
どうやら最初っからモップの下には、いなかったもよう。
むだな作業に労力を費やしたワタクシたち……。
「まだそのへんにいるのではないか」と冷蔵庫の隙間を覗くと、奥の壁に黒く張りついている。
わたし、叫ぶ。
母、再び殺虫剤を取り出して吹きかける。
2度ばかり吹きかける。
命中したかに見えたその瞬間、ヤツは冷蔵庫の裏側にスススッと隠れて見えなくなった。
家具やなんかの陰に逃げ込まれてしまったら、もうこちらではどうしようもない。
足が8本あるということの有用性がこのたびよくわかった。
こんな時、前後左右どちらにでも瞬時に移動可能ということなんですね。
と感心している場合ではない。
どこにひそんでいるのかわからないまま、虚しくあたりを見回して、その夜はあきらめるしかなかった。
火事場のバカ力というが、普段、足がひょろひょろして覚束なさを訴える母だが、今回のような待ったナシの状況に見舞われると、モップや殺虫剤を取りに走ったり、そのモップを振り回したりと、実に敏捷的だった。
口だけのわたしよりも活躍していた。
一方、父は何をしていたかというと、いつもの座椅子に腰かけたまま、テレビのほうをゆったりと見ていた。
クモ騒ぎに気づいていたとは思うが、なんだかひとごとだ。
父はクモだのゴキだのがことさら苦手だ。
いの一番に騒ぎ出すはずだが、視力がかなり落ちているので、10センチほどの大クモでさえその姿は見えない。
見えないということは強い。
加えて認知機能も落ちているので、恐怖や不安の感度も落ちているらしい。
若い頃、夜帰宅してクモの姿を見つけると、家じゅうに響くような声で「うおおおおおっ」と吠えたのに。
ともかくヤツが2階のトイレから脱出したことだけはわかったので、その夜は安心してトイレを使えるようになった。
そして翌朝。
椅子に腰かけた母が、「あら、あれはなんじゃ」と言いながら床の一点を見つめたまま、にじり寄っていく。
彼女も強度の近視なのだ。
そして大きな声で、「あ、クモ! ちょっと見て見て」と興奮してわたしを呼ぶ。
「あのクモ?」「そうよ、あのクモよ」
見ると、すべての足を内側に折り曲げて、丸くまとまったヤツが父の座椅子の近くに転がっている。
茶色く枯れた花のようだ。
どうやら、昨夜の殺虫剤が効いたらしい。
もがき苦しみながら、ここまでたどり着いたのだろうな、と思うと、なんだかやりきれない。
母がほうきで庭に掃き出し、捕り物劇は終了した。
数年前、掃除機でクモを退治しようと、吸い込んだことがある。
足が長く細く、アメンボのようなクモだった。
しばらくの間、掃除機のダストボックスを開ける勇気はなかった。
(つまり、その間、掃除機を使った掃除をしなかったということでもある)。
約1年後、意を決してダストボックスを開いてみると、干したえのきだけのごとく小さく細く縮んだヤツがほこりに紛れてはいっていた。
足を広げると大きなクモも、足を折りたたむとこんなふうになるんだわ、と思ったものだった。
これらの仕打ちのために、いわゆる「クモの糸」を垂らしてもらえるチャンスはなくなったかもしれないが、せめてこの世で「クモの復讐」に合わなければいいなあ、とあたりをきょろきょろ見回しながら思う。
壁が白いので、釘の跡ひとつ、虫と見まがうのである。
勇気があるお母様と娘さんですね。
読み進むのが怖くて、呼吸が途切れ途切れしながらいました。
10cmだなんて、見たら卒倒しそうです。思わず、机上の30㎝定規を取り出し10㎝をにゾワゾワ確認しています。
もう、いなくなればいいですね。
私は、1cmでもダメです。
殺虫剤必須です。
夜の寝しなにホラーじみた話を読んでいただきありがとうございます。
ワルイ夢は見ませんでしたか(*_*;
岡山でドローンのような立体的なクモを見たことがありますが、平べったいクモとしては、今回のがこれまで見た中で一番の大物です。
直接触らなくても想像するだけで、指先がぞわぞわします。
家が古くなってくるとともに、ぴょんぴょん跳ねる数ミリのクモだのなんだのと、虫との戦が増えました。
殺虫剤ありがたし。