東京五輪が開催される2020年には、現行の大学入試センター試験が廃止され、新共通テスト「大学入学希望者学力評価テスト(仮)」が導入されるとのことである。変更理由は、現行の大学入試が知識の暗記・再生に偏りがちで、真の「学力」を十分に評価出来ないため記述式問題等の導入を図ろうとしている。
文部科学省は、更に、先の学力評価テストに留まらず、各大学の個別の入学試験においても、「主体性・多様性・協働性」も評価できるよう、制度・内容の改革をが促しているようだ。
確かに現在の記憶力偏重の入試は、創造力などとは関係の無い能力試験であり、これからの日本を背負っていく人材を選別するには適していないことはよく理解できる。しかし、文科省は入試方法の改革より、大学自体の制度・内容の改革を促してもらいたい。
昨年末、新しい大学入試の制度設計を進める文科省の専門家会議があり、2020年度導入予定の新共通テストで採用する記述式問題の「イメージ例」が初めて示された。専門家会議の委員から評価する意見が出た一方で、採点の方法やコストといった課題も指摘されていたとのことだ。
また、先日(10月26日)、新共通試験への記述式問題の導入に関し、全国の大学の約6割が実現は難しいと考えていることが明らかになったとの報道があった。記述式は思考力や表現力を評価するための目玉であるが、公平な採点が困難であり、時間がかかる、との理由である。極めて当然の反応である。
文科省の作成した記述式問題の例として、以下の問題が挙げられている。「公立図書館に関し,その現状と課題の他,若者の自立・社会参画支援を推進する場,家庭教育支援のための場、地域の人たちの対話や交流の場としての試みなど今後の公立図書館の可能性等について記した1400字程度の新聞記事を読んで答える問題として、今後の公立図書館の在るべき姿について、あなたはどのように考えるか、200~300字で書きなさい」、である。
理想的な公立図書館の姿を問う問題であるが、問題自身は思考力を必要とする、良い問題と思う一方、採点が非常に難しいと感ずる。何しろ答えは一つでなく、また採点する側の主観に左右されるからである。現行の答えが一つだけの問題であっても毎年採点ミスが問題となるほどである。記述式問題において公平性を期待することは土台無理な注文である。
現在でもセンター試験を通過した者には、その先に大学独自の入学試験が控えている筈であり、そこに真の学力を評価できる記述式を導入すればよいだろう。各大学は、大学の運営方針と照らし合わせ、コストや時間を加味し、必要と判断すれば記述式を導入すればよい。すなわち、共通試験はこれまで通り、記憶力を試す問題のみで十分であろう。
これからの社会を支える人材は、画一的には決まらない。文科省としては、最低限の規則を決めるに留め、後は大学に任せるべきである。大学として、独自の方法で入学させた学生を独自の方法で教育し、世の中に送り出せばよいのだ。卒業生の資質の評価は世の中がやってくれる。
大学の入学試験は、大学自身で決めればよい。肝心なのは入学後の教育方針である。方針に適した選別法を工夫すればよいのだ。少子化時代を迎え、大学間の競争が激しくなる。特徴ある大学でないと、生き残れない。大学は必死になって工夫するだろう。
時代の先頭を走るIT企業グーグル社は人材採用で学歴・成績を無視するとのことである。グローバル化された企業では世界の様々な人材と競争しなくてはならない。この点、日本の企業も学歴重視による採用を今後変えざるを得ないだろう。大学も当然変革を余儀なくされ、そこで時代に即した人材となるように教育すればよいのだ。2016.11.02(犬賀 大好-282)
文部科学省は、更に、先の学力評価テストに留まらず、各大学の個別の入学試験においても、「主体性・多様性・協働性」も評価できるよう、制度・内容の改革をが促しているようだ。
確かに現在の記憶力偏重の入試は、創造力などとは関係の無い能力試験であり、これからの日本を背負っていく人材を選別するには適していないことはよく理解できる。しかし、文科省は入試方法の改革より、大学自体の制度・内容の改革を促してもらいたい。
昨年末、新しい大学入試の制度設計を進める文科省の専門家会議があり、2020年度導入予定の新共通テストで採用する記述式問題の「イメージ例」が初めて示された。専門家会議の委員から評価する意見が出た一方で、採点の方法やコストといった課題も指摘されていたとのことだ。
また、先日(10月26日)、新共通試験への記述式問題の導入に関し、全国の大学の約6割が実現は難しいと考えていることが明らかになったとの報道があった。記述式は思考力や表現力を評価するための目玉であるが、公平な採点が困難であり、時間がかかる、との理由である。極めて当然の反応である。
文科省の作成した記述式問題の例として、以下の問題が挙げられている。「公立図書館に関し,その現状と課題の他,若者の自立・社会参画支援を推進する場,家庭教育支援のための場、地域の人たちの対話や交流の場としての試みなど今後の公立図書館の可能性等について記した1400字程度の新聞記事を読んで答える問題として、今後の公立図書館の在るべき姿について、あなたはどのように考えるか、200~300字で書きなさい」、である。
理想的な公立図書館の姿を問う問題であるが、問題自身は思考力を必要とする、良い問題と思う一方、採点が非常に難しいと感ずる。何しろ答えは一つでなく、また採点する側の主観に左右されるからである。現行の答えが一つだけの問題であっても毎年採点ミスが問題となるほどである。記述式問題において公平性を期待することは土台無理な注文である。
現在でもセンター試験を通過した者には、その先に大学独自の入学試験が控えている筈であり、そこに真の学力を評価できる記述式を導入すればよいだろう。各大学は、大学の運営方針と照らし合わせ、コストや時間を加味し、必要と判断すれば記述式を導入すればよい。すなわち、共通試験はこれまで通り、記憶力を試す問題のみで十分であろう。
これからの社会を支える人材は、画一的には決まらない。文科省としては、最低限の規則を決めるに留め、後は大学に任せるべきである。大学として、独自の方法で入学させた学生を独自の方法で教育し、世の中に送り出せばよいのだ。卒業生の資質の評価は世の中がやってくれる。
大学の入学試験は、大学自身で決めればよい。肝心なのは入学後の教育方針である。方針に適した選別法を工夫すればよいのだ。少子化時代を迎え、大学間の競争が激しくなる。特徴ある大学でないと、生き残れない。大学は必死になって工夫するだろう。
時代の先頭を走るIT企業グーグル社は人材採用で学歴・成績を無視するとのことである。グローバル化された企業では世界の様々な人材と競争しなくてはならない。この点、日本の企業も学歴重視による採用を今後変えざるを得ないだろう。大学も当然変革を余儀なくされ、そこで時代に即した人材となるように教育すればよいのだ。2016.11.02(犬賀 大好-282)