日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

一票の格差問題を想う

2015年04月01日 11時18分24秒 | 日々雑感
 昨年12月の衆院選は有効か、無効か、弁護士グループが全国の14高裁・支部に計17件の訴訟を起こしている。
 最高裁は2009年の衆院選を、最大格差2.30倍を「違憲状態」と判断し、「一人別枠方式」が格差を生み出す要因として批判した。2012年の衆院選でも同方式を残したまま実施され、最大格差も2.43倍に広がった。最高裁はやはり違憲状態の判決を下し、やはり同方式を厳しく批判した。しかし、いずれの裁判において最高裁は選挙無効の訴えを却下した。
 今回判断される2014年の衆院選も、同方式を残した実施されたが、小選挙区を0増5減し、最大格差を2.13倍に若干ではあるが縮めた。結果、東京高裁の合憲の判決を始めとして、違憲や違憲状態の判決が下された。 結局は最高裁の判決を待つことになるであろうが、十中八九最高裁は違憲状態ではあるが選挙有効の判決を下すであろう。
 一票の格差に関し、3月20日朝日新聞オピニオンで、元最高裁判事の宮川光治氏は「我が最高裁は、先進国の最高裁判所や憲法裁判所に比べて、国会や内閣に対してもっとも敬譲を示してきた」と言っている。元最高裁判事らしく“敬譲”と難解な言葉で表現しているが、庶民の言葉で言えば“おもねる“であり、”媚び諂う“ことである。三権分立の原則を忘れ、司法の責任者としての誇りに欠けているように思う。政府も”司法の長の首は俺が握っている“と、高をくくっているに違いない。
 一票の格差を完全に廃するためには、すべて全国区にし、得票数の多い順に当選させる方法しかない。この場合、地方の声が届かなくなる等の不利益が大きくなるため、現行の予め一県に一名を割り当てる「一人別枠方式」となっているのであろうが、この方式では必然的に何らかの格差が生ずる。問題はその格差がどこまで許されるかであろう。現在最高裁は2倍までは許されるとしているようであるが、この数値に理論的あるいは絶対的な根拠は無い。単なる感覚的な値に過ぎない。ここに最高裁の判断の難しいところがあると思うが、違憲判決による政治の混乱等は気にせず、三権分立の姿勢は貫いて欲しいものだ。
 やはり同オピニオン欄で、放送大学教授の御厨貴氏のコメントが興味深い。もともとこの格差問題では、一人一票が実現できても世の中大して変わるものでないと世間の関心は低い。このムードは、特定秘密保護法にしても集団的自衛権の解釈変更にしても同じである。いずれの問題も、実は世の中を大きく変える問題なんだが、今のところ大して変わっていないからいいんじゃないかみたいな空気がある。以上のコメントである。確かに指摘の通りであり、実に耳に痛い。
 安倍首相は何かの席で、自衛隊を「我が軍」と言ったとのことだ。日本では、憲法上軍は禁止されているはずであるが、いつの間にか立派な軍を有するまでになっている。その時代、時代で僅かずつ解釈を変更することにより、かくも変貌するものである。安倍首相のキャッチフレーズである“この道しかない”が“この道はいつか来た道”にならないことを願うばかりである。(犬賀 大好-116)

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