8月9日(金) いちじ
午前、午後と、昨日の続きの草刈り。それぞれ、2時間ぐらいづつ。休みもたっぷりとって、水をがばがば飲みながら。
午後、母の入院照明の診断書を貰いに行く。農協のスタンドで、給油する。我が家から、西へ、10分弱のところに、両方ともあるのだが、そこまで行く途中、半分くらいのところに、母の入っていた特養がある。車で、特養の入り口ほどを通った時、そうだ、死んだのだ。もうここにはいないのだと、急に、そんな思いがしてきた。母が入所しているときには、年に、数えるぐらいしか顔を出すことはなかったし、入院中も、医師に、長くはないといわれ、近じか死ぬんだな、と、そして、百一歳になろうとするまで、良く生きたな、ぐらいに思っていた。
臨終に立ち会ったときも、これで死んだ、ご苦労さんぐらいの感じだった。特養に入り、母とのかかわりが、ほぼ、費用の支払いや、日常費の口座のチェック位だった期間が、長かったせいか、母の存在が希薄だった。だから、葬儀が終わり今に至るも、あまり、母の死をそれほどの実感として感じていなかったのか。
今日は、母の死を、実感したひと時だった。