ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

おかえりモネ 森は海の恋人のこと 森川海空の連環の完成

2021-05-28 09:54:48 | エッセイ
 5月26日(水)放送の山のシーン。地元の小学生の野外体験の様子、実際に一本の杉の間伐を見せていた。子役の子一名と、他はエキストラの地元の小学生であろうが、おお、と目を見張っている様子、これは演技ではなく、実際にチェーンソーで木を切り倒すありさまを見るというのは、都会のみでなく、地元の子どもたちの人生において大きな体験だろうなと思わされた。
 その後、広葉樹の植樹体験を行う。林業組合の課長役の浜野謙太が、山に広葉樹を植える意義について熱く語る。山と川と海の連携の話である。
 場面は展開して、モネの幼いころ、妹や祖父の藤竜也とともに、山の斜面で広葉樹の植林をするシーンとなる。海を見下ろす山の上に立ち、藤竜也が、モネと妹に、海の牡蠣漁師が山に木を植える意味を語る。フラッシュバックするように短いコマの連続で、小学生の頃、中学生の頃、そして高校生の時と、このシーンは繰り返される。
 モネと妹は、毎年繰り返し、植樹をしながら森と川と海の連関について聞かされて育った。
 こうなると、どこにも何も明示されていないけれども、藤竜也演じる牡蠣養殖業の祖父とは、畠山重篤のことでしかない。すなわち、「森は海の恋人」の運動の主唱者そのひとである。畠山重篤氏の本拠とする舞根の海、唐桑の海は、言うまでもなく同時に大島(ドラマの設定上の亀島)の海でもある。
 もちろん、遠洋漁船乗り組みのあと、沿岸漁業に取り組むというライフサイクルは、大島、そして唐桑、階上など、気仙沼沿岸地域の男たちの生き方のひとつの典型である。藤竜也は、一方で、唐桑、大島の牡蠣養殖業者の祖父たちすべての象徴であることも間違いない。
 重篤氏は漁船に乗り組んだことはない。多くの著作をものし、講演も数多く行い、その豊饒な言葉は説得力のあるものである。かたや藤竜也は、その昔の小料理屋のカウンターの常連以来、寡黙な男であり続けている。この寡黙さは、漁師の祖父たちの多くに共通するものでもある。寡黙ではあるが、重い口を開いて語り始める言葉の重さがある。
 藤竜也は、半身は、すべての気仙沼湾沿岸の牡蠣漁業者の祖父であり、半身は「森は海の恋人」の畠山重篤であるというべきである。
 その昔、森と海と川との連携を語り、新月ダム建設に反対の意見を唱えた重篤氏は、高度成長至上主義の日本の既成の体制とは相いれないものとみなされ、気仙沼の市内においても、異端であった。しかし、私は、市役所に勤務しながら、重篤氏の論の正当さに圧倒されていた。
 その「森は海の恋人」の運動が、その言葉自体のあからさまな提示はないといえ、NHK全国放送のドラマの構想の骨格をなす事態となった。もちろん、この間に、世の趨勢に変化はあり、市内における立ち位置も変化したわけである。
 もう少し、このドラマに即して言うと、森と川と海の連関というと、それだけでは上流から下流への一方通行と誤解されかねない(いや、実際のところ誤解する人などいないのだが、言葉のうえでは、ということである)。そのあと、海に流れ込んだ水が蒸発して空に上がり、雲となって、雨が降り、森に戻され、そこではじめて、循環が成立する。重篤氏の著作では、もちろん、そのことは語られているわけであるが、この空の部分は、前景には出てこない。地表の森、川、海のことが語られている。
 「おかえりモネ」は、気象予報士を目指すということで、実は、空に焦点化された物語である。一方通行と捉えられかねない森と川と海の連携に、「空」をはめ込んで、循環を完成させる。ミッシングリングを完成させる物語である。
 おかえりモネのおかえりは、循環を表す。
 百音(ももね)、愛称モネは、当然に、重篤氏の水山養殖場が立地する唐桑町舞根(もうね)を連想させる。
 「森は海の恋人」という運動の名称は、気仙沼湾に注ぐ大川の上流域、市の西北の山峡い二十一地区の歌人(同時に佳人である)熊谷龍子の歌「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」から真珠の珠のように産み落とされた言葉であるという。龍子氏の夫君は、新月ダム反対運動の事務局長を務めた熊谷博之氏である。
 この相思相愛の海と森は誰か、というのが「おかえりモネ」の隠された縦糸になるのかもしれない。
 海は、言うまでもなく藤竜也である。森は、登米の山林王の姫、夏木マリ演じる新田サヤカ、であろうか。
 いや、牡蠣の精となり、ドラマの語り手として常に存在しつづける祖母、竹下景子がいる。しかし、牡蠣の精であれば、これも海の象徴であろうか。
 登米の山は、北上山地の南端近く、太平洋、三陸海岸に注ぐ東側の中小河川と、西側の北上川の支流との分水嶺である。気仙沼湾に注ぐ大川も、もちろん、東側の川の一つである。登米の山に降った雨は、決して直接三陸海岸に流れ出ることはない。
 新田サヤカは、登米の山林地主である。北上川流域の側の人間である。分水嶺の稜線付近に降った雨は、いっとき東側に流れそうになることもあるには違いないが、西側の登米の森を潤して北上川に流れ落ちることになる。若い藤竜也は、北上山地の山道に迷い込んで、いっとき登米の雨にそぼ濡れたときがあったのかもしれない。(北上山地の中心部は、あの、昔話の遠野物語の遠野盆地である。)
 竹下景子演じる祖母は、気仙沼の西部、二十一地区か、その一山越えた岩手県室根村(現一関市内。「森は海の恋人」の植樹祭が毎年開催される)か、いずれ気仙沼湾に注ぐ大川上流域出身に違いない。同じく北上山地のエリアである。その広葉樹の森に降った雨は、存分にフルボ酸鉄を溶かし込み、大島と唐桑のあいだの海にも流れ込む。そこで、植物プランクトンを育て、やがて牡蠣を育てる。美しい森の精は牡蠣の精となる。
 登米の森に降った雨は、大河北上川に流れ込み、南進し、やがて石巻の河口に至り、太平洋に注ぎ込む。(現在、北上川の本流とされる旧追波川の新北上川のことは、勝手ながら脇に置かせていただく)そこには、タネ牡蠣の一大産地、汽水湖の万石浦がある。実は、万石浦のタネ牡蠣こそ、三陸沿岸の牡蠣養殖の種苗である。登米の森の雨は、直接、気仙沼湾に流れ込むことはないが、大きく迂回した果てに、気仙沼の牡蠣漁家と再び出会うのである。
 とまあ、そんな話もあるのじゃないだろうか、という私の夢想である。




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