朝目覚めるとなにものかになっているわたしきのうのわたしとおなじわたしきのうのわたしとちがうわたし体の組成は幾分か違っている構成する分子は入れ換わっているああだから水の流れが川であり風の動きが台風であり美味しいものを食べて今日もわたしはわたしきのうのわたしとおなじわたしきのうのわたしとちがうわたし . . . 本文を読む
◆震災から十年経つ。コロナ騒ぎも一年を超えて続く。◆現代詩手帖の3月号、震災アンソロジーとして、詩、俳句、短歌が取り上げられる中で、気仙沼市百一歳、菊池謙さんの歌「海ゆかばみづくかばねと十字切る強き地震の襲ひ来る夜」が掲載。そして、熊本吉雄さん、「とりあえず通販で買ったような町 なんかイヅイなあ もぞもぞ歩く」また、3月3日付の河北新報「10年の震災詠選」にも「外来種の店がにょきにょき生えてきて更 . . . 本文を読む
國分功一郎氏は、「まえがき―生き延びた先にある日常」を、こう書きだす。「本書は研究の記録である。…双方がすでに形成していた考えを持ち寄って開陳し…ているのではない。われわれは二人の間を一つの場所とし、そこに発生してきた考えの行く先を見とどけつつ、それを突き詰めようとしたのである。 … 本書において進められた研究は、ただし、明確な出発点を持っていた。それは . . . 本文を読む
さて、その3である。今号には、豊崎由美氏、広瀬大志氏の連載対談、「カッコよくなきゃ、ポエムじゃない」の6回目「カッコいいし、難解詩」が掲載されている。初回は、2019年の4月号、「現代詩のフォッサマグナはどこだ?」というタイトルであった。実は、このブログで紹介している。面白い、これはぜひ、続けて読みたいなど思ったものだが、その後、連載と言いながら飛び飛びで掲載されており、今回まで読み損ねていた。 . . . 本文を読む
引き続き、特集の、4つのダイアローグ以外の個別の論考、報告を紹介する。被災地に住み、哲学・思想、心理・精神・ケア、そして、詩に関心を持つ人間にとって、今号の特集は、どれも、深い関心を呼び起こされざるを得ないもの、ということになる。【瀬尾育生「疫学的な日々、数的な日々」】 イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンペンが、今回のコロナ禍についてイタリア政府のとった緊急措置命令を批判したらしい。瀬尾育生氏は . . . 本文を読む
特集は、3月号に続いて、詩と災害、今号はⅡで、ケアと銘打たれる。 今号は特集その他、なかなかに興味深い論考も並んでいる。ずいぶん長くなりそうなので、3回に分けて掲載することにする。 特集の中核は、4つのダイアローグであり、まずは、それを紹介したい。表紙には、この4つの対話へのサブタイトルとして「傷にふれる、聴く、語る」とある。(ただし、目次とそれぞれの対話には、この言葉は付されていない。) ダイ . . . 本文を読む
プロローグは、1957年の人工衛星打ち上げ成功のことから説き起こされる。 原著が出版された1958年は、1945年にヒロシマとナガサキに原爆が投下され爆発した後であり、人工衛星打ち上げの直後ということになる。 人工衛星打ち上げは、「重要性からいえば、もう一つの出来事、核分裂にも劣らぬこの事件」(9ページ)と、原子力の使用と並べて論じられる。「地球に縛りつけられている人間がようやく地球を脱出する第 . . . 本文を読む